昨日のクローズアップ現代プラス『怖い鬼は厳禁⁉ ほめられ世代どう叱る?』を見て笑っちゃいましたが、いや、笑いごとじゃないぞ、とも思いました。

ゆとり世代とかさとり世代とか言われる世代の人間が叱られることに慣れていず、叱られるとすぐ辞めてしまうので、叱るのではなくほめて育てようという企業が急増中だとか。

私自身が叱られるよりほめられたほうが伸びるタイプだと思うので、そのこと自体は特にいいとも悪いとも思いませんが、ほめ方研修を受けてる上司の人たちって、まずちゃんとした叱り方をしてたんだろうか、という疑問が湧きました。

叱るにしても「正しい叱り方」があると思うので。


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私の周りにいる傍迷惑な人は「堪忍袋の緒が切れるまで我慢する」んです。だからキレたらいつまでも怒り続ける。キレたきっかけの件だけでなく「おまえはあのときはこうだった。あのときはああだった」と過去のことをもち出して怒り続ける。これでは怒られるほうはたまったもんじゃありません。

叱るときは現行犯だけを叱れ。

とはよく言われますが、本当にその通りだと思います。

だから、過去のことをもち出す人は「叱って」るんじゃなくて「怒って」るだけなんですね。

怒るということは感情的になっているということであって、「おまえのそういうところがこういう理由で周りに迷惑をかけている」という筋道の通った叱り方ができません。

怒っている人は決して叱ることができない。

ほめ方研修を受けていた上司たちがそういう人なのかどうかは知りませんが、すぐ若者の責任にする前に自分の叱り方は正当なものだったのかどうかを疑ってみるべきじゃないかと思いました。

そして、正当な叱り方というのは「愛情」を内包しています。彼らはちゃんと愛情こめて叱っていたんでしょうか。
愛情をこめるということは、叱られるべき若者の将来を親身に考えるということです。ここで叱らなかったらこいつはダメになってしまう、という切羽詰まった思いはあったのでしょうか。

私はなかったと思います。

だって、ほめ方研修を受けている人って、新入社員が辞めてしまうことの責任を自身が負いたくないからそういう研修を受けて何とか責任回避したがってるだけでしょう?

本当の意味で叱っていたのなら、辞める奴が悪い、と堂々と言えるはずなんです。それを半笑いのふざけた態度で研修を受けているというのは「本当の叱り方をしていなかった」と白状しているようなものです。

いまはそういう時代だ、いまどきの若者はそうなんだ、などと時代のせいにする前に、もう少し自分を疑うべきではないかと思いました。


 

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