まだまだ来年のことらしいですが、神戸は元町映画館でジョン・カーペンターの名作『ゼイリブ』が上映されると知り、矢も楯もたまらず見てしまいました。




あまりに映画的なアイデア
「宇宙人の正体が見えるサングラス」というのは実に映画的なアイデアですよね。だって、おのずとこうなりますから。↓


theylive3 (1)
theylive4

「見る者」と「見られる者」をカットバックする。いわゆる切り返しショットが多用されることになります。そして、この「見る/見られる」が「撃つ/撃たれる」に変奏されます。


theylive2 (1)
お見事ですね。ジョン・カーペンターはただこういうことがやりたいだけでこの映画を作ったのだろうかと最初は思ったほどです。しかしながらこの『ゼイリブ』は実に風刺に富んだ告発をやってのけた映画だと思います。

告発といっても劇中で描かれる大量消費社会とか、格差の拡大とかそういうことではありません。いや、それもあるんですけど、それはたぶん口実で、カーペンターは同じアメリカの映画人を告発していると思うのです。


異様に長い殴り合い
theylive1
この二人がこうなるまでに、6分もの殴り合いが行われます。「サングラスをかけろ」「かけない」という争いに6分も。全体が正味90分ほどなのに。なぜか。

おそらく「釣り合い」を取ろうとしたのでしょう。
最初に主人公がサングラスをかけるのって単なるご都合主義ですよね。何か金目のものかと思ったらただのサングラスでごみ箱に捨ててしまう。でも手にひとつだけ残ったサングラスを何の必要もないのにかける。あそこはサングラスをかけないと話が始まらないからあれでいいんですが、キース・デビッドが「かけろ」と言われてその通りにするようではあまりに都合がよすぎるし、何より「服従しろ」「何も考えるな」という宇宙人の洗脳にキース・デビッドまで毒されていることになってしまい、それこそ都合が悪い。そこであそこまで執拗な殴り合いが必要だったのだと思われます。

ただ、ここで大事なのは、それまでキース・デビッドは主役ロディ・パイパーにドヤ街を教えてやったり世話を焼く。でも完全に信頼関係になってるわけではないですよね。キース・デビッドは最初から大量消費社会やエリートばかりが優遇される社会に疑問を投げかけていますが、ロディ・パイパーは「もっと気楽に生きようや」というまさに宇宙人に洗脳された地球人の代表でした。

だからこの二人は、「地球人⇔宇宙人」という対立関係と同じく、切り返しの構図で捉えられます。2ショットもあるけど切り返しもある。特に「サングラスをかけろ」「かけない」のところはこれでもかといわんばかりのカットバックです。

それが長い殴り合いを経てロディ・パイパーの真意をキース・デビッドが理解したとき(↑画像のカット)からラストまで、この二人は一度も切り返しで捉えられることがありません。


ホリーという女
その殴り合いの前に、ロディ・パイパーはテレビ局勤めのホリーという女と出逢います。銃で脅して彼女の家まで行き、宇宙人の謀略を説きますが、当然彼女は信じません。それどころか一瞬のすきをついて彼を殴り、家の外へ突き落とします。

theylive5 (1)
最初はこのように2ショットで捉えられていた二人が、ロディ・パイパーが宇宙人がどうのこうのと言い出すところから切り返しになります。すべてを知った者と何も知らない者との対立の構図。

かと思いきや、宇宙人の侵略から地球を守るゲリラ組織にホリーがやってきて、テレビ局は何も心配ないから安心してと言います。何だ仲間だったのか、とロディ・パイパーは歩み寄り、「あたし、あたし……」と言葉を選んでいるホリーが「見る/見られる」としてカットバックされます。

キース・デビッドとは仲間になったら見つめあう場面も2ショットなのに、男と女は気持ちが通い合ってもカットバックなの? それって演出意図が一貫してないのでは?

と思っていると……


最後のカットバック
実は、地球人の中にすでに裏切り者がおり、ドヤ街で知り合った男ギルバードもそうだし、ホリーもそうだった。ギルバートは言います。

「寄らば大樹の陰っていうじゃないか。楽して大金が入るほうがいいだろ?」

まさに冒頭の主人公と同じです。「考えるな」という宇宙人の洗脳が見事に成功しています。ホリーも同じように洗脳されている。

theylive6
それが判明した瞬間、再び男と女は切り返しで捉えられ、カットバックによって「見る/見られる」の関係だった二人がまたしても「撃つ/撃たれる」の関係に変奏されて映画は幕を閉じます。

つまり、この『ゼイリブ』では、宇宙人の正体が見えるサングラスというアイデアを手掛かりに、対立する者同士を徹頭徹尾カットバックで見せるという演出手法が貫かれているわけです。


結局、カーペンターは何を言いたかったのか
ここからは私の推測です。何しろ画面に映ってないことばかりですから。

観客は上記のような映画監督の演出意図なんてまるで気にせずに見ますよね。

でも、だからといって何も考えずに撮っちゃっていいの? という同じ業界人に向けた異議申し立てなんじゃないか。

70年代の半ばからアメリカ映画は少しずつ魅力をなくしていきます。古典的ハリウッド映画の作法などまるでなかったかのような雑な作りの映画が横行する。カーペンターはそれに我慢ならななかったのでしょう。古典的ハリウッド映画に通暁した映画インテリですから。

人々が何も考えずに享楽をむさぼる時代を撃つように見せかけて、カーペンターはハリウッドを告発したのだと思います。いくら観客が気づかなくてもちゃんと演出意図をもって撮れ。もっと考えろ。適当に撮った映画で大儲けして恥ずかしくないのか。

『ゼイリブ』を発表した80年代末以降、90年代まではコンスタントに作品を発表していたカーペンターも、21世紀に入るとほとんど映画を作れていません。カーペンターのように真摯に映画を向き合い、自分の頭でちゃんと考えて撮る映画監督が生きにくい時代なのでしょう。

ジョン・カーペンターをハリウッドから排斥した連中、彼らこそゼイリブのTHEYなのだと思います。