もうすぐ発表されるアカデミー賞で話題をさらっているのが、とうとうあのロジャー・ディーキンズが撮影賞を受賞するのか!? ということで、組合賞も獲ってるからかなり確率は高いと思われます。が、対象作品である『ブレードランナー2049』の撮影がものすごくよかったかというと、私は決してそんなことはないと思います。

確かに「さすがロジャー・ディーキンズ!!」と喝采を贈ったカットも少なくありませんでした。が……

今日見てきた『ビガイルド 欲望のめざめ』でも同じことを感じました。(撮影監督はロジャー・ディーキンスではなくフィリップ・ル・スールという人です)


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これは昼間の場面です。南北戦争の頃なので電灯というものがない。窓から入ってきた日光を背にしているので役者の顔に充分な光が当たるはずがない。というリアリズムなのでしょう。

『ブレードランナー2049』でも同じように役者の顔に光を当てていない場面がたくさんありました。表情が読めないのでイライラしました。カメラマンが異なる『メッセージ』も同じ画調でしたから、間違いなく監督の指示なのでしょう。いずれにしても私はあのような照明プランに撮影賞を与えてはいけないと思います。

『ビガイルド』に話を戻すと、夜の場面はこうなります。

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ろうそくの炎しか光源がないはずなのにこの光の具合は完全におかしいですよね。リアリズムで行くなら、役者の顔がやっと映るぐらいでバックはほとんど映らないんじゃないでしょうか。何でエル・ファニングの肩の後ろやスカートのあたりが映るんだろう、と。

コリン・ファレルが階段から転落するシーンでも、月光がものすごく明るいですよね。なのに昼間の日光はそれほど強く感じられない。

だから、この映画は昼間はリアリズムで、夜間になると反リアリズムになっていると思われます。それなら、昼間の場面でももうちょっと役者の顔に光を当てる反リアリズムの照明でよかったのでは?

どうしてもそれが嫌なら、


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この場面なら、役者を窓に向けて芝居させたらよかったんじゃないでしょうか。

どうにもイライラしました。

役者(特に女優)の衣裳はほとんど白を基調にしたものでしたよね。あれはおそらく白に近い色のほうが弱い光でもちゃんと映るという計算なのでしょうが、ソフィア・コッポラは過去にまさに衣裳が主役のような『マリー・アントワネット』という映画を撮っています。この映画でも生きた人間より衣裳を見せることが主眼になっているようで真面目に見る気がどんどん失せてしまいました。

ニコール・キッドマンのような尋常じゃない美しさをもつ女優を配したのなら、リアリズムを捨てるべきだったと思います。現に夜のシーンは捨ててますから。どっちかにしてよ! と。



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