ようやく見てきました。クリント・イーストウッド最新作『15時17分、パリ行き』。

おまえのようなイーストウッド信奉者が封切から3週間もたってから見にいくなんてどういうことだ。
という声も聞こえてきそうですが、正直言いまして怖かったのです。『グラン・トリノ』で俳優を引退してからというもの前作の『ハドソン川の奇跡』を除いてどれもこれも愚にもつかない作品ばかりでしたから。

でも、結果的に『ハドソン川の奇跡』と同じくらい楽しめる作品で安堵しました。ただし「傑作」だとは思いません。「佳作」といったところでしょう。なぜか。


本人が自分の役を演じるという「情報」
この映画では公開前から、実際に起きた事件を、主役3人だけでなく実際にあの列車に乗り合わせた人たちをできるだけ集めて本人たちに自分の役を演じさせた、という情報が出回っていました。

その「事前情報」が観客に与える影響はかなり大きいと思います。

実際、ド素人が演じている割にかなりうまい。それは監督自身が役者であり、それもあまり器用ではない役者だった(←過去形で言わないといけないところが悲しい)ということで、監督経験しかない監督よりもかなりいいアドバイスができたんじゃないでしょうか。

15時17分、パリ行き (1)
映画を見ていると、↑こういう光景が目に浮かぶんですよね。イーストウッドはどんなふうに素人俳優を演出したのか。それも自分自身の役というプロですら難しい役なのに。

という思いが「先入観」として観客の心を支配したはず。この映画の高評価の背景には「素人を使ってよくやった」みたいなところが多分にあるのでは?


セリフつなぎ
演技そのものもいいですが、セリフの途中でカットを割って繋ぐ、いわゆる「セリフつなぎ」が多用されてましたよね。
よくアクション映画などで、アクションがあまり上手でない俳優を使う場合、アクションの途中でカットを割るアクションつなぎが多用されます。
一昔前によくテレビでやってた武富士のCMがそうですよね。めちゃくちゃダンスがうまいように見えて、実は編集でごまかしてるだけという。


1517toParis
列車に乗る前のこのシーンが最も顕著でしたが、3人が喋りまくるこのシーンではセリフつなぎばかりでした。素人の芝居を少しでもうまく見せるための工夫だったのでしょう。


実話=主演作
なぜか最近のイーストウッドは実話ばかり。
俳優引退前も「硫黄島2部作」と『チェンジリング』があり、引退後は『インビクタス』『J・エドガー』『ジャージー・ボーイズ』『アメリカン・スナイパー』『ハドソン川の奇跡』、そして本作。他にも『バード』や『真夜中のサバナ』。

ん? 自分が出てない映画ばかり。なるほど。そういうことか!



guntlet (1)
例えば『ガントレット』。
クライマックスで10万発の銃弾を浴びますが、誰もイーストウッドが殺されるかも、なんて思わないでしょう? そんなの『白い肌の異常な夜』みたいな珍品だけで、大スターたる彼は決して死なない。ある意味安心して見ていられる。それと俳優引退後の実話ばかりというのはつながっていると思います。

だって、実話なら結末があらかじめわかってますから。「イーストウッドは殺されたりしない」というのと「この映画で主人公たちはテロリストを倒す」というのは結末があらかじめわかっているという意味では同じです。

だから、学校の先生に心ない言葉を投げられても、軍に入隊して負傷兵への対処の仕方でバカにされても「彼らは最後は英雄になるのだから」と安心して見ていられる。

でも、素人にしてはうまい、とか、実話ならではの面白さとか、そういうところばかり楽しめるというのは映画としていかがなものか。


マシンガン不発
だって、映画の一番の見せ場である「主人公がテロリストめがけてタックルする場面」。あそこでテロリストがマシンガンの引き金を引きますがなぜか不発。首尾よくタックルが成功して彼らは英雄になれたわけですが、あそこでもし撃たれていたらどうなっていたか。

そこをもっと突っ込まないといけないと思います。

もし不発じゃなかったら彼らの家族は周りから何と言われたか。教師たちは「だからあのとき薬を飲んでおけばよかったのよ」とでも言ったか。軍の上官たちは「ほら、言わんこっちゃない。そもそもあいつは軍人に向いてなかった」とでも言ったか。それとも、英雄になり損ねた悲劇の小市民として悼まれたか。
マスコミの反応はどうだったか。マシンガンを構えているテロリストに丸腰で肉弾戦を挑むなど愚の骨頂だと非難されなかっただろうか。

などなど、SF的な想像力をめぐらして、もしあのとき不発じゃなかったら、という物語を作ることもできたはずなんですよね。

英雄になれなかった、ありえたかもしれないもうひとつの物語

それを現実に英雄になれた本人たちが演じる。そのほうが「事件の当事者を起用する」ことの意味も意義もあったんじゃないか。

この映画は私は楽しめました。それは本人たちが出演しているとか最近のイーストウッドは実話の映画化が多いとかの事前情報と、それなりに映画を見てきたからセリフつなぎが多いことに気づけたとか、あくまでもそういう理由によるものであって、決して子どもの頃に『ガントレット』を見たときのような「映画そのものの力」に感動したわけじゃない。

実際、本人たちが出演していると知らなかったうちの両親はあまり楽しめなかったそうです。