前と違って最近はつまらなかった映画の感想は書かないようにしてるんですけど、この映画のひどさだけは批判せねばならない、という使命感に駆られる一方なのであえて書きます。


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とにかく役者の芝居がひどすぎます。

綾野剛が絶賛されてるってちらっと聞いたことがありますが、どこが? 矢吹春奈はよかったです。あと名前は知りませんが道警の婦警を演じた女優さんもよかった。
ただ、その婦警さんが綾野剛に「ほらね、あたしの言った通りエースになったでしょ?」と言うシーン。あの撮り方は何ですか。せっかくいい芝居をしているのに綾野剛の顔だけ見せて婦警役の女優の顔はほとんど見せない。ツーショットなのに何故にあんな撮り方をするんでしょうか。せめてクロースアップのカットバックにできなかったのでしょうか。

クロースアップといえば、綾野剛が初めて中村獅童に会いに行く場面。あそこで内心殺されるのではとビクビクしている綾野剛が、虚勢を張って獅童と「この野郎!」「バカ野郎!」と『アウトレイジ』みたいに罵り合いますが、あそこで綾野剛が緊張のあまりお茶をガブガブこぼしながら飲むんですね。あれはもともと脚本に書いてあった芝居なのか現場でそうなったのか知りませんが、いい芝居なんですよ。でも、あれを超クロースアップのカットバックで見せる必要があったとは思えません。あそここそツーショットでよかったのでは?

役者陣の芝居がひどすぎると言いながら撮り方の話ばかりしてますが、そこは繋がっています。とにかくこの監督さんは何も考えずに撮っています。だから役者への演技指導がひどくてほとんど野放し状態。少しも統制が取れていません。

冒頭から乗れなかったんですよね。その最大の要因はピエール瀧の芝居とその撮り方にあります。


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綾野剛は後半は拳銃摘発で手柄をあげるために覚醒剤密輸などに関わり、自分もシャブ中になって悲惨なことになるんですが、その展開は面白いです。実話かどうかなど映画にとってはどうでもいいことですが、この映画の物語は大変面白い。

しかし、ごくごく平凡だった青年が悪の道に入るきっかけに説得力がありません。

上の画像は、警察官を拝命したばかりの綾野剛が先輩のピエール瀧に「報告書なんかまじめに書くな。ノルマ達成しますか、それとも報告書書きますか」と、あの懐かしい「覚醒剤やめますか、それとも人間やめますか」というCMをもじったいいセリフを吐くんですが、このあと、もっと恐ろしいことを言います。

「本当に公共の安全を守りたいんだったら産婦人科医になれ。生まれてくる子供を全部殺すんだ。誰も生まれてこなけりゃ安全だろ?」

このセリフこそこの映画の肝だと思うんですよ。いいセリフです。ピエール瀧はすでに警察官になった初心を忘れていて、そのピエール瀧が「公共の安全のために警察官になった」という純真な綾野剛に、それじゃあ警察では生きていけない、世の中はそんな甘っちょろいもんじゃない、と諭し、綾野剛が悪徳刑事の道に踏み込むきっかけとなる場面。

ただピエール瀧は初心を忘れたことに自覚的なんですよね。忘れたことに自覚的とは言葉が矛盾してますが、要は忘れたふりをしているというか、そうでなければやっていけないと自らを鼓舞して悪徳刑事として生きているんだと思います。

後半、完全に悪徳刑事になってしまった綾野剛が昔の自分のように「公共の安全のために…」と新米刑事が言うのをじっと聞く場面があります。


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綾野剛は思い出しています。自分にもそんな頃があったなぁ、と。しかしながら、それは物語の「意味」としてそう感じられるだけで、ここの綾野剛の芝居とこのアングル、このサイズではその気持ちがこちらの胸に突き刺さってきません。このカットこそ超クロースアップで撮るべきだったのでは? もしくは、もっと苛立って新米刑事をぼこぼこに殴るとか。

先の産婦人科云々のセリフに戻ると、やはりあれはこの映画の肝なんですよ。人間はみんな自分たちみたいに悪い奴らばっかりだ、人間さえいなければこの世は平和だ、俺たちなんかしょせんはただの悪人にすぎん、と。

そのセリフを言うときのピエール瀧の芝居が非常にまずいんです。ピエール瀧って本業は俳優じゃなくてミュージシャンですよね? だからそんなに器用じゃない。滑舌がよくないしうまいとも思いません。が、いい顔をしてるしすごく味があるから私はとても好きです。

しかしながら本業が役者じゃない人に最も大事なセリフを言わせる場合、もっと丁寧な演技指導と丁寧な撮影が必要じゃないでしょうか。
あまりにスルッと言わせすぎです。どうしても滑舌が悪くてうまく言えないなら、もっと寄りのサイズで撮るとか、照明を工夫するとか、とにかくピエール瀧はめちゃいい顔してるので、撮り方次第では芝居がまずくてもいい画になるはずなんです。

それが少しもそうなっていない。再度言いますが、あの場面は綾野剛が悪の道に踏み込むきっかけです。あのセリフをあんなふうに撮ってしまうから、そのあとすぐに綾野剛がノルマ達成のためだけの警察官になってしまう、という流れが不自然になってしまっています。一番重要な場面さえそんな感じですから、あとは推して知るべしです。(そういえば、この監督さんの前作『凶悪』でも、ピエール瀧の芝居だけが浮いてたというか、脚本を読みましたが、脚本ではとても魅力的なあの役を、できあがった映画ではまったく活かしきれていませんでした)

監督がろくな演技指導ができず何も考えずに撮っていたのでは面白い映画になるはずがありません。いや、これは「映画」ではありません。学芸会です。

上の画像の綾野剛は、ピエール瀧が「公共の安全なんか言ってて警察官が務まるか」というセリフにこめた、「自分たちはしょせん悪人にすぎない」という諦念に浸っているのかもしれません。何で俺はこんなふうに堕ちてしまったのか、いつの間に理想を忘れたのか、と。しかし、それだって展開から推測される「意味」にすぎません。そういう芝居が形作られていないのですから。

綾野剛の主人公はこの場面が一番の見せ場のはずなのに、まったくそういうふうに撮られていません。これでは少しもこちらのハートが熱くなれない。

というわけなので、久しぶりにあらんかぎりの声量で叫ばせていただきます。






金返せ!!!


演技指導論草案
伊丹 万作
2012-10-01



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