深井智朗という哲学博士による『プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで』(中公新書)を読んで無類の知的興奮を感じています。
そして同時に、デビュー以来29連勝という金字塔を打ち立てた、稀代の天才棋士・藤井聡太四段の活躍にも。


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マルティン・ルターの宗教改革の実情とはどんなものだったか。

中学や高校で習った「免罪符」という訳語は間違いだそうです。「贖宥状」なんですって。

いずれにしても、まだ印刷技術が発明されていなかった16世紀初頭のヨーロッパにおいて、聖書を読んだことのある人は限られており、バチカンの法王の聖書解釈がそのままカトリック信徒たちの守るべき教義だったそうですが、ルターはそれに異を唱え、聖書に書いてあることに返りましょうよと、当時としてはかなりラディカルな問いかけをしたわけです。

そして、カトリックへのカウンターとしてのプロテスタント(「抗議」の意)という教派ができるわけですが、ここで問題なのは、プロテスタント=ルター派というわけではない、ということなのですね。

上の画像にもあるように、同じプロテスタントにも保守主義とリベラルとがあり、ルター派は保守主義に属するそうです。

ルターが保守主義だって? 当時絶対的権威だった法王に楯突いたのに⁉ という疑問が湧くでしょうが、著者の論は単純にして明快。
カトリックとは何かというと、生まれると同時に洗礼を施される、つまり、親と同じ教派を受け継ぐ、あるいは、生まれた地域がカトリックならその人はカトリックという、著者の喩えをそのまま借りれば、公立学校みたいなものであり、自分自身で選ぶことができないと。

ルターは贖宥状を否定し、聖書の教えを絶対とする抗議をして新しい宗派を生み出しはしたものの、このあたかも公立学校のような形は残ったと。ひとつの政治的支配領域にひとつの宗教、つまりはひとつの国家にひとつの教会という形態を保持した点において保守主義なんだとか。これを「古プロテスタンティズム」というらしいです。

一方、リベラルなプロテスタンティズム(=新プロテスタンティズム)はどういうものかというと、「洗礼主義」と言われるように、生まれたときに洗礼するのではなく、自分がどの宗派の洗礼を受けるかを自分で決める。だから国境線がどこを走っているかなんてことに関係なく、好き勝手に教会を、公立学校ではなく私立学校のように作ることが可能、と。

古プロテスタンティズムは19世紀初頭に統一を果たしたドイツに根づき、新プロテスタンティズムはアメリカにおいて強烈に根づいたと。

どうも著者のもっとも言いたいことは、アメリカという特異な国の心性のようですが、私の興味はルター派のほうです。

ルター派はナチスが台頭してきたとき、諸手を挙げて歓迎したわけでもないけれど、否定したわけでもなかったそうです。ひとつの国家にひとつの教会。それを実現するためには「王」が必要だ、というのがルター派の考え方だったらしいのです。
ルター派はヒトラーを新しい「王」として迎え入れようとした、ということなのでしょう。

前置きが長くなりました。


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本題はこの人の話なんですが、続きは明日にでも。

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そう、「王」です。

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②「神」をめぐって