ウディアレン

ウディ・アレンが養女に性的虐待をしていたことに対して、彼の映画に出演した俳優たちがこぞって「出演を後悔している」「この事実を知っていたら出演しなかった」とコメントを出しているニュースが世界中を駆け巡っています。もうアレンのキャリアは終わったという人もいます。

ハーベイ・ワインスタインのセクハラ+パワハラでの永久追放を可能にした「MeToo運動」ですが、これはもはや魔女狩りになってきたと私には感じられます。

ただし、ウディ・アレンが魔女狩りに遭っていると言いたいわけではありません。そうではなくて……

流れを整理しましょう。

この記事を見てください。⇒ウディ・アレンから性的虐待…養女が告白

すでに4年も前に当の養女が性的虐待を告発してるんですよね。それにもっと遡れば、1992年にミア・ファローと離婚する際にも性的虐待疑惑は報じられていました。

92年の段階ではまだ疑惑にすぎなかったから百歩譲って「知らなかった」で済ませてもいいでしょうが、4年前の時点では明らかだったわけですよね。あのときも「アレンはもう終わったか」みたいな論調がありました。

でも、結局終わりにならなかった。それは彼の映画に出た俳優たちがいたということです。少なくとも2014年以降の出演者は何も言えないのでは?

ブリジット・バルドーのように「性的に誘惑して役をもらっておいていまさら言うな」みたいなことを言うつもりはありません。カトリーヌ・ドヌーブの言葉には「よくぞ言った!」と思いましたが、バルドーの言葉は少しも響いてきません。
ハーベイ・ワインスタインなどはかなりの権力者だったのだから、拒否すればもう映画に出られないかもしれないわけで、サルマ・ハエックが『フリーダ』に関するワインスタインとのあれこれを記した手記を読むのは胸が痛みました。

でも、ウディ・アレンはそこまでの力はないのだから、嫌なら出演拒否すればよかったんじゃないの? と普通に思いますね。

繰り返し言いますが、私は「ウディ・アレンが魔女狩りに遭っている」と言いたいわけではありません。性的虐待は十中八九事実だと思うし、一人の人間の未来を奪った罪は重い。



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ウディ・アレンじゃなくて、MeToo運動に加担している人たちが魔女狩りに遭っていると思うのです。

この問題に関して、「いまはウディ・アレンを非難せねばならない。彼を擁護することは許せない」という同調圧力が働いて上記のようなコメントが出ているのではないか。

つまり、MeToo運動に賛同しない者が魔女狩りに遭うようになってしまった。

コリン・ファースは、虐待の一報を聞いて数時間後に「もう彼の映画には出ない」と言ったらしいですが、どう考えてもそんな短時間ではその一報が事実かどうかわかりませんよね。そんな状態で出演拒否声明を出すというのは、無意識に魔女狩りに遭いたくない、もっといえば、アレンを非難する側にいれば安全だという計算も働いているはずです。あくまでも無意識に、ですよ。コリン・ファースがそんな狡賢い計算をする人間だとは少しも思っていません。

しかし人間は弱い。どうしても「いまどう行動すれば一番得か」を考えてしまう。今回の問題で一番悪いのはウディ・アレンでしょうが、「正義」を振りかざしている人たちのほうが私には恐ろしい。

そりゃ、心からの正義感や善意からウディ・アレンを非難している人たちも多数いるでしょう。でも「地獄への道は善意によって舗装されている」という有名な言葉があります。「正義」というものはそれほどまでにたちが悪い。

現在のMeToo運動は、運動を推進している人々が魔女狩りの加害者であり被害者でもあるという「自作自演」の様相を呈してきました。自分が被害者にならないよう無意識に加害者の側に回ろうとする。いくら正しいお題目をかざしていても、結局のところ人間とはそういうものです。

こうなってくると、日本の不倫バッシングと同じで「新たな獲物」を探し求めることになります。ドヌーブだって「獲物」の一人だったわけですよね?

はたして、この運動はどこにどういう形で落とし込まれるのでしょうか。