『掏摸』の感動がいまだに忘れられない中村文則さんの『悪意の手記』を読みました。



不治の病に冒されながら一命をとりとめた主人公が無意識に楽になりたくて親友を殺す。殺した主人公の懊悩を描くのが主題で、これは現代ニッポンの『罪と罰』なんだろうか、と読みながら震えが来たんですけど、リツ子という名前だったと思いますが、かつて娘を少年に殺されて復讐を誓っている女と出遭うところから、何だかちょっと違う話になってしまった感が強いです。

リツ子も人を殺そうとしている。その標的の人物は主人公と同じく人を殺したことがある。

最終的にその元少年犯を別の人物が殺すんですが、登場人物の誰も彼もが「人を殺す/殺したことがある」という共通項をもっています。

それは明らかに狙いなんでしょうが、私にはそこが「作為」と感じられてしまったんですよね。「作り話」を読んでる気分が強くて興ざめしました。

外部からの異物によって主人公の環境が変わるのは物語としてよくある手ですけれど、どうも純文学にこういう手は似つかわしくないんじゃないでしょうか。

リツ子という女と遭遇する、そしてどうなるか、というサスペンス的な手法を使わずに主人公自身の喜怒哀楽をもっと純粋に掘り下げてほしかったです。

続編的ともいえる作品『最後の命』を読み始めました。いまのところ一字一句に息を呑んでいます。最後まで持続してほしい!