まずはシャルリー・エブド事件の話から始めましょう。


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あれはもう3年くらい前ですかね。フランスの「シャルリー・エブド」という新聞がムハンマドの風刺画(というよりあれは単なる愚弄画でしたが)を掲載してテロリストの仕返しを受けた事件がありました。
あれに対して「私たちはみんなシャルリー」というデモが起きて世界中で議論が湧きあがりましたが、あれってフランス特有の現象らしいですね。

敬虔なクリスチャンとして有名な佐藤優氏によると、ロシアなどでは宗教に関するあのような表現は厳しく罰せられるとか。

フランス革命の国では、国家と宗教を峻別することを国是としているため、あのような愚弄画を掲載する自由があるそうです。
一方で、学校の授業で宗教について教えてはいけないとか。イスラム教徒のブルカを一切認めないというニュースも世界を賑わしましたが、あの国では公式には宗教というものは「なかったこと」になっているらしい。イスラム教徒も存在しないし、その教義ももともと「ない」ものなんだと。そんなバカな!


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ジャズ奏者の日野皓正氏の公衆の面前での往復ビンタが批判にさらされていますが、その批判の急先鋒である尾木ママは、

「体罰はどんな状況であっても許されない」

と発言しています。

この国では、体罰は絶対に許されないと。

これっておかしいですよね?

そもそも「絶対」なんてものはこの世に存在しないことを教えるのが教育者の務めではないの? 絶対に宗教を教えてはならない、というフランスの馬鹿げた国是と相似形をなしてやいませんか?

「臭いものに蓋をする」という言葉がありますが、いま体罰は完全に「臭いもの」になってる気がします。そして、誰もそれを疑わない。

これはもうほとんど「全体主義」す。


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昨日のワイドナショーでは、この問題を取り上げて、

松本は、
「いまは体罰が許されない時代じゃないんだ、というけど、なぜ昔は許されていまはダメなの? 納得のいく説明を誰もしてくれない。体罰を受けた僕たちは少しもひねくれた人間になっていない」

私も体罰を受けたことがある人間ですが、別に普通の人なんじゃない? とよく言われるし、体罰を受けたのは「自分のほうが悪かったからだ」といまでは思っていますよ。

宮澤エマは、
「あの生徒は完全に演奏に入り込んでしまっていたからスティックを奪われたあとも手で演奏を続けようとしたのか、それとも、もともと日野さんと何かあって反抗的に続けようとしたのかによっても答えは違ってくると思うし、日野さんも日頃からこういうことをやってるからその延長でビンタしたのか、それとも公衆の面前だからこそビンタをして教育効果を狙ったのかでも違ってくる」

というように、様々な意見が出て、とても健全な議論になっていましたが、どうもこの国で体罰に関しては、フランスにおける宗教と同じで、議論すること自体がナンセンスみたいになってるのがどうにも苛立たしいかぎりです。

絶対にダメと臭いものに蓋をするんじゃなくて、
「世の中はすべてグレーゾーンである。君たちはこの問題をどう考えるか」
と問うのが教育者の役割なんじゃないんですか? 

それをいまはお笑い芸人が代わりにやっている。世も末とはこのことですな。(この本が参考になるかもしれません↓)


悪魔の神話学
高橋 義人
岩波書店
2018-06-23



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