2016年03月07日

前の職場で一緒に働いていた人が、最終日に口走った言葉。

「あたし、いつか本を書きたいと思ってるんです」

他の人たちは、

「すごいねぇ」
「実現するといいねぇ」
「あなたなら書けるよ」

と言ってましたが、私は少しもそういう気にならなかった。なぜなら、その人に「何か書いてるのか」と問うと、「これから」と答えたからです。

こと「書く」ということに関して私はストイックでかつ厳しいのです。

「いつか本を書きたい」

いつぞや高校の頃の友人もまったく同じことを言ってましたっけ。そのときの私は少しも文章など書けない人間だったから、それこそ前職場の他の人たち同様「へぇ、すごい」と思ったもんですが、いま思えば「そりゃダメだろう」と。

いや、本を書きたい、出版したい、何か形の残るものを死ぬまでに作りたい、その気持ちはわかります。私だってちょっと前まで同じような夢をもってましたから。

でもね、「いつか本を書きたい」と本当に思っているのなら、もうすでに書いてますよ。書き終わってなくても書き始めてますよ。どうしようもない内容かもしれないけど、下手糞で読むに堪えない代物かもしれないけど、本当に書きたいなら「書きたい」と口にする前に書いているはず。

文章にかぎらず、何かを作る、というのは、体の内側から湧き出てくる自分でも抑えることのできない強い衝動が発端であって、書きたいなぁ、書けたらいいなぁ、という憧れは結局憧れで終わってしまうのです。

それに、本当に書きたいと思っているのに一行も書けてないなら、「いつか書きたい」なんて恥ずかしくて言えないはず。

何かを作るというのは、「作りたいのに作れない恥ずかしさ」と「作れないけどやっぱり作りたい欲望」とのせめぎ合いなのです。

「いつか本を書きたいと思ってるんです」といった人は、そういうせめぎ合い、胸の内の葛藤が何もないのでしょう。

語彙の多寡、修辞の巧拙、文体の美醜が文章の決め手ではありません。私はこういうことを言いたいのだ、あなたにこういうことを伝えたいのだ、という熱い想いが問題なのです。

小学校の卒業文集。ある先生が拙い字で熱い文章を書いていました。私は何度も読みました。何度も何度も読みました。感動しました。俺はおまえたちにこういう想いを伝えたいんだ、どうか聴いてほしい、という「熱意」を感じたんです。

文章に「上手/下手」はありません。

あるのは、「熱い/熱くない」だけです。


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