2016年01月02日

一年の初めのブログがはたしてこの映画の感想でいいのか。しかも、今年見たんじゃなくて去年見た映画の感想でいいのか。さらに、もう1週間近く前に見たんだけど。

まぁいいでしょう。ブログにルールなどありません。

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マーティン・キャンベル監督作品『カジノ・ロワイヤル』で幕を開けたダニエル・クレイグ・ボンドシリーズ。『カジノ・ロワイヤル』はすごく面白かったですが、『慰めの報酬』『スカイ・フォール』『スペクター』とどんどんつまらなくなるので見ていてつらかったです。

何よりも、クリストフ・ヴァルツ演じる悪の組織スペクターの親玉にあまりに魅力がない。というか、あれ、ただのアホでしょう。

最初、ほとんど音のしない大きな暗い部屋に登場してボンドが隠れていることを察知するところなど「おお~、ついに出てきたぞ、スペクターの親玉が!」ってな感じでやたら興奮しましたが、あまりに頭悪すぎ。簡単に砂漠のアジトを爆破されるし、最後はすぐ逃げればいいものを逃げないがために爆発に巻き込まれて…と。しかも自分が仕掛けた爆弾ですよ。アホらしくて付き合ってられません。

クリストフ・ヴァルツという役者さんはとても聡明な人だから、こんなアホな役は手抜きで大丈夫と思ったんじゃないでしょうか。『イングロリアス・バスターズ』『ジャンゴ 繋がれざる者』あるいは『おとなのけんか』なんかとはまったく別人。ほとんど二流役者に見えるぐらい愚昧な芝居に終始しています。

と、ここまでは些末な問題。もっと大きな問題は「殺しのライセンス」に対する「思想」ですね。

この映画は、スペクターが合法的に各国のスパイ組織を解体して世界を牛耳ろうとするんだけれどもそれをジェームズ・ボンドはじめMI6の有志たちが未然に防ぐ、という物語なんですが、スペクターの傀儡であるCが「殺しのライセンスなどもう古い」とダブルOのライセンスを失効させ、さらにMI6そのものをも解体しようとする。それに対抗してレイフ・ファインズMが、

「殺しのライセンスは、殺さないライセンスでもある」

と言うんですね。このセリフ自体は「なるほど、それは言い得て妙だ」と思ったんです。「一口に殺しのライセンスといっても、そのために情報を収集し、潜入し、そして引き金を引く瞬間に相手の目を見て撃つべきか否かを判断するんだ」と。ダブルOはただの殺し屋じゃない、みたいなことを言うんですが、それはそれで感動したんですよ。

でもね、最後に引き金さえ引いてしまえばスペクターの親玉を殺せるという段になって、クレイグ・ボンドは撃つのをやめるんですね。レイフ・ファインズMの言った「殺さないライセンス」を実証してみ
せるんですが、何というか、テーマが先走ってる感じがするんですよ。

映画は思想を伝えるための道具ではありません。しかしこれは、思想を伝えてはいけないと言っているのではありません。思想のない映画に価値はありません。

しかしながら、あるテーマがあって、それを言いたいがために物語がある、というのは順番が違います。

あるキャラクターなり、あるシチュエーションなりがあって、それらが展開していくとテーマが浮かび上がってくるというのが本当でしょう。

レイフ・ファインズMの言い分などどうでもいいから、クレイグ・ボンドにはやはり最後でクリストフ・ヴァルツを撃ち殺してほしかった。あの男一人殺したところで問題の解決にならない、ということなんでしょうか。確かに現実世界ならそうでしょうが、これは映画です。1800円払って夢を見に来ている客に対してそんな物分かりのいいことを説いても金返せと言われておしまいです。

もっと物語が現実世界の政治を反映したリアリズムに徹した映画ならそれでもいいですが(『ミュンヘン』とか『パラダイス・ナウ』とか)『007』というのは最初からウソ話なんだから悪の親玉を殺して一件落着という能天気な結末でいいと思うんですがねぇ。

親玉を殺したところで問題は解決しないと誰もが知っているからこそ「親玉さえ殺せばすべて解決」という映画の需要って絶対あると思うんです。

『007』はまさしくそういう需要に応えるべきシリーズだと思っていたのでとても残念です。





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