ちょっと前から、映画人志望者なのに『サイコ』を見たことのない人が過半を占めたというようなことが話題になりますよね。
昨日も大寺眞輔という映画評論家の「映画人志望者のなかで『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を見てない/知らない人があまりに多いことに驚いた」旨のツイートを読みました。



8223381642_b96959a911


映画を作ろうという人間が過去の名作映画に通暁していなくてどうする!! と言いたいんでしょうが、これは一面の真理を言い当ててはいますが、一面にすぎないんですね。

なぜなら、ほとんど映画を見ていないのに傑作を撮った人を私は現実に知っているからです。

その人と喋っていたら、ほんとにまったくと言っていいほど映画を見ていないことがわかりました。そんなので映画作れるの? とそのときは思いましたが、その人の映画がテアトル新宿で上映されるというので見に行って驚きました。

過去の名作映画に通暁しているとしか思えない脚本構成と演出ぶりだったからです。なぜ映画を見ていないのにモンタージュ理論を身につけられたのか皆目わかりませんが、実際にそういう人がいる以上、「過去の名作映画に通暁していないと映画を作ることなどできない」などという言説は短見と言わざるをえません。

「才能」とはそういうものなのです。努力して得られるものではありません。


img_2


大寺眞輔という人は評論家だから、映画を見ていない映画人志望者(誤解している人が大勢いますが「映画人」とは「映画を実作する人」のことであって、批評家は映画人ではありません)に対して呆れ返るのもわかります。映画人より評論家のほうがたくさん映画を見てますから、見てない人はよけい「映画的教養に欠ける」ように感じられるのでしょう。

問題なのは、この一面の真理だけ突いている言説を、当の映画人志望者が口にしてしまうことです。



movie-theater



まだあまり映画を見ていない映画人志望者が映画的教養を高めようと貪るように見るのはとてもいいことです。

しかしながら、ある程度見ているのに「映画を作るためには見ていなければならない」という言葉を大事にしすぎるのはとても危険です。

だって、見ないで傑作を撮ってしまえる人が現にいるのですから。彼らに追いつくためには、映画を見る時間をすべて脚本を書いたり実際に撮る時間に変えていかねばならない。

だけど、映画人志望者はたいてい大の映画ファンだから、映画を見たい欲望に負けて、「見なければ作れない」という言葉を言い訳にして今日も映画を見てしまうのです。

なぜこんなことが言えるかというと、私自身がそうだったからです。

評論家が「もっと見ろ」というのはかまいません。が、映画人志望者が「もっと見なくちゃ」と自らに言い聞かせるのは諸刃の剣です。非常に危険です。

それに、映画の知識が増えると、隠れた名作というものを次々に知ってしまうので、「もっと見なくちゃ」という気持ちに拍車がかかってしまうのです。これも非常に危険です。


最後に、映画を見ることについて、映画人たちの名言をご紹介しましょう。


「私は映画というものをまったく知らなかった。だからこそ『映画とは何ぞや』と必死に考えた」(大島渚)

「100本の映画を1回ずつ見るより、1本の映画を100回見たほうが真実が見えてくる気がする」(宮藤官九郎)

「映画を見るな」(じんのひろあき)