2019年08月13日

先月再放送が始まった『沿線地図』ももうラストまで幾話もありませんね。


前回までの記事
①まるで自画像のような
②両親たちのウロウロ
③父親の落とし穴
④脚本家の苦心
⑤前面に出てきた笠智衆


前回、笠智衆が気味悪いほど前面に出てきたので、その続きがあるのかと期待したんですが、12話の最後に思いつめた笠さんが出てきただけで、あとはいつものように親と子のウロウロが描かれていました。

が、今回は初めてつまらないと思いました。


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今回はこの河内桃子と、岸惠子の夫・河原崎長一郎のウロウロが中心でした。前回の予告で河内が河原崎を誘惑するシーンがあったのでそのこと自体には驚きませんでしたが、何かこう親子の葛藤を描くこの物語にはそぐわない気がするんですよね。

確かに、広岡瞬と真行寺君枝の二人は、親の望むありきたりな人生ではなく、自分が本当にこう生きたいという人生を切り拓こう、そのために二人で自活しよう、と同棲を始めたから、そんな二人から生き方を否定された親が不倫に走るのも、子どもたちのように世間的な常識を踏み外してみようという親たちの悪あがきと言えば言えるのかもしれません。

しかしそれなら、なぜ口紅という小道具が必要なのでしょうか?

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岸惠子と河原崎長一郎の電器店の向かいに住む不動産屋の野村昭子が河内桃子の口紅を発見し、不倫の匂いを嗅ぎ取って岸惠子に告げ口するのは面白いと言えば面白い。

でもテーマから外れてませんかね?

これは不倫ドラマではないのだから、ばれるかばれないかのサスペンスで引っ張るのはおかしいと思う。すぐ「過ちを犯した」と自白したほうがよくなかったでしょうか。

そりゃ小物の河原崎長一郎はそんなことしないだろうから、河内桃子が岸惠子に言うのがいいとは思いますが、なぜそのほうがいいかというと、これは生き方ついてのドラマ、世間的な価値観に乗るか乗らないかについてのドラマなのだから、すぐ自白して、

「だってあの子たちが言うありきたりじゃない人生ってどんなものか試したかったのよ」
「だからって人の亭主を誘惑してそういうことになっていいんですか⁉」

というようなやり取りにもっていくほうがよかったように思います。


↓この二人もどうなんでしょう?↓


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真行寺君枝が妊娠した。広岡瞬は堕ろせという。子どもができたら子どものための生活になってしまう。そうなったら子どものためにあくせく働く親たちと同じになってしまう。みたいなことを言っていましたが、うーん、それってどうなんだろう。

そりゃま、こういう考え方の人が40年前から増えたことが今日の少子化の原因である、という時代の証言としての価値はあるのかもしれません。(前回の記事で触れた「フリーター」という生き方についても)

人がうらやむほどの学力をもちながら大学には行かない。それはいいでしょう。いろんな生き方があっていい。そこには共感しますが、好きな女との間にできた子どもは自分の生き方にとって「邪魔者」でしかない、と言い切れる広岡瞬にはまったく賛同できません。

別に子どもができたって、大学に行かず一流企業にも勤めない、ありきたりでない生き方は貫けるんじゃないですか? どうしても「子どもができたら生活が苦しくなる、それなら大学に行っておけばよかった」というふうに聞こえてしまうんです。これもテーマから外れているように感じられてならない。


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今回は児玉清の影の薄さが気になりましたね。おまえのやりたいようにやればいいと理解を示したからとはいえ、あまりに影が薄くて親と子ども、計6人のバランスがいびつになっているのが妙に気になりました。

影が薄いといえば、広岡瞬と真行寺君枝の友だちがまったく出てきませんね。高校を中退することになったのにまったく訪ねてこない。父親が高学歴だから低学歴の岡本信人を説教役として登場させているのだろうとは思うのですが、高学歴を志向する友人が意見する場面がひとつくらいあったほうがいいようにも思いました。(いままで友人が出てこないことに気づかなったので、それほど大きな瑕疵ではないのでしょうけど)


続きの記事
⑦仰天の笠智衆!
⑧喉に突き刺さる自殺の理由




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