あらかじめ断っておきますが、私はまだ『カメラを止めるな!』を見ておりません。公開は3日後です。当然ながら「原作」とされる舞台も見ておりません。だから、どこまでその舞台を活かした作劇になっているのかまったくわかりません。
しかしながら、私が以前、シナリオコンクールで受賞したときと状況がとても似ているな、と思って筆を執った次第です。
似ている経緯
私の受賞作も私自身のオリジナルアイデアではありません。友人が自主製作で短編映画を撮りたいといってもちかけてきたのが最初のアイデアです。ですが、こちらがいろいろアイデアを出すもすべて却下。結局私は降りプロジェクトは頓挫しましたが、自分が出したアイデアを基に長編シナリオを書き、めでたく受賞と相成りました。
『カメラを止めるな!』の原作者と称する人のブログは→こちら
まずは原作者さんの言い分を読んでいただきたいのですが、一番のポイントは、
「そしてそのプロジェクトは一旦頓挫し、その後監督が独自に書き上げたのが「カメラを止めるな!」という作品だそうです」
という一文じゃないでしょうか。
私と経緯はまったく同じ。何度でも言いますが、私の受賞作は私のオリジナルアイデアではありません。あくまでも最初のアイデアは友人のものです。しかし、その友人のアイデアで行こうとするも「頓挫し」、その後、自分なりにアレンジを加えて「これは盗作ではない」と胸を張って言えるものを書き上げたからオリジナルと称して応募しました。
「監督が独自に書き上げた」という一文に込められているのも、監督なりにアレンジした、ということなんじゃないでしょうか。
それに、そもそもの問題として、『カメラを止めるな!』がここまで大反響を巻き起こさなかったら原作者さんは声を上げたんでしょうか? 私はそこが一番の疑問です。
角松敏生の言葉
もう1年ほど前でしょうか。音楽プロデューサーの角松敏生さんが『5時に夢中!』に出演したときにこんなことを言っていました。
「パクリとか盗作なんていうのはほんとくだらない話で、売れてない作品なら誰もパクリだって言わないでしょ? 売れるとパクリだと言う人が現れる。結局それだけの話なんですよ。モーツァルトやベートーベンだってたくさんパクッてますよ。芸術っていうのは模倣と借用からできてるし、それってとても大事なことなんです」
『カメラを止めるな!』が全国2館だけの上映で終わっていたら原作者さんも声を上げなかったのは必至。当たったら声を上げて、当たらなかったら声を上げない。それだけの話では?
とはいえ、舞台も映画も見てないのだから『カメラを止めるな!』についてこれ以上言うのはやめておきましょう。
いかに「オリジナルなアレンジ」をするか
私の受賞作に話を戻すと、おそらく誰かがシナリオ作家協会に通報したのでしょう。事務局からインタビューと称してやんわりと聞かれました。「この作品のアイデアはどうやって発想したんですか?」と。
「友人の自主製作映画のアイデアが元ネタです」と正直に応えました。そこに自分なりのアレンジを加えて長編にしたと言ったら何のお咎めもありませんでした。もし盗作と認定されたら賞を剥奪されていましたが、絶対にそうならないという自信があったので正直に答えました。
ある高名な脚本家から同じことを聞かれ同じ答えをしましたが、これまた何のお咎めもなし。それどころか、その高名な脚本家は常日頃から「もっとパクれ、うまくパクれ」が口癖の人でした。その人だけでなく、脚本家や監督はみんな「うまくパクる」ことを考えてますよ。作家じゃない人やアマチュアの域を出ない人(私もだけど)が「パクることはよくない」とかって言うんですよね。
ジャッキー・チェンはもう30年以上前に言ってました。
「パクリ、盗作、芸のうち!」
もちろん、他の作品のまんまやっちゃダメです。自分なりのアレンジを加えないと。もうこの世に本当の「オリジナル」と呼べるものは存在しません。「オリジナルなアレンジ」こそが命。それができているのであれば、「パクリ」というのは誹謗中傷以外の何物でもないと思います。
