カタルーニャ独立の是非をめぐる住民投票で、独立賛成派が反対派を上回ったらしく、私はカタルーニャともスペインとも何の縁もゆかりもない人間なのでどっちでもいいんですが、サッカーファンとしては大いに気になるところでして。

というのが、カタルーニャが独立すれば、その州都のビッグクラブ、バルサもリーガ・エスパニョーラから脱退することになり、現在のリーガにおける2強クラブ、レアル・マドリードとバルサによる「エル・クラシコ(伝統の一戦、英語で言うところの「ザ・クラシック」なのでしょう)」が消滅するんじゃないか、という見方が支配的だからです。

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私の見立てでは、クラシコはなくなりません。

理由は簡単。世界中が注目する試合が少なくとも年に2回はあるわけで、チケット収入だけでもかなりのものになるうえに全世界へ売るテレビ放映権収入を考えると文字どおり莫大なカネになる。そのようなカネをマドリーもバルサも、そしてスペインサッカー機構も手放すはずがありません。

でも、カタルーニャが独立したらスペインじゃなくなるんだからリーガ・エスパニョーラから脱退せねばならないのでは?

でもね、ちょっと考えてみましょう。

オーストラリアなんか地政学的には「オセアニア」なのにサッカーの世界では「アジア」じゃないですか。サッカーにおいてはオーストラリアはアジアである「ということにしておく」というフィクションなのですね。

そのようなフィクションはサッカー以外にもたくさんあって、例えば「時間」。

日本ではすべての時計が東経135度の時間に合わされています。明石など東経135度の土地の時計は実際の時間と時計の時間がぴったり合ってますが、その他のほとんどの土地では、実際の時間と時計の時間は合ってないのです。だから釧路で日の出が5時ちょうどでも、沖縄で日が昇るのが6時(←数字は正確ではありません)とかになる。

明治維新のあと、列車が走るようになってから人々は時計の時間に縛られて生きるようになったというのが定説ですが、いまじゃ飛行機も飛んでるし、テレビの時間もあるし、すべてたったひとつの時間に合わせないといけないから「こういうことにしておく」というフィクションがまかり通っているのです。

日付変更線なんかもね。
ロシアとアラスカの間を通ってずーっとまっすぐ下りて、ニュージーランドの東を迂回して、と「現実の日付変更線」は変なふうに曲がってますが、実際は東経(西経)180度1本の直線であって、でも、同じ国のなかで日付が違うと不都合がありすぎるから「こういう変な線にしておく」というフィクションがまるで現実であるかのようにまかり通っている。

上記は生活するうえでそういうフィクションを導入しないと不都合がありすぎるという「生活の知恵」みたいなものですが、例えばサマータイムなんていうのは、はっきりカネが目当てですよね。時間を1時間早めることでアフター5の時間を長くしてカネの巡りがよくなるようにしている。表向きは「労働者の余暇の時間を長くすることで疲れを取り勤労意欲を増すため」とかおそらく言ってるんでしょうけど、結局はカネの問題。

オーストラリアがサッカーの世界でアジアなのは、カネというよりは、ワールドカップに出場しやすくするためですが、これだってワールドカップに出るか出ないかでは入ってくるカネが違うというところに帰結する気がします。

だから、クラシコはなくなりません。

上記のような理由や他の例があるのだから、何だかんだ理屈をつけてクラシコは続きますよ。表向きは「クラシコを楽しみにしている全世界のファンのために」みたいな美辞麗句を並べてね。もちろんカネのことなんか言うはずがありません。

「サッカーの世界ではバルセロナはカタルーニャではなくスペインである」というフィクションがまかり通ることはほぼ間違いありません。そして、人々がそれを大歓迎するであろうことも。かくいう私もその一人ですがね。ウシシ



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