人は誰でも、『ブレードランナー』のレプリカントたちと同じ欲求をもっています。
クライマックスで、死にゆくルトガー・ハウアーを見つめながら語られるハリソン・フォードのあの素晴らしいナレーション「彼は自分のことを知りたがった。どこから来て、どこへ行くのか。人間も同じなのだ」に感動しない人間を私は容易には信用しません。

それはともかく、なぜか理由はわかりませんが、昨日仕事中に「狼の語源は『大神』だった」という何かの本で読んだ知識を思い出しまして。

それからつらつらいろんなことが頭の中を駆け巡り、古代の人間がなぜ狼を飼い馴らして犬を生み出したのかがわかったような気がしました。


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狼が大神、つまり神様だったというのは日本だけなのか東洋全体のことなのかはよく知りません。ただ、西洋では狼は恐れるべき存在であり、駆除せねばならない対象だったのと違い、日本では田畑を荒らす鹿などを食ってくれる「益獣」と思われていたそうで、それで神様として崇められていたんだとか。

私は「歴史」というものにもともと関心があるほうですが、特に古代に執着しています。なぜなら、そこに人間の無意識を読み込むことができるから。近代以降の文学は、「意識」というものがあることを知った人間が書いているから、それらをいくら読んでも「人間の本当の姿=無意識」に触れることはできないと思っています。

古代の神話や伝説を読んでこそ人間の本当の姿がわかる。だから21世紀以降の文学や映画だって、「神話」でなければならない。神話的エネルギーに満ちた物語を読みたい/見たい。

それは「どこから来て、どこへ行くのか、自分のことを知りたがった」哀しいレプリカントたちとまったく同じ欲求といっていいでしょう。


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聖書や古事記には人類創世や国造りの神話が語られていますが、どこの神話でも「神が世界やこの国を造った」ということになっています。

私自身は「神」の存在を信じていますが、キリスト教やイスラム教みたいに人間と同じ姿の神様がいるなんて少しも信じていません。骨の髄まで日本人なので八百万の神々を信じているだけ。

しかし信じているといっても、やはり、神が人を造ったのではなく、神が降臨してこの国を治めるようになったのでもなく、「人が神を造った、この国を治めるための口実として神を利用している」というのが真実である、という醒めた思いもあります。

誰もがそう思いながらも、心のどこかで神頼みをしてしまう。

だから、この全宇宙を見渡している超越的存在が我々を造ったという転倒した論理を編み出さねばならなかったのでしょう。


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だから犬が誕生したんじゃないか、というのが私の考えです。

大神の「大」とは「聖なる」という意味だそうですが、ともかく、神である狼を飼い馴らす。それは、神が人間を造り、神が命令して人間がそれに従うという転倒した論理をさらに引っくり返そうという古代人のもがきだったんじゃないか。

神を飼い馴らし、家畜化して自分たちの子分にする。

神が人間を造ったというフィクションを必要としながら、それを否定したい哀しい葛藤を感じます。

西洋では狼は神ではなかったというのは先述したとおりですが、人間を上回る力をもった超越的存在という点では一緒でしょう。まぁこのへんはかなり牽強付会の感を否めませんが。

とりあえず、神話や宗教に並々ならぬ関心をもつ私がなぜ犬好きなのかはわかった気がしました。




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