昔から、幕末の「尊王攘夷」というのがよくわからなかったんです。


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「尊王」って、天皇に実権を戻して親政をしてもらおうという思想でしょ。
対して、「攘夷」とは、「夷」つまり「外国」=「日本ならざるもの」をやっつけるということですよね。「夷狄」「蝦夷」の「夷」ですね。

黒船が来る前から「倒幕派」と言われる人たちがいて、彼らはもちろん「尊皇派」です。それに対して幕府に味方するのが「佐幕派」。
一方、「攘夷派」に対抗する思想は何かというと、言うまでもなく「開国派」ですよね。

だから、


倒幕派⇔佐幕派
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攘夷派⇔開国派


横の対立は当たり前だけれども、なぜ上下の縦線が結びつくのか。

だって、尊王=倒幕というのはあくまでも内政問題。攘夷か開国かは外交問題でしょ。なのに、なぜこの二つが合体したのか。

佐藤優さんの『学生を戦地へ送るには 田辺元「悪魔の京大講義」を読む』を読んでその謎が解けました。




博覧強記の著者による解説では次の通りです。

幕府の最高権力者は「将軍」だけれども、それはあくまでも略称であって、正式には「征夷大将軍」という。初代征夷大将軍の名前は坂上田村麻呂。


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征夷大将軍とは、東北の夷狄やアイヌをやっつけて朝廷を守れと天皇から任命された人のこと。日本ならざるものをやっつけるのがこの人の役目。

なのに、黒船でペリーがやってきたとき、徳川将軍は朝廷に内緒で勝手に友好条約を結んでしまった。

「日本ならざるものをやっつけるのが主たる任務であるはずの征夷大将軍が何をやっている! やはり徳川に日本の行く末は任せられない。俺たちが代わりに攘夷してやる!」

という声が沸き起こって倒幕派と攘夷派が結びついた、ということらしいのです。


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えらく単純なことなのに、いまのいままでわからなかったとは。恥ずかしいかぎり。