今年の映画初めは『ストリート・オブ・ファイヤー』。地元の名画座シネマ神戸さんがやってくれるというので駆けつけました。

実はこの映画は25年くらい前にビデオで見ていまして、当時は黒沢清監督の『映像のカリスマ』を読んだばかりで、あれにかなり影響されていたから「何だこのつまらない映画は」と思ったんです。でも、あれから映画の味方も変わってるし黒沢さんの言うことがすべてじゃないとも思ってるし、それに何よりスクリーンで見れるわけですからね。しかも併映が去年のお気に入り『ザ・プレデター』というのでよけいにね。


streetsoffire1

このファーストシーンはノリノリで見ていました。何でこんな素敵な映画をつまらないなんて断じてしまったんだろう。青かったのだろうか。と思いましたが、どうもこのあとから雲行きが怪しくなりました。

悪玉登場、歌姫をさらっていく→善玉の帰還、早速チンピラ退治→助けに行く→悪玉のアジトに監禁されている歌姫

ここまで30分ですが、時間かかりすぎでは? それに、さらわれたダイアン・レインがどこでどうしているのかずっと見せないというのはイライラが募りました。さらわれた直後かマイケル・パレ登場のすぐ後に見せないといけないのではないでしょうか。

しかしこの映画は編集が素晴らしい。冒頭の熱唱シーンからして素晴らしい。編集がいいだけでミュージカル・シークエンスは活き活きすると改めて思いました。
マイケル・パレがダイアン・レインが監禁されている部屋に飛び込んできてナイフか何かで手錠の鎖をぶった切る4カットがすごい。スコセッシも真っ青のジャンプカットを披露してくれます。ああいう勢いのあるアクションシーンは画面を活性化しますね。しかしその直後……


streetsoffire2

マイケル・パレがショットガンをぶっ放すシーンになるんですが、漏れてる油を撃って炎上させるじゃないですか。油がちょろちょろ漏れてる画は彼の見た目ショットなんだから遠目から望遠で撮らないといけないのに接写してましたよね。あれは白けた。

ただ、撮影に関してはいいところもあって、最近のアメリカ映画は薄暗い室内という設定だと役者の顔にろくに光を当てずに撮ることが多い。表情が読めなくてイライラするんです。でもこの映画では薄暗い室内や夜のシーンでもちゃんと役者の顔にうっすら光を当てている。好感がもてます。

さて、首尾よくダイアン・レインを助け出し、リック・モラニスらとの個人的いざこざがあって、そのあと他のみんなに救出してきたとなって盛り上がるんですが、助けたあとすぐみんなに知らせて盛り上がって、盛り上がったのに個人的いざこざで盛り下がるほうがよくないですか? どうも映像的にも脚本構成的にも乗れない。

しかも、あの警官たちは何なのでしょう? 誘拐と銃撃戦だけで充分捕まえられるはずなのに、注意するだけって……。

あの警官たちは完全に作者の都合で動いてますよね。最後の決闘シーンでも傍で見守ってるだけってそりゃないですよ。『藁の盾』のラストみたい。

敵と味方が感情を交わすシーンがないのは致命的では? ウィレム・デフォーはターミネーターのような機械みたいです。悪い奴は悪いことをするだけなんてつまらない。しかも警察は彼の悪行を間接的に手助けしている。

やはり、ダイアン・レイン救出のあとマイケル・パレとウィレム・デフォーは逮捕されるべきです。そんなことしたら映画がそこで終わってしまうとウォルター・ヒルら作者たちは考えたのかもしれませんが、ブタ箱に入った二人が決闘のために一致協力して脱獄するほうが面白くないですか? そのあとも警官隊は執拗に二人を追い回す。二人はまた一致協力して警官隊を罠にはめて二人だけの決闘の場へ赴く。そういうシーンを積み重ねればウィレム・デフォーの役にも血が通ったはずなんです。

結局、今年の映画初めは直後に見た『ザ・プレデター』のほうが100倍面白いことを確認しただけで終わりました。残念。

関連記事
『ザ・プレデター』(哀切きわまりない自殺願望者たち)