久しぶりにリチャード・フライシャー監督の『マンディンゴ』を見て興奮しまくってます。





まだ白人が黒人を奴隷として使役することが合法だったアメリカ南部を舞台にしたキワモノ映画ですが、これが実に素晴らしい!

上の画像が象徴的ですが、傲慢な農場主ジェームズ・メイスンがいて、その息子ペリー・キングとその妻スーザン・ジョージ、そして彼らが競売で手に入れたマンディンゴ(格闘用奴隷)のケン・ノートンを軸に物語が展開されるのですが、黒沢清監督が言うところの「映画の原理」と「世界の原理」の覇権闘争がとりわけ面白いのです。



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どういうことかというと、ジェームズ・メイスンやペリー・キングは黒人を奴隷として自分たちの思うがままに酷使し、その根底には蔑視の気持ちがあります。それが当時のアメリカ南部の白人として当然の姿でした。ですが、黒人を蔑視しながらも、何度も死闘を制するケン・ノートンに対してペリー・キングが抱いている感情は、ただの「主人」としてのものだけではありません。「いくら金を積まれてもこいつだけは絶対に売らない」というセリフからも明らかなように、彼はこの黒人に同胞愛のようなものを感じています。

ジェームズ・メイスンですら、ケン・ノートンと別の女奴隷の間に子どもが生まれたとき、「黒い虫にしか見えん」と言いながら、好々爺のような目で赤ん坊を見つめていました。やはり同じ人間として赤ん坊はかわいいのですね。

ケン・ノートンだって主人のペリー・キングを尊敬しているし(あの言葉は嘘ではないでしょう)ケン・ノートンが黒人との格闘を制して主人を儲からせたとき、同じ黒人として彼を非難して処刑された奴隷もいましたが、主人付きの女奴隷などは、勝って帰ってきたと知って喜びを隠せない表情を見せます。同じ黒人でもリアクションが真逆です。

「奴隷制は、白人対黒人の図式であって、白人はみな黒人を蔑視し、黒人はみな白人を憎んでいる」というのが「映画の原理」でしょう。

とはいえ、この映画が描いているように、白人だからといって必ずしも黒人を100%蔑視しているわけではないし、黒人だからといって100%白人を敵視しているわけでもありません。それが「世界の原理」です。

結局、妻のスーザン・ジョージに子を産ませた(というか誘惑されたから悪いのは妻のほうですが)ケン・ノートンをペリー・キングが殺し、激怒した他の奴隷がジェームズ・メイスンを射殺してこのキワモノ映画は幕を閉じます。

白人が黒人を殺し、黒人が白人を殺す、という「映画の原理」の勝利によって高らかと凱歌を謳いあげるところがこの映画の爽快さです。世界の原理を尊重しながらも、最終的には映画の原理が勝利せねばならない。それが「映画」なのだという断言は感動的です。

一方で、数年前に同じ黒人奴隷を題材にしたこんな映画がありました。



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クエンティン・タランティーノ監督の『ジャンゴ 繋がれざる者』。

この映画では、「白人はみな黒人を蔑視し、黒人はみな白人を憎んでいる」という映画の原理が最初から最後まで優位です。



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魅力的な悪役を演じるレオナルド・ディカプリオに顕著なように、彼には黒人の赤ん坊を好々爺のように見つめるジェームズ・メイスンのような資質がまったくない人物として造形されています。登場シーンから殺されるシーンまで彼は一切変化しません。



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確かに、奴隷頭を演じたサミュエル・L・ジャクソンのように、黒人を差別する黒人というは新鮮でした。スパイク・リー監督の『ゲット・オン・ザ・バス』にも出てきましたよね、この手の奴。

『マンディンゴ』より『ジャンゴ』のほうがすぐれていると思われるのは、この奴隷頭の存在だけでしょう。

しかし、この奴隷頭ですら、肌は黒いけれど白人と同じ暮らしをし、同じように黒人を差別し、同じように主人公の激怒を買って白人たちと一緒に殺されるのですから、結局、彼は「白人」の役割しか担っていません。そして彼も最後まで一切変化しません。黒人なのだから少しくらい主人公に同情的な面を見せてもいいのに、そんな場面は少しもない。

主人公ジェイミー・フォックスのメンター的役割をもつクリストフ・ヴァルツは白人ですが、アメリカ人ではなくドイツ人で奴隷制をナンセンスなものと思っているようです。つまり彼は徹頭徹尾黒人側として描かれている。

この映画には、白人側だけど黒人に魅力を感じる人や、黒人側だけど白人を尊敬する人など一人も出てこない。


読書について


ショーペンハウエルの『読書について』という本は決して読書を称揚するような内容ではなく、逆にあまり読んじゃいけないよ、ということが繰り返し語られています。

「本当の思想家とは、書物をたくさん読んだ人ではなく、世界という書物を直接読んだ人のことである」と。

タランティーノはおそらく「映画を見すぎ」なのです。だから『ジャンゴ』のような善が悪を駆逐する痛快な映画を作れはしても、『マンディンゴ』のような深さをもった映画には遠く及ばない。

100%の善人、100%の悪人など映画の中にしか存在しませんから。