何か、「若き映画人志望者に向けて」なんて題すると私がまるでプロみたいですが、プロになれなかった人間ですよ~~~。

プロにはなれなかったのはいろいろ間違いがあったわけで、今日はそんな間違いを一席。

ちょいと前に我がレアル・マドリードの監督ジネディーヌ・ジダンに向けてこんな質問が投げかけられました。

「あなたの監督としてのスタイルは何なのか」

ちょうど連勝街道まっしぐらから4戦連続ドローというちょっとチームが停滞していた頃で、こういうときって情け容赦のない質問が飛ぶんですね。その記者はおそらく「あなたのスタイルがちゃんと築かれていないから勝てないんじゃないか」という意味で質問したのでしょう。

ジダンがどう答えたかは忘れましたが、ジダンのスタイルはジダン自身じゃなくて周りが決めることだと思うんですよ。 

そもそも「スタイル」って何ぞ?

私はこういうスタイルの人間である。ってモニカ・ベルッチなら自慢げに言えるでしょうし、肉体のスタイルなら一目瞭然ですけど、監督としてのスタイルとか、映画人としてのスタイル、脚本家としてのスタイル、はたまた人間としてのスタイルなんて口では言えません。

ところが、私は「スタイル」というものを意識して書いてしまってたんですね。

それもまだ「サスペンスの名手になりたい」とか「笑わせるスペシャリストになりたい」とかなら、まだよかったかもしれませんが、私の場合、「何もスタイルがないのがスタイルのような脚本家」というものでした。別にそれを意識してたわけじゃないですが、いまとなって考えてみると、どうもそういう色気をもっていたらしいと最近思い当たりました。

いずれにしろ、自分で自分のスタイルを決めるのっておかしいと思うんです。

いまでも毎日のように何がしかの物語やキャラクターを思いつきますが、そのアイデアの片鱗にどこに自分は魅力を感じているのか、ということを掘り下げていって、その果てにいい脚本ができあがればそれでよし。そうやって積み上げた作品を読んだり見たりした人が「あ、この人のスタイルは○○なんだ」と思う。

だから、スタイルというのは自分では決めるものじゃありません。。

自分の長所や短所なんてわかりません。他人の目のほうがちゃんと言い当てられます。
体のスタイルだって、自分ではいいと思っていても他人に言わせたら「ちょっと…」ということも充分ありえますしね。

どうか、自分のスタイルはこれこれこうである、なんて妄想を抱かず、仮に誰かから「おまえのスタイルは何だ」と聞かれても決して惑わされることなく、あなたの心に浮かんだアイデアの魅力を探りぬいていい映画を作ってほしいと思います。

(私が最近繰り返し言ってる「ジャンル分けは不毛」ということにも通じることかもしれませんね。私のスタイルは○○である、というのは、自分自身をジャンル分けすることとイコールだろうと)