BSトゥエルビで放送中の山田太一さんの1979年作品『沿線地図』。昨日は第3話と4話でした。


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前回は広岡瞬と真行寺君枝の両親はそれほど出番がなかったですよね。二人が失踪するきっかけを作る存在として描かれてはいたけれど、二人の背中を押す以外の役目はなかったように思います。

それが昨日の3話4話では、両親にだけ焦点を当てています。若者二人はほとんど出てきません。若者たちのやり取りも等分に描いて並行している感じにするのが普通なんでしょうが、山田太一さんはそうしない。ひたすら両親=4人の大人たちのウロウロを突き放して喜劇的に描きます。


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児玉清は妻の河内桃子から息子がいなくなったと仕事中に連絡を受けるんですが、大事な仕事があるからと普通に夜帰ってくる。「銀行では自分の息子も統御できないのかとマイナス評価されるんで」と当然のように言うと、来ていた親父さんの笠智衆から「かまわんではないか。それでも飛んで帰ってくるのが親というものだろう」と説教されてタジタジ。


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河原崎長一郎と岸惠子の夫婦はもっと面白い。
相手の親が銀行に勤めていると知って、電気屋を営む二人は「私たちのほうが上流階級じゃない?」と張り合ったり、真行寺君枝に気がある、連絡役の新井康弘のところへ岸惠子が「連絡あった? あったら教えて」と毎日彼のスナックに押しかけていたのに、広岡瞬が児玉清とだけ会いたいと言ってくると「ほんとにスナックに行ってたのか? 別のところに行ってたんじゃないのか」と疑ったりする。このへん、河原崎長一郎は『早春スケッチブック』の小心者で疑心暗鬼の親父さんとほとんど同じですね。

児玉清の家で4人で話をするときも、「うちの子は同棲とかそんなことをする子じゃない」と双方が主張するのは当然としても、河原崎長一郎が「普通こういうことは男が主導するもんじゃないですかね?」と、まるで「あんたたちの子が主犯だ」みたいなことを言う。

親たちのウロウロが非常に笑えました。当事者たちにとっては悲劇以外の何ものでもないけれど、必死になればなるほど笑えるというのは喜劇の最高の形だと思います。やはり山田太一さんは天才ですね。

さて、前回の1話2話について、こんな感想を書きました。



失踪とか同棲とかそんなことはしてないけれど、似たような反抗的なことを昔したなぁ、という内容でした。

今回もそれを少し思いました。

私は登校拒否をしてのんきに家でゴロゴロ映画ばかり見ていましたが、両親は私の知らないところでこんなふうにウロウロしていたんだなぁ、と。

あのとき伯父から手紙が来たんですけど、正論ばかりの内容に鼻白んでしまいましたが、それはともかく、手紙が来るということは親が相談したということで、当時は「いらんこと言わんでいいのに」ぐらいにしか思いませんでしたが、両親からすると必死だったのでしょう。

学校の先生が一応心配しているように見えて、その実、他人事のような対応をしていますが(特に広岡瞬の担任)あれはあんなもんでしょう。私の担任もあんな感じでした。家に来たりもしましたけど、それほど心配しているとは感じられなかった。

だからよけい両親4人の必死さが浮き彫りになり、私は身につまされる、という、ゲラゲラ笑いながらも結局は前回と同じような罪悪感に囚われてしまった次第です。

蛇足ながら、↓この役者さんはほんとにいい味出してますね!↓

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野村昭子。「あの人に喋るのは町中に喋るのと一緒だぞ」と河原崎長一郎が言いますが、まさにそういう顔をしている。こういうバイプレーヤーが少なくなってしまいました。

続きの記事
③父親の落とし穴
④脚本家の苦心
⑤前面に出てきた笠智衆
⑥口紅はいらない
⑦仰天の笠智衆!
⑧喉に突き刺さる自殺の理由


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