これはゾンビ映画というより正確には吸血鬼映画なのかもしれませんが(だって死なないのに感染してるもの)先日亡くなったゾンビ映画の創始者ジョージ・A・ロメロに対するいい供養になってますね。大傑作だと思います。(以下ネタバレあります)


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ロメロの追悼として、先月こんな日記を書きました。⇒「妊婦」のコードを破ってみせたロメロ

『ゾンビ』では、妊婦として登場した女性が、そのまま流産も出産もすることなく妊婦のまま物語から退場したことは画期的だった、という主旨です。

驚くべきことに、ロメロが死んだ今年に登場したこの『新感染 ファイナル・エクスプレス』でも妊婦が登場します。

上の画像の先頭の強そうなおっさん(この役者が実にいい!)の奥さんがそうです。


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お腹押さえて走ってますよね。
そしてさらに驚くべきことに、この妊婦さん、最後まで流産も出産もしないんです。破水してクライシスを招くとか、咬まれたあとにひそかに出産して、その赤ちゃんが半ゾンビとして(『アイアムアヒーロー』の有村架純みたく)物語に新しい転回をもたらすとか、いろいろ手はあっただろうに、この映画のつくり手たちはそのどの手も使わなかった。

私としては、最後、生き残った主人公の娘と妊婦さんに射殺命令が下ったとき(『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』のうまいパクリでした!)妊婦さんが横向いて、出っ張ったお腹を見た狙撃兵が「妊娠してるようですよ」「撃つな!」みたいな幕切れを期待したんですけどね。子どもの歌というのはちょっとがっかりしました。

というか、妊婦を「記号」から解放し、一個の「人格」として扱ったロメロに倣うなら、その前のシーン、咬まれた主人公が別れの前に「おそらくこれがブレーキだ」と教えるじゃないですか。あのセリフをなぜ活かさなかったんだと。

つまり、機関車がもう前へ進めないとなったときに、運転席に座っている妊婦が主人公の思いが託されたブレーキを引いて、機関車を止めると同時に物語自体を終わらせる。物語を盛り上げる役目を担っていた妊婦が、物語を終息させる。それぐらいのことをして初めて「ロメロのパロディ」から「ロメロからの脱皮」へ昇華できたんじゃないかと思うんですが、いかがでしょうか。


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何にしても、「妊婦のコードを破る」というロメロと同じ手を使ったこの映画は、ロメロが亡くなった2017年にふさわしい傑作だと思います。(製作されたのは去年のようですが、まぁ固いことはやめましょ)




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