脳科学者・中野信子さんによる『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(幻冬舎新書)を読みました。

誰かがちょっと失敗したときに感じる喜びの感情のことをドイツ語で「シャーデンフロイデ」というらしいですが、この本は「嫉妬」や「妬み」(この二語は心理学上は厳密に区別されるとか)に関する内容が、いつの間にやら「愛」や「正義」を盾に世の中を良くしようとするあまり、他者に対して残虐になるごく普通の人たちの恐ろしさを説いて終わります。

それを踏まえたうえで、フリッツ・ラングが戦時中にアメリカで撮った傑作『死刑執行人もまた死す』を見ると、いままでとは違った感慨がありました。「手に汗握る痛快無比なサスペンス」と思っていましたが、こちらの心をグサリと刺してくる「自己言及映画」がその正体でした。


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ナチスに占領されたチェコを舞台に、「死刑執行人」と恐れられたラインハルト・ハイドリッヒ暗殺事件という史実を基に練り上げられた物語です。

もちろんのこと、ナチスとナチスに与する者が「悪」として描かれています。

しかし、それにしても、原題は「HANGMEN ALSO DIE!」で、ハイドリッヒは一人だけなのになぜ「HANGMAN」ではなく「HANGMEN」と複数形なのかずっと不思議でした。それが今日やっと解けました。


国家のためのロボット
ハイドリッヒ暗殺犯ブライアン・ドンレビーは、チェコを愛するがゆえにハイドリッヒを殺しました。が、ナチスは民衆に密告を奨励し、暗殺犯が捕まらないかぎりは無辜の市民を処刑すると脅して無関係の人間を人質として連行します。暗殺犯は「自分が自首すれば誰も殺されないですむ」と懊悩しますが「君はナチスが亡びたあと祖国再建のために必要な人間だ」と説得され、自首しないことを選びます。

妙です。
確かに暗殺犯ドンレビーは懊悩しています。同胞に説得される結構長いシーンは野田高悟ふうに言えば「演じられなければならない場面」です。ですが、ひとたび説得されるや、自分のせいで人質としていつ処刑されるかわからない身になったウォルター・ブレナンや彼の娘である主人公(はたして本当に彼女が主人公なのかどうかはいまは措きます)の苦しみなどないかのように、盗聴している敵の裏をかいたり、まるでロボットのように粛々とナチスとの戦いを遂行していきます。

主人公の女ですら妙です。
最初は父親が人質になったので暗殺犯ドンレビーをゲシュタポに売ろうとします。その心情は理解できます。が、馬車の御者らが妨害し、さらに「ゲシュタポに行くつもりだった」という声を聞いた路上の民衆に囲まれて密告を断念します。
そのあとはまるで密告という行為がこの世に存在しないかのようにブライアン・ドンレビーを売ることが少しも頭をよぎらないようです。ちょっとはそういうことを口走ったりしてもおかしくないのに。
しかも最後は父親が殺されるんですよね。暗殺犯である英雄ブライアン・ドンレビーのせいで。なのに彼女の悲しみやドンレビーへの恨みを描くことなく映画は終わります。

この映画では一人一人のキャラクターが「人間」ではなく「国家のためのロボット」ように描かれています。ドイツ人もチェコ人も同じです。


売国奴チャカをめぐって
後半の主眼は、ドンレビーが暗殺犯だと悟られないことと、同胞をナチスに売っていた売国奴チャカを成敗することが同時に進行します。結局、チェコ人たちは売国奴チャカを暗殺犯に仕立て上げることに成功し、正義は勝つ!みたいな凱歌を高らかに歌い上げる歌声がオーバーラップして幕を閉じますが、『シャーデンフロイデ』を読んだ私にはとてもハッピーエンドには見えませんでした。

手に汗握るサスペンスであることは変わらないし、裏切り者チャカが殺されるシーンなど痛快無比ですが、しかし、結局この映画はチャカを告発して成敗しておきながら、チャカを告発し断罪するこの映画そのものを告発しています。

国家のためにならない者は排除する。それはナチスが党是としたものです。チャカを許せないと思い、彼が殺されるシーンでカタルシスを感じる観客もまたナチスと同根なのでは? というラディカルな問いかけ。

だから、「HANGMEN」とは私たち民衆のことなのでしょう。複数形である理由がやっとわかった次第です。あのラストの凱歌は決して勝利の歌ではなく「新たなる全体主義の歌」なのだと思います。

ナチスは確かに悪の権化である。しかし人間である以上、誰しもナチスなのだ、誰もがヒトラーなのだという過激なメッセージは、監督や脚本家がドイツ人だからこそできたことなのかもしれません。


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