後日、映画本編を見た感想はこちら→「ただの答え合わせ」
しかしながら、私が以前、シナリオコンクールで受賞したときと状況がとても似ているな、と思って筆を執った次第です。
似ている経緯
私の受賞作も私自身のオリジナルアイデアではありません。友人が自主製作で短編映画を撮りたいといってもちかけてきたのが最初のアイデアです。ですが、こちらがいろいろアイデアを出すもすべて却下。結局私は降りプロジェクトは頓挫しましたが、自分が出したアイデアを基に長編シナリオを書き、めでたく受賞と相成りました。
『カメラを止めるな!』の原作者と称する人のブログは→こちら
まずは原作者さんの言い分を読んでいただきたいのですが、一番のポイントは、
「そしてそのプロジェクトは一旦頓挫し、その後監督が独自に書き上げたのが「カメラを止めるな!」という作品だそうです」
という一文じゃないでしょうか。
私と経緯はまったく同じ。何度でも言いますが、私の受賞作は私のオリジナルアイデアではありません。あくまでも最初のアイデアは友人のものです。しかし、その友人のアイデアで行こうとするも「頓挫し」、その後、自分なりにアレンジを加えて「これは盗作ではない」と胸を張って言えるものを書き上げたからオリジナルと称して応募しました。
「監督が独自に書き上げた」という一文に込められているのも、監督なりにアレンジした、ということなんじゃないでしょうか。
それに、そもそもの問題として、『カメラを止めるな!』がここまで大反響を巻き起こさなかったら原作者さんは声を上げたんでしょうか? 私はそこが一番の疑問です。
角松敏生の言葉
もう1年ほど前でしょうか。音楽プロデューサーの角松敏生さんが『5時に夢中!』に出演したときにこんなことを言っていました。
「パクリとか盗作なんていうのはほんとくだらない話で、売れてない作品なら誰もパクリだって言わないでしょ? 売れるとパクリだと言う人が現れる。結局それだけの話なんですよ。モーツァルトやベートーベンだってたくさんパクッてますよ。芸術っていうのは模倣と借用からできてるし、それってとても大事なことなんです」
『カメラを止めるな!』が全国2館だけの上映で終わっていたら原作者さんも声を上げなかったのは必至。当たったら声を上げて、当たらなかったら声を上げない。それだけの話では?
とはいえ、舞台も映画も見てないのだから『カメラを止めるな!』についてこれ以上言うのはやめておきましょう。
いかに「オリジナルなアレンジ」をするか
私の受賞作に話を戻すと、おそらく誰かがシナリオ作家協会に通報したのでしょう。事務局からインタビューと称してやんわりと聞かれました。「この作品のアイデアはどうやって発想したんですか?」と。
「友人の自主製作映画のアイデアが元ネタです」と正直に応えました。そこに自分なりのアレンジを加えて長編にしたと言ったら何のお咎めもありませんでした。もし盗作と認定されたら賞を剥奪されていましたが、絶対にそうならないという自信があったので正直に答えました。
ある高名な脚本家から同じことを聞かれ同じ答えをしましたが、これまた何のお咎めもなし。それどころか、その高名な脚本家は常日頃から「もっとパクれ、うまくパクれ」が口癖の人でした。その人だけでなく、脚本家や監督はみんな「うまくパクる」ことを考えてますよ。作家じゃない人やアマチュアの域を出ない人(私もだけど)が「パクることはよくない」とかって言うんですよね。
ジャッキー・チェンはもう30年以上前に言ってました。
「パクリ、盗作、芸のうち!」
もちろん、他の作品のまんまやっちゃダメです。自分なりのアレンジを加えないと。もうこの世に本当の「オリジナル」と呼べるものは存在しません。「オリジナルなアレンジ」こそが命。それができているのであれば、「パクリ」というのは誹謗中傷以外の何物でもないと思います。
後日、映画本編を見た感想はこちら→「ただの答え合わせ」
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