精神科医・春日武彦さんの名著『顔面考』をお読みになったことはありますか?


22fc20f6

いま新型コロナウイルスのせいでマスクしている人がたくさんいますが、昔はマスクをしてるだけで電車の自分の両横だけ空席なんてことがありました(花粉症なのでね)。それぐらい「マスクをしてる奴は怪しい」と思われたのに、最近は「伊達マスク」なるものがあるというから時代は変わったものです。

とはいえ、あくまでも日本においてだけみたいですけども。外国ではマスクというのは細菌テロが起こったときにだけ装着する「特別なアイテム」だとか。あとは瓦礫の撤去作業をする人はマスクをしていないと粉塵を吸い込んでしまうので日本人と同じように装着するそうですが、インフルエンザが流行していてもマスクはつけないのが普通とか。

だから伊達マスクなんてもってのほか!

目だけ見せて鼻から下を隠すとかわいく見えるとかで大流行しているみたいですが、自分の顔は隠して他人の顔は見れるって卑怯じゃないか! と最初は思ってたんですけどね、どうも違うな、と。

マスクしてる人の気持ち悪さの正体は何だろうと考えていて、昨日やっと思い至りました。

『顔面考』には次のような記述というか、他の文献からの引用があります。めちゃくちゃ難しい文章のうえにうろ覚えなので(手元に本がない)正確ではない可能性がありますが、だいたい次のような意味です。

「顔というのは自分の鏡である。他人の顔を見たときその人がどういう表情をするかで自分がどう思われているか、つまり社会の中の自分像がわかる。つまり顔とはそれ自体がコミュニケーションツールなのである」

だから、風邪や花粉症でもなく、新型コロナウイルスの予防でもなくマスクで顔を隠している人は、他者とのコミュニケーションを自分から遮断しているわけですね。

なるほど、あのような少しもおしゃれでないファッションが流行しているのはそういうわけだったのか、だからあんなに気持ち悪かったのかとやっと腑に落ちました。いかにも現代ニッポン的。

整形疑惑なんて言葉があります。「誰それは整形している」というそれだけに特化したブログやツイッターアカウントを見たことありますが、整形って世間では悪徳以外の何物でもないんですね。私はそんなに悪いこととは思いませんが。

でも、伊達マスクは正真正銘の悪徳だと思います。他人とコミュニケーション取りたくなければ家の中から出なければいい。

それじゃ生きていけない?

それならちゃんと顔を見せて生きましょう。社会の中で生きる以上、それがルールのはずです。


関連記事
顎マスクの危険性と顎マスクをする人の心性について
食べログ、伊達マスク、高画質ホームムービー


顔面考 (河出文庫)
春日 武彦
河出書房新社
2009-07-03


 
このエントリーをはてなブックマークに追加