トチ狂った現代世界にうんざりしている方々にお薦めなのが、「とにかく逃げろ」というメッセージを送っている、阪本順治監督の『団地』です。



(以下、ネタバレあります)

主人公の藤山直美と岸辺一徳は、一人息子を運送会社のトラックに轢かれて亡くしています。そのトラックの運転手は一度も謝罪に来ず、会社の部長がマスコミを引き連れて謝りに来た。マスコミからはほとんど尋問のような取材を受け、泣きたくても泣けなけなかった毎日。やっと落ち着いて泣けると思ったら疲れ果てて泣けない。で、天職だった漢方薬局を閉め、いまの団地に引っ越してきた。というのがファーストシーン以前の設定です。

不条理ですね。理不尽ですね。世の中は理不尽さに満ちている。とわかってはいても、やはり被害者を追いかけ回すのは理不尽を通り越してただの暴力でしょう。

藤山直美と岸辺一徳も行き過ぎたマスゴミの餌食になった夫婦です。だから誰も知り合いのいない団地に越してきた。しかしこの夫婦はまたも行き過ぎたマスゴミの餌食になってしまうのです。

町内会長選挙で、現会長の妻が岸辺を他薦で推すという。旦那は不倫してるから応援したくないし、何より岸辺一徳は引っ越してきたばかりだから逆に私たちに見えないことが見えるんじゃないかと持ち上げる。なのに実際の選挙では現会長のボロ勝ち。「案外あの人、人望なかったんやねぇ」の一言を岸辺が聞いてしまい、以来、家に引きこもる。息子のことであらぬ噂を立てられたであろう岸辺一徳には隣近所の噂話にもう耐えられなかったんですね。

すると、しばらく岸辺の姿を見ていない隣人たちは、「奥さんが殺したんじゃないか」と噂を立て始め、あろうことか、隣人の一人にテレビ局勤めの男がいて、その局から「旦那さんを殺したんじゃないかという声があるんですが」と藤山直美が取材を受ける。同じ息子を理不尽な暴力で亡くしていても、やはり女は強いのか、馬鹿笑いで答える。これがまたさらなる噂を呼んで…

というのが前半までです。

マスコミをマスゴミにしてしまったのは他ならぬ私たち一般大衆なのです。脚本も書いた阪本順治監督が同じように思っているのでしょうね。

しかしこの映画はここからものすごい展開を見せます。

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岸辺一徳の漢方薬の得意客である斎藤工は何と宇宙人なのです。同じ星の人たちのためにあなたの漢方薬が必要だ、と岸辺一徳に頼んでくる。

岸辺と藤山は必死で薬を調合する。なぜそんなに必死かというと、報酬として、死んだ息子に会わせてもらえるから。

同時に、義父から虐待を受け、『ガッチャマン』の歌を歌って何とか日々をやり過ごしている少年も、「本当のお父さんに会いに行く」と藤山・岸辺夫婦と一緒に宇宙船に乗ります。

で、ラストシーンで藤山直美と岸辺一徳は本当に息子と再会する。

いや、再会というのはちょっと違いますね。
あれはあの世なのかどうか。少なくとも斎藤工の星ではないでしょう。同じ団地に住んでますから。

息子が好きだったというすき焼きの準備を二人でしていると、「ただいま」という声がして息子が帰ってくる。「おかえり」と普通に迎える夫婦。息子と一緒に暮らしていた時間と空間を取り戻している。

あれははたしてあの世なのか、この世でそういう奇跡を斎藤工が起こしてくれたのか、定かではありません。何が現実で、この世とあの世がどう違うのか、神ではない人間にはわからないのですから。

あの結末を見て、おそらく「ファンタジーにしか逃げ場がないように謳うのはいかがなものか」と疑問を呈する人がいるような気がします。それはそれでわからないではありません。

が、私はそうは思いません。
劇中、「世の中がおかしいからまともなあんたがおかしいって言われんねん」というセリフがありました。

まともな奴ほど生きづらい世の中だと阪本順治監督は考えているのでしょう。

それなら逃げろ、と。ファンタジーでも何でもいい。逃げた先で幸福になれたらそれでいい。それが「この世」の「現実」と呼ばれるものでなくても別にいいじゃないか。

「逃げる」というネガティブな行為がこの映画ではとてもポジティブな意味をもつ行為として描かれているのが印象的です。いまのこの世は闘う価値がない。藤山直美がマイクを突き付けられて馬鹿笑いしたのも、闘うだけアホらしいからでしょう。

逆にいえば、この世の価値が下がっている。この社会はどこか狂っている。そしてほとんどの人がその事実に気づいていない。

それなら逃げたらええやん。『ガッチャマン』の世界に逃げたらええやん。

この『団地』という映画は、そう言ってくれている気がしました。


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