2016年03月29日

先日のアカデミー賞で脚色賞を受賞した『マネー・ショート 華麗なる大逆転』を見てきました。

The-Big-Short-Movie

面白かった!!! 前評判にたがわぬ素晴らしい映画です。

ネット上では「専門用語の基礎知識がないからさっぱりわからなかった」とか「事前に予備知識を勉強することをオススメする」といった言葉を発している人がたくさんいるようですが、私はまったく耳を貸す気はありませんでした。

だって、ヒッチコックがいみじくも言っているように、「セリフを消して見てもわかる映画がいい映画」なのだから。もし専門用語がわからないために楽しめない映画だったとしたら、しょせんその程度の映画だったというだけのこと。
それに、サブプライムローンとかリーマンショックってアメリカ人でもちゃんと理解してる人っていないだろうし。(いたらあのときより貧富の差が拡大してることの説明がつかない。理解してたけど忘れただけか?)

それはともかく、私も最初はCDSとかいろんな専門用語がわからなくてちょっと乗れない感じだったんだったんですが、途中から俄然ノリノリになって無邪気に楽しみましたね。

それはひとえに「役者のアンサンブル」に尽きると思います。

最初は、目まぐるしい編集や奇を衒ったカメラワークにちょっと辟易してしまって、「脚色賞受賞はともかく監督賞にノミネートされたのってどうよ!?」と思ったんですが、途中から考えを改めました。

監督賞ノミネートは役者への演技指導の確かさが理由だったんだと。

昔の友人で、「演出」とは「どう撮るか」だけだと思ってる奴がいました。有名な脚本家でも「何をどう描くか」という問題に関し、「脚本家が『何』を担当し、監督が『どう』を担当する」と言っていますが、私はこれもちょっと違うと思います。

脚本だって、時間をどう組織していくか、どういう切り口で物語を始め、どう展開させていくか、といった「どう」も担当してるはずだし、監督だって「どう撮るか」の前にまず「何を撮るか」でしょう?

その「何」とは役者の芝居です。
芝居は脚本に書かれていますが、それを実際の役者に当てはめてどんな芝居を作るかが監督の一大問題であって、どう撮るかはそのあとでしょう。

件の友人は、「演技賞を獲れたのは監督のおかげ」とインタビューで答えていた俳優に関し「なぜ監督の功績なのかわからない」と言い、中国語圏の映画で「監督」のクレジットがなぜ「導演」となるのかわからないとも言っていました。役者からいい演技を導き出すのが監督の一番の仕事なのに。

そういう意味で、この『マネー・ショート』のアダム・マッケイ監督は映画監督として非常に素晴らしい仕事をしていると思いますね。

専門用語はさっぱりわからないけど、役者の表情、ものの言い方で誰と誰が対立し、誰が誰の言葉を疑い、誰が嘘のような真実に直面し、そしてどう感じたかが(外国人の私にも)手に取るようにわかりました。

ラストのスティーブ・カレルの表情が何とも味わい深いです。


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億万長者になりながら苦味しか残らない。多くの人が職を失い、自殺者も続出しているなかでの大儲け。拝金主義へのチクリとした批判もいいですね。少しも声高じゃなくて。物語の帰結として自然に感じることができます。

助演男優賞にノミネートされたクリスチャン・ベイルも確かによかったですが、私はスティーブ・カレルのほうがずっとよかったなぁ。
カレルは3年以内にアカデミー助演男優賞を受賞する、といまのうちに予言しておきます。(←大きく出てしまった! 大丈夫か…?

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