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WOWOWにてアニメ『心が叫びたがってるんだ。』を鑑賞しました。
いやぁ~、驚きましたね。

だって、かなり前に私が書こうとしていた脚本にそっくりだから。まったく同じものを書こうとしながら完遂できなかったんですよ。

この映画は「トラウマで声を失った主人公が、周囲の助けを得て失った声を取り戻すまでを描いた神話」として捉えられているようです。それはまったく間違いではなく、それどころか、それ以外の解釈のほうが間違いでしょうけれど、私が以前書こうとしたのはそういうお話ではなかった。

もう細かいところは忘れてしまいましたが、大筋は「口のきけない女を殺した男がミュージカル映画のスターとして花を咲かすが……」というものでした。

え、それのどこがこの『心が叫びたがってるんだ。』と同じなんだ、という声が聞こえてきそうですが、私が言っているのは物語そのものではなく、構造のほうなのです。それも神話的構造ではなく、映画史としての構造です。

サイレント映画からトーキーへ移行したとき、『ヒズ・ガール・フライデー』のような喋りまくる映画と同時にミュージカルが隆盛となりました。だから「ミュージカルはサイレント映画の死の上に成り立っている」というのは映画史に通暁している者にとっては常識です。

私はその映画史をなぞった物語をやりたかったんですよね。だからミュージカル俳優が聾唖の女を殺して成り上がる」(そこにちょっと『陽のあたる場所』的な味付けをして)という物語を考案したんですけれど、何だかんだでうまく書くことができず、「いつかきっと!」と思っているうちに夢をあきらめる日が来てしまいました。

というわけで、唖の少女がミュージカルの舞台で歌うこの映画が、まさに「サイレント映画の死の上に成り立ったミュージカル」という映画史を見事に映画化していることに嫉妬の念を禁じえないのです。なるほど、こういうふうにすればよかったのかと。私はどうも「死」から「殺す」を連想してそこに囚われてしまっていました。

ただ、この映画でも「殺す」ということは表現されています。


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主人公は父親の浮気の現場を目撃して、それと知らず母親にそれを言ってしまったために両親は離婚。追い出されることになった父親に「全部お前のせいだ」と呪詛され、それが原因で唖になってしまった。

と、私は思い込んでいたから、真の悪役である父親が最後まで出てこないのはおかしいと思ってたんですよ。父親が成敗されないかぎり主人公にとってのハッピーエンドはありえないんじゃないか。いや、正確に言えば、主人公がミュージカルのスターとして花咲かせる以上、父親が唖(=サイレント)である主人公を解放して(=殺して)やらねばならない、と。

でも、それも私の浅はかさでした。
主人公を唖にしたのは、実は主人公自身だったことがクライマックスで明かされます。自分で自分の声を殺し、玉子の殻に閉じこもっていたんだと。

なるほど、こうすれば父親は出てこなくていいし、最後に主人公が発する言葉が、好きな男への告白でなければならないという展開にもうなずけます。押し殺していた自分の気持ちを開けっぴろげにする、つまり心を開く。自分から閉じこもっていた玉子の殻をぶち破る。うまい。

うまいのはそれだけでなく、その告白で彼女は振られるんですよね。で、別の男から告白されて真のハッピーエンドを迎えると。父親から呪詛されて傷ついた心を癒せるのは、やはり自分が好きと語りかけられることではなく、誰かから好きだ、おまえが必要だと語りかけてもらうことなのだと。

うーん、うますぎる。

ついに書けなかった物語がもう3年も前に劇場公開されていたことを知らなかった不明を恥じます。WOWOWでは去年の実写版も放送してくれるようなので、そちらも見てみようと思います。とにかく激しく嫉妬した初夏の夕暮れでした。