もうじき発表されるアカデミー賞で脚本賞にノミネートされている『ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ』を見てきたんですが、これがめちゃんこ面白かった!!!


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予告編を見たかぎりでは、
「熱烈に愛し合ったパキスタン人の男とアメリカ人の女が宗教の壁を乗り越える」という現代版『ロミオとジュリエット』だと思っていました。でもぜんぜん違うんですね。

2年前に『マジカル・ガール』という映画がありました。芝山幹郎さんが「ナックルボールの連投」という独特の言い回しで批判していましたが、この『ビッグ・シック』にはナックルボールはありません。かといって『ロミオとジュリエット』のような剛速球でもない。直球にほどよくカーブやフォークなどありふれた変化球を織り交ぜたナイスピッチングな一品に仕上がっています。


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この二人のラブストーリーには違いないし、違う国、違う宗教という壁が立ちはだかるというのも確かにその通りなんですけど、予想と違ったのは、まず、この二人がそれほど熱烈に愛し合っているわけではない、ということです。

主人公クメイルはコメディアン志望の男で、厳格なイスラム教の家庭で育った人間ですが、アッラーに祈りを捧げるふりをしてゲームをするような不信心者です。パキスタンでは親が見つけてきた相手と見合い結婚するのが習わしで母親が何人もの女を連れてきますが、クメイルは見合い結婚なんかハナからする気がない。

舞台を見に来たエミリーという女とすぐベッドインしてしまうんですが、このエミリーも「いまは誰ともつきあう気がない」という女で、実はバツイチ。それを隠していたくせにクメイルが何度も見合いしていることを知ると激怒して別れるハメに。

愛し合った男女に壁が立ちはだかるんじゃなくて、男が女にそっぽを向かれてしまう話なんですね。イスラム教徒とキリスト教徒。アメリカ人と移民の子。という現代的な仕掛けを施しておきながら、実はメインプロットに宗教や政治はさほど関係してこないのが一番の変化球。

クメイルが他の女と寝ていると電話がかかってきて「エミリーが重病でERにいる」と。ここからエミリーの両親が出てきて、9・11の話で険悪な空気になったりするんですが、クメイルの舞台を見に行くと「アイシスに入れ!」と叫ぶ不届きな客がいて、エミリーの両親は彼と大喧嘩し、一気にクメイルとの距離が縮まります。

ここはちょいと残念でした。宗教や政治が障害になるのならいいんですが、逆に主人公にとって都合のいいアイテムと化してしまっています。

でもそれはこの映画にとって小さな瑕疵です。

ここからエミリーの意識が戻り、縒りを戻し、クメイルの両親も彼らの結婚を祝福する。という流れだろうと予想したら、また裏切られます。

エミリーの両親と話をし、意識の戻らないエミリーを見つめているとクメイルは次第にエミリーを心から愛していることに気づきます。そしてエミリーの意識が戻ります。でも、クメイルのことが許せず「出てって!」と言うばかり。
しかも見合い結婚をする気もなく礼拝もせず白人女とデキていたと知った両親は激怒し、コメディアンとして大成するためにニューヨークへ行くというクメイルに対して、父親は涙ぐみながらも「最後の別れだ」と言い残し、クメイルのことを決して許さず目も合わせようとしない母親と一緒に去っていきます。

何と! 主人公と両親は和解しないのでした。イスラム教徒がキリスト教徒を絶対に受け容れないというなかなか過激な展開ですね。これもなかなかの変化球。

で、ニューヨークで舞台に立つクメイルの前に再度観客としてエミリーが現れ、ボーイ・ミーツ・ガールの物語は幕を閉じます。これが実話と知って驚きました。別に実話だからといって映画の価値が高まるわけではないし、完全なフィクションだからといって映画の価値が下がるわけでもないですが、神を信じていないイスラム教徒とか、キリスト教徒との結婚を絶対に許さないイスラム教徒とか、そういうなかなか(映画としては)発想しづらい「変化球」は実話だから可能だったのですね。なるほど。

『マジカル・ガール』のナックルボールは確かにしっくり来ませんでした。『スリー・ビルボード』のような大リーグボール級の変化球も好きになれません。

でも、この『ビッグ・シック』のような、ボーイ・ミーツ・ガールという古典的な直球にほどよい変化球が織り交ぜられたのが自分の好みということをいまさらながら再確認させてもらったのでした。