(承前)①TOKIO山口達也の事件をめぐって

依存症を克服するには「意志」は関係ないことがわかりました。逆に「強い意志をもとう」と思っているとダメであると。
では、患者の意志に任せて薬を処方することってほんとに治癒に役立つんだろうか、という疑問が湧きおこります。


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そもそも、薬を飲む、というのは、自発的な行為なのでしょうか。

私自身、精神科の薬を30年近く飲んでいますが、はたして自発的に飲んでいるのか、それとも医者からこれを飲むようにと言われているから飲んでいるのかよくわかりません。


カツアゲされることと乞食に恵むこと
『中動態の世界』の著者、國分功一郎さんは、主にハンナ・アーレントの哲学を援用して、カツアゲによって金を差し出すことは自発的行為か否かと過激な問題提起をします。

脅されて金を相手に渡すのは、脅されたからという理由があるにせよ、自分の意志で財布から金を出して相手に差し出すのだから、自発的行為だというのが「意志」という言葉を知らなかったアリストテレスの考え方だそうです。でも、普通の考え方としておかしいですよね。脅されてるわけだから非自発的行為でしょ、と。

では、乞食に金を恵むのはどうか。
それは自発的行為に違いない、と普通は思いますが、カツアゲと同じく外部からの刺激で行動を起こしている以上、カツアゲが自発的行為でなければ乞食に金を恵むのも自発的ではないことになります。

え、それっておかしいよ! というのがごく普通の人の直感でしょう。この直感を直感に終わらせないのが「中動態」という哲学なのです。


「方向」ではなく「質の差」
著者はここからスピノザの考え方を援用します。スピノザは中動態という概念を知らなかったので、もっぱら能動か受動かを問題にします。能動か受動か、ならば「する⇔される」の考え方かというとそうではないと。

普通の考え方なら、自分→他者という方向なら能動、自分←他者という方向なら受動であると見なされます。
しかし、それだと脅されて金を差し出すのが能動か受動かがわからない。乞食に金を恵むのも外部の刺激があって金を出す以上、まったき能動とは言えない。

「方向」を問題にするからわからなくなるのであり、大事なのは「質の差」だというのがスピノザの考え方らしい。

つまり、乞食に金を恵むのは自分の本質から出た行為だと。困っている、かわいそうだという感情が心に湧き起こり、金を恵む。憐憫の感情というその人の本質を表現しているからこれは能動的な行為となる。

逆にカツアゲは、外部の脅しによって無理やり金を差し出さねばならないわけで、外部の刺激に圧倒され、その人の本質よりも外部の本質のほうが色濃く表現されている。だからこのような行為は受動的な行為なのだと。


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「受動」から「能動」へ 「強制」から「自由」へ
山口達也は酒という外部の刺激に負けて酒を飲んだ。そして酒の影響で前後不覚の状態で女子高生に無理やりキスをした。これらはすべて山口達也という人間の本質より、酒の本質のほうが色濃く表現されているから受動的な行為となる。
そして受動とは「強制」の状態にあることだというのがスピノザと著者の主張です。だからといって酒が山口に猥褻行為を強制した、だから酒が悪い、と言ってるんじゃないですよ。むしろ依存症患者は強制の状態にあるからダメなんだと。強制の状態を脱却しなければ、というのが著者の主張のようです。

そのためには、できるだけ自分の本質を表現する能動的な行為をせねばならない。そのような状態が「自由」であると著者は言います。決して「自由なる意志」をもって何事かをなすのが自由ではなく、自分の本質を強く表現する行為が本当の「自由」なのだと。

山口にかぎらず、私の知人の元アル中患者も、すべての依存症患者は、まず本人が酒なり薬物という外部によって刺激される、つまり「強制」の状態にある。少しも自由ではない。

前稿で書いたように、アルコール依存症患者が飲む白い粉薬。あれを飲んで酒を断とうという強い「意志」をもつことが治癒の糸口なのではなく、大事なのは自己の本質を表現して「自由」になることらしい。

まったき能動もまったき受動もない。酒や薬物など外部からの刺激に圧倒されている依存症患者も、自分の本質を表現できる余地がある。そこに依存症を克服するカギがありそうです。


アルコール依存症を治す薬の是非
では依存症患者にとって、薬を飲むことが自己の本質を表現することなんでしょうか? でも、それなら、強い意志をもって薬を飲むことを別の言い方にしているだけで何も変わらない気がします。
それに、薬が効いている状態で酒を飲むと気持ち悪くなって酒を飲めなくなる。それはそれで、今度は薬という外部からの刺激に圧倒されている状態です。少しも強制から脱却できていない。

あるサイトで著者のインタビューを読むと、最近は糖尿病患者の治療でも、単にカロリーを制限するだけでなく「食事を楽しむ」ことを重視すると治療の効果が上がるそうです。

ということは、薬をとてもおいしいものにするとか? あの薬はおいしかったんだろうか。そんなことは一言も聞いてないし、ごく普通の苦い粉薬にしか見えませんでしたが。

一方で、うちの犬は毎月フィラリアの薬をもらってきますが、昔は苦かったのでソーセージやチーズに混ぜたりしてやらないといけませんでした。最近のやつは薬そのものがとてもおいしくできているらしく、喜んで食べます。

そういうことなの? え、それだけの話? そのためにあんな難しい本を書いたわけじゃないはずですが……?

と、ここまで書いてきて気づいたのが、TOKIOのメンバー松岡昌宏の会見でした。おそらくあの会見に依存症を解くカギがあるんじゃないかと。

続きの記事
③断酒会の意味