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話題沸騰中の、藤井秀剛監督『狂覗』を見てきました。

この映画を見ている間ずっと頭の中をぐるぐるしていたのが、ある高名な脚本家に言われた言葉でした。

「いじめとか自殺とかDVとか、そういうのなしで話を作れないのか」

という言葉です。

この『狂覗』では、まさに、そのようないじめや自殺が横行していて、どうしてもあの言葉がいまだに重くのしかかっているからか、「こういうのを見たいんじゃないんだ」という思いから逃れられませんでした。

いくら高名な方から言われた言葉であっても同意できなければ気にしませんが、激しく同意できてしまったのでね。これはいい悪いの問題ではなく、単なる主観の問題です。

その高名な脚本家の言葉を借りれば、

「三面記事に載るような事件で転がる話は見たくない」

のです。


そして、ここからが本当に言いたいことなんですが、




kyoushi


この教師たちは「自分たちが悪事を働いている」という自覚をもってますよね。悪事には違いないが生徒のためだ、学校の秩序維持のためだ、つまり必要悪なのだ、と。

ここが決定的につまらないと思いました。

「地獄への道は善意によって舗装されている」

という有名な言葉がありますけれど、この映画で描かれる「悪意によって舗装された道」は、私には「地獄への道」とは感じられませんでした。

率直に申し上げて、最後のカタストロフが「喜劇」にしか見えなかったんです。

逆のほうがいいと思うんですよね。

つまり、教師たちが必要悪ではなく、自分たちのやっていることは「絶対的な善」だと思い込んでいる設定ということです。

新藤兼人&川島雄三の大傑作『しとやかな獣』みたいに、悪意のかけらもない者どもの言動が地獄を招くように、「生徒のためだ」と100%信じ込んでいるアホな教師たちの喜劇的な言動が最終的に「地獄」を招き寄せる、という。

それも結局、私が喜劇的アプローチが好きだという好みの問題のような気もしますが、いずれにしても、この『狂覗』は残念ながら私の見たい映画ではありませんでした。