先日、感想を書いた『悪意の手記』の姉妹編ともいえるらしい『最後の命』を読みました。

無題


うーん、これにも大いに疑問を感じざるをえませんでした。

主人公は、ある精神薄弱の女性を悪辣なホームレスたちにレイプするよう強制された暗い過去をもっています。そして、それが原因で女性と普通の関係をもつことができない。あれが原因だと思えば思うほどどんどんアブノーマルになってしまう。

さらに、そのときのホームレスが死にかけていたところを見殺しにするという過去ももっているんですね。ここまでダークにする必要があるのかというほどの暗さなんですが、あざといとかそういうことじゃなくて、テーマの掘り下げ方が、というか、話の語り方を間違えてる気がしてしょうがないんです。

『悪意の手記』が「人を殺したらどうなるか」という『罪と罰』のモチーフを良くも悪くも中村文則らしい語り方で語っていました。私はまったく乗れませんでしたが、好きな人もたくさんいるのだと思います。

今回の『最後の命』でも、主人公の本棚にドストエフスキーがあるなど、かなり『罪と罰』を意識しているなと思えるところがあります。冴木という男のメールのところなどは『悪霊』のスタヴローギンの手記を意識してるのかな、とか。

それはともかく、この小説では、まず主人公の部屋で女が殺されていて、部屋から出た指紋が主人公と暗い過去を共有する親友のものだった。はたしてその親友は真犯人なのか!? というミステリ仕立てなんですね。私はこの構成に納得がいきませんでした。

最後まで読んでも真相がはっきりしないのは別にいいんです。そういうのたくさんあるし。でも、過去に人を傷つけ、見殺しにしたこともある人間の懊悩を描くのが主眼なのに、殺人事件が起こって、指紋が出ました、あなたの親友のものです、彼は連続婦女暴行犯として指名手配されてます、というサスペンス風の語り口がどうして必要だったのか、少しも理解できないんです。

『悪意の手記』でも、後半、突然登場した女性が物語を解決に向かわせるストーリーの作り方に納得いかないと書きましたけど、この『最後の命』でも、主人公やその親友の内面描写よりもストーリー展開のほうが重視されすぎてはいないか、と思うのです。内面を描くために物語がある、と言う人もいるのかもしれませんが、私にはそうは感じられませんでした。

何というか、古典的ハリウッド映画のような筋立てを借りないと主人公の懊悩を描けないような、苦肉の策のような気がするのです。それか、ミステリ仕立てにしないといまの読者は読んでくれないから、という「計算」が透けて見えるというか。

このあとの『掏摸』にはそんなの少しも感じなかったんですけどね。この前に書かれた『銃』にも感じませんでした。拳銃を拾う、というのがもうかなりサスペンス仕立てなんですが、そこから結末に至るまでの主人公の内面描写には少しもストーリー展開に力を借りたものではなく、純粋にその内面を掘り下げていく描写の連続で、小説を読む醍醐味とはまさにこれよ、とゾクゾク震えたのをはっきり憶えています。

この次の『悪と仮面のルール』と合わせて三部作と言われているらしいですが、すでに購入してあるので読んでみたいと思います。