自分でもびっくりの展開なんですが、昨日から小説を書いています。

え、脚本しか書いたことのないおまえがなぜ小説? と思った方々のために順を追ってご説明いたしましょう。


小説と脚本はぜんぜん違う
前々から「小説を書いたらどうか」と言う人は結構たくさんいたんですよね。
でも断っていました。だって脚本家にもなれないのに他のジャンルに手を出すなんておかしいし、そもそも私は映像と音響で物語を編むことをやりたいのであって、文章表現をやりたいわけではない。映画と小説はまったくの別物。

これは映画表現に精通している人なら誰でも知っています。だから専門学校時代の友人に「小説を書いたら?」なんて言われたことは一度もありません。言ってくるのはみんな素人さんです。どちらも言葉を駆使して物語を編むから同じようなものだと思っている。でも、小説は文学だから言葉を手掛かりにしないと絶対にダメですが、脚本は別に言葉じゃなくてもいいんですよ。絵で描いたほうがわかりやすければ絵で描けばいい。実際に「絵コンテ」というものを使って監督とカメラマンは打ち合わせをします。
ただ人間は言葉を手掛かりにしたほうが多くの人とイメージ(幻想)を共有しやすいからたまたまみんな言葉で書いてるだけの話。脚本は言葉で書かれなければならないなんて決まりはありません。あると思い込んでいるだけです。

それにね、小説は文章表現がすべてというか、そこに作品の命がありますが、脚本では文章を殺すことが肝要です。三島由紀夫のような華麗な文体などというのは脚本にとっては百害あって一利なしです。

というわけで、小説書いたら? と言われるたびに逆に反発して「俺は脚本だけを書くんだ」と息巻いていました。


でも小説を書きたい気持ちはあった
とはいうものの、小説を書きたい気持ちはあって、もともと読むのは好きだし、一番好きな小説家といっても過言じゃないジム・トンプスンのような一人称小説にはずっと憧れていました。映画は三人称しかありえないけど、小説なら一人称で書ける。いや、一人称でないとわざわざ小説を書く意義はないんじゃないか。
書きたい内容も、いままで私はダメダメな人生を送ってきたので、そういう己の半生を振り返る私小説的なもの。脚本ではまったくのフィクションを書くからどうせ小説を書くならノンフィクション的なのがいいなぁ、なんて。調べる手間もいらないし。

でも、前述の理由により実際に書いたことはありませんでした。ただの一行も。


急転直下!
2月の終わりに去年出したシナリオコンクールでめちゃ久しぶりの一次落選という憂き目に遭い、また脚本への意欲がさらに燃え上がりました。落ちると燃えるタイプなのでね。
というわけで小説のことなんかまったく頭になかったんですが、おととい、ある出来事をきっかけに突如として小説の文章表現が頭の中に沸き上がってきたのです。

小説を書きたい、書こう、とか、そういう気持ちが湧き上がることなく、ただ文章だけが頭に湧き上がってきた。もう夜遅かったのでパソコンに向うことなく寝床に入ったんですが、何だか興奮して少しも眠れない。

で、気がついたら書いてましたね。小説作法なんか勉強したことないので見よう見まねで。

別に小説家になりたいと思って書いているわけではありません。書きたいとすら思っていません。

書かなければならない。これが一番近い。

脚本なら前回書いたところまでを読み直して書き直してから続きを書くんですが、今回はまったく読み直していません。怖いんですよ。あまりにひどそうで。
しかも、これ、調べてみたら文学史的にはかなり珍しい手法のようです。手法というか形式なのかな。そんなのド素人に可能なのか、ほんと自信ないですが、小賢しい計算でそういう手法に至ったのではなく、頭に湧き上がったときからそういうものだったのだから仕方がない。これで行くしかない。

だから三文小説というのもほめすぎになるような代物ができあがる可能性は高いですね。

でも、「書かなければならない」んだから書きますよ!


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