2019年08月27日

山田太一さんの1979年作品『沿線地図』、昨日が最終回でした。

前回までの記事
①まるで自画像のような
②両親たちのウロウロ
③父親の落とし穴
④脚本家の苦心
⑤前面に出てきた笠智衆
⑥口紅はいらない
⑦仰天の笠智衆!


白紙の便箋
笠智衆の遺書は二枚の便箋で、二枚目はまったくの白紙でした。あの白紙の二枚目に何か意味があるのでは? と誤解しているかもしれない若い人のために一言書き記します。

あれはただの作法です。一枚だけをたたんで封筒に入れるとペラペラで頼りないので、一枚だけで足りても白紙をつけてしっかりした状態にするのです。だからあの白紙の二枚目にはそれ以上の意味はありません。


思わず笑ってしまう
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正直に言います。
物語が終わってエンディングクレジットが流れ始めた途端、笑ってしまいました。

え、これで終わっていいの? おじいさんの自殺は何だったの? 古い世代と新しい世代の「生き方」の違いを問うテーマはどうなったの? あの長い浮気話は何のためだったの? と。

先週のラスト、祖父役の笠智衆が自殺をしたという知らせが入り、一体どういうことか、そしてこの連続ドラマはどういうふうに収束するのかと思っていたら……

何てことはない。ただすべてが丸く収まって終わり。すべてが、というのは違うかもしれませんが、あれだけ激烈だった親子6人の葛藤はまるで何もなかったかのように終わってしまいました。

後半は笠智衆の自殺もまるでなかったかのような感じでしたよね。

「一か月後」となり、横浜支店長の辞令が下った児玉清の送別会のシーンになる。なぜ家族のドラマで会社の送別会が? しかもそこに広岡瞬が現れて真行寺君枝が堕ろしてない、堕ろしたと嘘をついて5か月になるのを待ち、それから児玉清に言おうと母さんが言ったと。それは河原崎長一郎と岸惠子も承知している、と。

完全に児玉清の視点から描くから視聴者もその情報を彼と同時に知りますが、「え?」となりますよね。いつの間にそんなふうに話が進んでるの? だいたい一番「堕ろせ」と言い出しそうな河原崎長一郎が賛成しているというのはご都合主義ではないのか。

堕ろすかどうかで議論するとき、岸惠子が児玉清に「おじいさんがなくなってご自分を責めていたときのあなたのほうがずっとよかったわよ!」となじりますが、無理やり葛藤を作っている感が否めませんでした。


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喉に好き刺さる「自殺」
私にとってフィクションにおける自殺の原体験は漱石の『こころ』です。高校生になるまでフィクションの自殺に遭遇したことなかったのかと言われそうですが、自殺の理由を深く考えたのはあれが初めてでした。

でも、当時は物語を読むという習慣がなかったので(マンガは読んでたけど)特に自分なりの考えはありませんでした。Kはお嬢さんを横取りした先生に当てつけの意味で死んだのだ、先生はそのことを後悔してKへの謝罪として死ぬのだ、それをわざわざ乃木大将の名前を出して明治の精神に殉じるなどと屁理屈をこねているだけだ、と。

いまだにKと先生の自殺の理由は議論の対象なのでしょう。フィクションにおける自殺の理由はわからないほうが面白いのです。だから笠智衆の遺書に理由が何も書かれていなかったのを見たとき、ホッとしました。何か書かれていて、それがもとで事態が収束したのでは少しも面白くない。

でも、はっきりわからなくても推理できる何かがあるんじゃないかとも思っていました。『こころ』も2回読むと、Kがあまりの求道者のためにお嬢さんに恋をした自分を罰したんじゃないか、とか思いましたし。

でも、この『沿線地図』を何回見直しても笠智衆の自殺の理由にいろいろ気がつくということはなさそうです。(昨日一度見たきりなのでわかりませんが)

老い先短い自分が死ぬことで事態が収束することを祈ったのか。でも、それはどちらかというと作者である山田太一さんの願いだったような気がします。

自分や息子の児玉清の生き方を否定され、いまの若者の価値観がわからない。かわいい孫が宇宙人にしか見えないことへの絶望か、とも思いますが、それぐらいで死ぬだろうか、とも思う。

人が自殺するのにはいろんな理由がある。それはわかります。私も死のうとしたことがあるので「人はひとつの理由だけでは死なない」と強く思います。

ということは、笠智衆にも複数の理由があったのか。

しかしそれは明示されない。明示はされないが、そういう理不尽に耐えながら生きるのが人生だよ、というのが山田太一さんのメッセージなのだろうか。

あの結末を見たいまとなっては、「口紅はいらない」というあの口紅で右往左往していたときのほうがよっぽど面白かったような気がする。

でも、とも思うのです。

自殺の理由がはっきりしないのはフィクションではよくあることですが、あの衝撃の自殺がまるでなかったかのような登場人物たちの溌溂としたラストには、何か喉に突き刺さるんですよね。

はっきり言って、昨日見たときは「この2か月は何だったんだ」と怒っていましたが、いまは「あれは何だったのだろう」と否定的な意味ではなく、妙に気になるのです。

前半の面白さに比べて後半が尻すぼみになってしまっただけの失敗作かもしれません。そっちの可能性のほうが高いのでしょうが、いまの私にとってこの『沿線地図』は「妙に気になる作品」です。

それはやはり、自殺の理由がはっきりしないからでしょう。もし私があのとき死んでいたら、家族や友人たちは「本当の理由」を探してウロウロしていたことでしょう。それを思うと、やはり駄作だと切って捨てることができません。

思い起こせばこのドラマは、私と同じように、若者たちが人生をわざと踏み外すところから始まりました。それが、まったく別の人物とはいえ、はっきりしない自殺で幕を閉じる。

後半はあまり自分の過去に思いをはせることはありませんでしたが、最後の最後で自分と向き合わねばならなくなりました。どこまでも自分の人生にリンクした作品でした。ここまで自分のことが描かれていると感じたのは太宰の『人間失格』をおいて他に思いつきません。





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