TanakaTokuzou

映画監督の田中徳三さんが亡くなって、早くも10年もの時がたとうとしています。

『悪名』シリーズや『兵隊やくざ』シリーズ、『大殺陣 雄呂血』など代表作のある田中徳三さんは、私にとって「映画監督」ではありません。あくまでも「一期一会の人」なのです。

話は90年代前半に遡ります。ある映画専門学校の受験者と面接官という立場で、私と田中さんは出逢いました。

撮影所の所長さんと二人で鋭い目で睨んできて、最初はかなりビビりました。でも田中さんはまったく口を開かない。所長さんの意地悪な質問にできるだけハキハキ答えながらチラチラと田中さんを見ると、ただじろっと睨んでくるだけ。

「君はなぜ大学に行かなかったのかね」と所長さんの質問。

来るべき質問が来た。
本当は適当にごまかす答えを考えて行ったんです。でも、根がバカ正直なので口から出てこない。正直に言ってしまいました。

「いい大学に入っていい会社に入る。そのような人生にいったい何の意味があるのかわからなくなりました。すべてがむなしく思え、死のうとしましたが、死ねませんでした」

もう落ちてもいいと思ったのです。嘘をついて受かるぐらいなら正直に言って落ちたほうがいい、と。

そのとき、ずっと黙っていた田中さんが口を開きました。

「君のような、まだ若いのに厭世的な考えをもっている人がこれから映画をやろうというのは、僕はとても面白いと思う」

救われたと思いました。もう落ちてもいいと思いました。こんな温かい言葉をかけていただけたのなら。

そして、田中さんは温かいだけでなく厳しい人でもありました。

「君の作文だけれども、非常に幼いね。うん、幼い。しかしね、何かをやろうという気持ちは十二分に伝わってくる」

うれしかった。合格か不合格か、そんなことはもう本当にどうでもいい。

後日、配達されてきた結果通知には、第一志望のディレクターコースは不合格でしたが、第二志望のほうで合格でした。

田中さんが推してくれたのだと思いました。そうじゃないかもしれないけれど、そう思うことにしました。そう思うことが、あのときの私のアイデンティティでした。

それから田中さんとは一回もお会いしないまま…。田中さんが特別講師として教壇に立つことを期待しましたが、一度もありませんでした。言葉を交わし、見つめ合ったのは、あのとき一度だけです。

だから「一期一会の人」なのです。
だからこそ、私は「田中徳三監督」ではなく「田中徳三さん」と呼ぶことにしています。

訃報を聞いて呆然となってからもう10年。その間にコンクールで受賞し、上京するも都落ちするなど紆余曲折がありましたが、田中さんのおっしゃった「何かをやろうとする気持ち」だけはいまだにもっているという往生際の悪さ。

でも、おそらく田中さんは笑って許してくださるでしょう。

「君のような、まだ若いのに厭世的な考えをもっている人がこれから映画をやろうというのは、僕はとても面白いと思う」

田中さん、私はあなたのこの言葉を胸に、これからも生きていくつもりです。

いつまでも安らかに。