2019年09月09日

『ジョーカー』が金獅子賞を獲ったヴェネチア映画祭について友人が、ノア・バームバックのNetflix作品『マリッジストーリー』も評価が高かったのに無視された、去年は『ROMA/ローマ』が獲ったのに今年はNetflixが冷遇されている、と愚痴をこぼしていました。


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スピルバーグは配信映画を劇場映画と同列に扱ってはならないと発言しています。「劇場で上映しない作品はテレビ映画としてエミー賞の対象にはなるがアカデミー賞の対象にはならない」と。少なくともスピルバーグの目の黒いうちは「ロサンゼルスで連続7日間以上劇場で上映された40分以上の長編劇映画が対象」というアカデミー賞の規約の変更はなさそうです。

カンヌ映画祭でも去年からフランス国内で劇場公開しなかった映画はコンペティション部門には出品できなくなりました。

どうも世間では「Netflix作品をなぜ映画祭から締め出すのか」という論調が支配的なようですが、私は「なぜNetflixは映画祭に出品したがるのか」と問いを立て直すべきだと思う。


Netflix

もともと私もスピルバーグと同じく保守的な考え方なので「配信映画なんて映画じゃないよ」みたいに思ってましたが、いまはTSUTAYAに在庫のない『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を見るために30日無料お試しで入会中です。きっちり30日でぬけるつもりですが。だって私みたいなクラシック映画好きには向いてないんですもん。

って、そんなことはどうでもよく、実際に配信で見ていると、特に「こんなの映画じゃない!」とは思いません。テレビ画面で録画した映画を見てるのと同じ。

でも、というか、だからよけいに「なぜNetflixは映画祭に出品したがるのか」と考えてしまうのです。


配信映画専門のネット映画祭
普通に考えて、Netflixなら「配信映画専門のネット映画祭」とか立ち上げられそうじゃないですか。いまはいろんな配信会社があるんでしょ。そういう会社が製作した作品だけに特化した映画祭。

もちろん、配信映画だからカンヌやヴェネチアみたいにリアルな劇場で上映というのではなく、全世界のネットユーザー向けに配信だけする映画祭。

例えば今日9月9日0時から15日24時までのちょうど7日間を期間として、その間に出品作を配信する。他の会社の協力がないなら、自社だけで「映画祭用の映画」を作って配信する。11月に配信予定のスコセッシ最新作『アイリッシュ・マン』を映画祭ユーザー向けに先行配信する、なんてのもいいかもしれない。もちろん、映画祭の作品を見たい人には追加料金を課す。世界中に1億5000万もの会員がいるのだからめちゃたくさんの金が集まるでしょう。かなり規模の大きな映画祭になります。


ネット映画祭の問題
こういう映画祭、Netflixの幹部だって考えたことがあるに違いないんですよね。ついこないだ加入した人間が思いつくくらいなんだから。

でも実際は配信映画祭をやらずに既存の映画祭に出品する。なぜか。

「お祭り」にならないからです。

映画祭で見た作品をSNSで発信してもらったら会員数は増えるでしょうが、みんな見たいときに見たい端末で見るだけだから、場所も時間もバラバラ。

お祭りにするためには「限定された場所」と「限定された時間」が必要なんですよね。このうち「場所」に関しては配信だから最初から限定するのは無理。

じゃあ「時間」はどうか。映画祭での上映なら「9時から」と決まっていたら誰も疑問に思わずその時間に行くでしょうが、配信映画で「9時から」と謳われても「見たいときに見れるから入会してるのに」とそっぽ向く会員がたくさんいると思われます。

仮に時間に関して不評がなくとも、もっと大きな問題があります。それは「映画祭における演劇性」です。


レッドカーペットとティーチ・イン
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リアルな映画祭にあってネット映画祭では実現不可能なもの。それは「レッドカーペット」。有名スターがそろうところをすぐ目の前で目撃できるライブ感覚はネットでは絶対に実現できない。

映画が発明されたとき演劇はなくなると思った人が多かったらしいですが、結局いまも生き永らえている。そして、きっとこれからも。それは生身の俳優が目の前にいるライブ性が一番の要因。映画はしょせん複製芸術。

さらに、通常の映画祭での上映後にはティーチ・インってありますよね。その映画の監督をゲストに迎えて話を聞いて、そのあと質疑応答。ネット映画祭でも配信後に監督がライブ中継で登場してインタビューを受けたり、ということはできましょうが、ライブ感覚がないのは致命的。

しかも質疑応答ができない。仮に質疑応答を受けても見てる人の数が多すぎて対処しきれない。

おそらくお祭りを成立させるには「限定された人数」というのも必要なのです。何千万人が参加するお祭りなんかない。あるとしたら人間の脳内だけ。

やっぱりお祭りには「生身の肉体」が必要なんですよ。もしレッドカーペットもティーチ・インもなしでネット映画祭をやっても「ただの特別上映会」みたいな感じでしょう。しかも独りで見るわけだから何の盛り上がりもない。そんな映画祭には誰も参加しないでしょう。

特定の場所・時間に多数の人間が集まるお祭りが映画祭。でも、これって普通に世界中の劇場で行われていることですよね。ティーチ・インやレッドカーペットはないけど、不特定多数の人が集まるお祭りが劇場での映画鑑賞。


結局、権威がほしいだけ?
Netflixはそういうお祭り性を放棄した映画製作を目指したんでしょう? なのにお祭りに参加したがるっておかしい。ネット映画祭では採算が取れないから無理。いや、そもそもカンヌ金賞やヴェネチア金賞など権威がほしい。だから既存のお祭りに参加させてくれって虫がよすぎる。

Netflixとか配信映画そのものは前述のとおり否定しません。でも映画祭に参加するのはお門違いだと思う。

ヴェネチアがNetflix作品をコンペに選んでるのだって、カンヌとの違いを打ち出そうというだけの話だと思うし。







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