あらかじめ断わっておきますが、私は能年玲奈の大ファンです。だから「のん」などという芸名を認めないので本名で表記します。

毎日映画コンクールに続いて東京スポーツ映画大賞でも『この世界の片隅に』の能年玲奈が主演女優賞にノミネートされたらしいですね。


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3年ほど前には『her/世界でひとつの彼女』でAIの声のみ演じたスカーレット・ヨハンソンがどこかの映画祭で女優賞を取って物議を醸しました。私も疑義を呈したかった一人ですが、どうも自分の意見に説得力がなく、あのときは何も言えませんでした。

毎日映コンのときも「それは絶対おかしい」と思ってたんですよ。でも言えませんでした。

その時の違和感は、『her』のときと同じで、「声だけの演技と、肉体すべてを使う演技とを同列に扱っていいのか」ということでした。アニメの演技はアニメーターと声優の協働作業だと思うんです。だから…

でもこれって何か説得力がないんですよね。

誰かが、『マイ・フェア・レディ』でオードリー・ヘップバーンが歌だけプロの歌手に吹き替えてもらったからアカデミー主演女優賞の資格を剥奪された。あれとは逆で、今回のケースは能年玲奈は声は使っているけど表情など肉体を使った演技をしていない。だからダメだと言っていました。

一見もっともらしいんですが、これはちょっと違うんじゃないかと。確かに能年玲奈は声だけですが、オードリーは歌以外はちゃんと自分の声で芝居をしています。プラス肉体も見せて表現している。『her』や『この世界の片隅に』が『マイ・フェア・レディ』を裏返した作品というのは違うと思うのです。





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 (こういう凛々しい顔も実にいいんですよね。誰だ、こんな素晴らしい顔をもつ女優を干しているのは!)


では、この違和感の正体は何だろうとずっと考えていたんですが、このたび東スポ映画大賞にもノミネートされたと聞いて、はたと気づいたんですね。

東スポ映画大賞はビートたけしが一人で選ぶ映画賞ですが、ノミネートはたけし以外の映画祭ディレクターが選ぶそうです。

だからノミネートをたけしが選んだわけじゃないけれど、たけしが最優秀賞に選ぶ可能性に賭けてディレクターたちは能年玲奈をノミネートしたんじゃないか。

どういうことかというと、彼女はいま干されてますから、「世界のキタノも認める女優をこのまま干していていいのか⁉」という異議申し立てをしたいんじゃないか。そういう政治的配慮が絡んでいるのでは、と思ったわけです。

それが仮に当たっていても、そのこと自体は別に悪いこととは思いません。人間は政治的動物だし、何より私は能年玲奈の大ファンなので早く復帰してほしいと思っているのでね。こういう手を使うのは逆に素晴らしいことじゃないかと。

しかし、そのことと「声のみの演技に演技賞を与えることの是非」とはまた別問題です。

ここで問題提起。
能年玲奈ではなく、一般市民に名の知られていない声優だったら主演女優賞ノミネートなんて事態がありえたでしょうか? 



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答えは否、です。

ついおとといですが、WOWOWで風夏(ふうか)という風変わりな女の子がヒロインの、その名もずばり『風夏』というアニメを見ました。グイグイ引き込まれたから見ている間は「声優さんがいい芝居をしている」なんて少しも思いませんでした。いまこの問題を考えるにあたって思い出すと「確かにいい芝居をしていたな」と思う程度です。

逆に言えばアニメの場合、声優がいい芝居をしていればいるほどキャラクターが本当に生きているように見えるわけです。誰それが声を演じている風夏とかじゃなく、風夏そのものとして。

でも、『この世界の片隅に』を見ているとき、どうしても能年玲奈の顔がちらついてしまうのです。それは『her』でも同じでした。実写なら映っている人と声の主が同じだから何も気になりませんけど、アニメの場合、声の主の顔がわかると映っている顔が本当に「ただの描かれた顔」にしか見えなくなる瞬間がある。しかも能年玲奈はいまかなり特殊な状況に置かれているので、それら煩瑣なあれやこれやのことまでもが頭の中を支配してしまう。

それって作品にとって幸福なことなんでしょうか?  不幸なことなのでは???

能年玲奈の声の芝居が抜群にいいことは認めます。が、そう思えるのは彼女の顔を私たちが知っているからです。すでに女優としてお茶の間の人気者だからです。それに加え、どうにかして復帰してほしいというファン=審査員の思いがあり、今回のノミネートに至ったと思われます。

何度も言いますが、復帰の道筋のためのノミネートは大歓迎なんですよ。
だけど、それは声優さんやアニメというジャンルそのものを不幸にすると思うのです。

でも、『風夏』のようにまったく知らない人が声を演じている場合、あの声優さんは素晴らしい! 演技賞を与えよう。とはならないはずなんです。実際、いままでそういう例はひとつもないはずです。

描かれた絵と声とが渾然一体となって一つのキャラクターを生み出しているのですから、芝居が云々なんてことが頭に浮かばないほうが作品にとってはよっぽど幸福なことだと思います。

もし能年玲奈が最優秀賞を取ればおそらく日本の映画賞史上で初めて声優に演技賞が与えられる。それって一見アニメ大国日本の声優さんたちにとって、とてもいいことのように感じられますが、しかし!

来年でも数年後でもいいですが、声優が演技賞を取ったとして、その人は脚光を浴びるでしょう。テレビに出たりして顔が知られる。そして「あの『○○』という作品で××映画賞で演技賞を取った誰それが主役の声を演じる」と宣伝されたら「あの声が聴きたい」と劇場に駆けつけるファンも大勢いるでしょう。

でもそれって「声」にだけ注目が行って、アニメ本来の楽しみ、つまりアニメーターと声優の協働作業によって描かれた絵が本当に生きているように見える、という幸福を奪ってしまうと思うんです。

一般に顔の知られている有名人がアニメの声優を務めた最初の作品が何かは知りません。もしかしたら『となりのトトロ』の糸井重里かもしれません。あの糸井重里がこれまたいい味出してるんですが、しかし、どうしても見ているときに顔がちらつくし、本来俳優ですらない人がいい味出してるのがたまらん、というのは、ほとんど楽屋オチであって、『トトロ』という作品世界そのものにとっては邪魔物なんじゃないか。




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だから、私は今回の能年玲奈が声優として主演女優賞ノミネートという事態を批判します。
映画本来の楽しみを守るために、絶対に最優秀賞を取らせてはいけないと思います。