柄谷行人さんの新著『憲法の無意識』を読みました。
安倍自民党は選挙になった途端に改憲のカの字も言わなくなりましたが、自公で3分の2を獲れば必ずまた言い出します。その前にこの本を読んだほうがいいかと。



『世界共和国へ』からちょうど10年。『世界史の構造』や『帝国の構造』などを経た柄谷さんの「いま問うべきこと」が綴られています。

いろいろ難しい歴史のことやら何やら語られていますが、私にはそこらへんを解説する技量も知識も教養も不足しています。だから読んでくださいとしか言えません。

ただ、この本で大きくうなずかざるをえなかったというか、私にとってこの本の価値はここだけにあると言っても過言じゃないのが、

「日本国憲法は押しつけられたからこそ意味がある」

という主張なんですね。

よくいるじゃないですか。押しつけられた憲法だからダメだ、日本人自らが憲法を作らなきゃという人。そこまではまだいいんですが、国民投票したうえでいまの憲法のままになるならそれはそれでいい、とあの人たちは言う。

それじゃあ、内容じゃなくてただの手続き上の問題なの、と。それならいまのままでいいじゃない。そんなの改憲論じゃない!

そういう人たちは論外にしても、実際には「日本人自ら憲法を作り変えるべきだ」と主張する人たちがいますよね。柄谷さんはそういう人たちに完全と異議を唱えます。

特に9条について。

押しつけられたからダメではなく、180度転換して、押しつけられたからOKだと。それはいかなる理路で成立する言説なのでしょうか?

柄谷さんはこんなような意味のことを書いています。

「9条がもし押しつけられず、自分たちで作った条文だったら、いまごろとっくに破棄され、戦争放棄という国是は変わっているはずだ」

なるほど。

で、押しつけられたからこそそれを守ろうとしたのだ、と書かれているんですが、そこは確かフロイトの無意識とか超自我とかの学説を援用した理路だったと記憶してるんですが、具体的にどういうものだったかはすみません、忘れてしまいました。フロイトって読んだことないもんで。『精神分析入門』はほんの20ページぐらいで挫折しましたから。マルクスの『資本論』にいたっては3ページももちませんでしたが。

というわけで、「押しつけ憲法だから改憲すべし」という主張を柄谷さんは完全に退けます。

まぁ、そんな難しい学説を利用しなくても、「9条はとってもいいものだから保持しましょう」で済む話じゃないか……いやいや、それを言ってはおしまいですね。

しかし、そういう「当たり前の言葉」が通用しなくなってる世の中なんだなと改めて痛感しました。だからフロイトとかマルクスをもち出して論破しないといけない。

いやな世の中です。



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