先日の感動を押し売りする「24時間テレビ」の裏でNHKの「バリバラ」という番組が障害者を感動のネタとして消費するのを「感動ポルノ」という、という海外の声を紹介していて、これが絶賛されているとか。

私は見てないのですが、主旨はよくわかります。
ツイッターのタイムラインに流れてきたこんな画像。


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やっぱり健常者は障害者のドキュメンタリーや「こんなに頑張ってる」というお話を「消費」してるんですね。障害者自身が自分たちと同じ境涯の人の番組を嫌っていることからもそれはわかります。いいように利用されているだけ。

これは障害者に対する「差別」とも絡んでくる問題ですよね。

確かに差別はしてはいけません。でも、「障害者を差別してはいけない」と声高にいう人間ほど差別しているというのが現実です。

彼らは「障害者は守られるべきだ」みたいなことを平気で言いますが、それが「差別」だということに少しも気づいていません。

いったいなぜ???

障害者だから守られるべき理由というものが私にはさっぱりわかりません。そりゃ守られるべきでしょうが、それは障害者も健常者も同じこと。どちらにも同じ人権があります。それを障害者だけが守られるべきだと言えるのは、その人が障害者を馬鹿にしているからです。見下しているのです。同じ「人間」として見ていないのです。

はるか昔、どういう経緯で知り合ったか忘れましたが、一時期、脳性麻痺の人をまじえて数人で飯を食いに行っていたことがありました。

私はその人と喋っていて、「このアホ!」と言ったことが何度もあります。周りのみんなは必死で止めました。でも私はやめなかった。脳に障碍がある人間にアホと言うなんて、と他の面々は言いましたが、彼らは障害者を同じ「人間」とは見ていないだけだと確信できたからです。

子どものころ、かくれんぼや鬼ごっこをするとき、だいぶ年下の子がいるとその子だけ鬼に見つかっても関係ないというのがありましたよね。関西では「たまご」とか「みそ」とか言ってましたが、地域によって言い方はさまざまでしょう。

それはともかく、障害者にアホと言ってはならないというのは、かくれんぼにおける「たまご」扱いと同じだと思うんですよ。対等の人間として見ていない。

関西では、「アホ」というのは2種類あります。
本当に相手を馬鹿にするときに使う「アホ」と、親しいがゆえに「アホ」という場合と。

私が脳性麻痺の人に言っていたアホはほとんど後者でしたが、一回だけ前者の意味で使ったことがあります。

え? ひどいって? なぜ???

馬鹿にされて当然のことをその人が言ったからですよ。馬鹿にすべき人間を馬鹿にして何がいけない。

話は変わりますが、同じころ、ある女の子と5000円賭けて勝負したことがあります。ある映画に出ていた女優が無名時代に出ていた作品は何か、それは合っているか、というたわいもない賭けでした。

たわいもないことだろうと何だろうと賭けた以上は負けたら払わなければなりません。私が勝ったので5000円もらいました。

すると、他の男たちが「女の子から金を取るなんて」と非難してくる。

確かに、重いものをもってあげるとか、高いところにあるものを取ってあげるとか、そういうことは力も強く体もでかい男が代わりにすべき仕事でしょう。

しかし、「勝負は非情」なのです。
私が幼い頃から賭け麻雀をやってるからかもしれないけれど、そこは絶対に譲れないのです。男だろうと女だろうと賭けた以上は負けたら賭け金を払わないといけません。それを女だから払わなくてもいい、女から金を取るのはよくない、なんていうのは、女を自分たち男と対等な人間とは見ていないのです。明らかに女を差別している。絶対に心の奥底では「女のくせに」と思っています。

障害者も同じことです。対等だと思っているからこそ自然に「アホ」という言葉が出る。一度頭を叩いたこともあります。周りの友人たちは止めようと必死でした。でもその脳性麻痺の人は笑っていました。おそらく、日頃そういうふうに扱ってもらったことがなかったのでしょう。

叱られるうちが花。という言葉があります。

少しも叱られなくなったら、それは対等な人間とは思われてない証拠だから悲しむべきことだと。

アホと言うのも同じことです。親しいからこそアホと言いあう。この人には絶対にアホと言っちゃいけないとブレーキをかけるのは、その人を人間扱いしてないも同然です。

普通に日常生活を見直してみたらいいんです。どうでもいいと思ってる奴には腹なんか立たないでしょ? 逆に笑ってすませちゃうでしょ?

障害者に対して腹を立てない、立ててはいけない、罵倒なんかもってのほか、などというのは、その人をどうでもいいと思っている何よりの証拠なのです。