この夏の大傑作『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』の感想を綴るにあたり、まずは第1作から振り返る必要があるなと。
すると、意外な事実、このシリーズに隠された「秘密」に突き当たりました。


第1作 1996年『ミッション:インポッシブル』MI_image_main__V148027619_

トム・クルーズが設立したプロダクションの記念すべき第1作に『スパイ大作戦』の映画版リメイクをもってくるというのは、トムならではの炯眼だったのか、それともハリウッドの宿痾となってしまった企画不足の末路だったのでしょうか。

物語のきっかけは、テレビ版の主役だったフェルプス君が殺され、トムが所属するIMF=インポッシブル・ミッション・フォースの中にどうも裏切り者がいるらしいことがわかる、そして何とその裏切り者はトム扮するイーサン・ハントではないかとの嫌疑がかかります。イーサンは仲間を殺した同僚たちのために、そして自分への嫌疑を晴らすために真犯人探しに奔走します。

だから「ミッション」といっても上からの命令ではなく、ほとんど「私怨」で動いているのですね。『スパイ大作戦』はスパイたちの私的感情などないかのごとく命令を忠実に遂行していくプロフェッショナルの姿が描かれていましたが、この映画化第1作で早くもトム・クルーズたち製作陣にテレビ版への敬意など皆無であることが露呈してしまっていると思いました。

しかも、実はフェルプス君は実は生きていて、彼こそが裏切り者だったという、テレビ版のファンが激怒する結末を迎えるというのがおおよそのあらまし。

フェルプス君の言い分としては「冷戦は終わった。もう俺たちスパイの時代じゃない」とのことですが、スパイとして自分の半生を犠牲にしてきたイーサンにはそれが許せない。

どこまでもこの映画は「私情」で動いているのです。

では、第2作はどのような物語なのでしょうか。


第2作 2000年『M:I-2』
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物語は、キメラと呼ばれる細菌兵器を悪人どもから奪回せよ、との指令を受けたイーサン・ハントたちが見事にミッション・コンプリート! そうです。2作目で初めてまともなミッションが下り、それを遂行するプロフェッショナルの姿が描かれます。

しかしながら、タンディ・ニュートン演じる女泥棒と恋に落ちたイーサンは、彼女がキメラを奪われないために自分に注射したため、彼女を救うためにミッションを成就させるのです。そうです。またしても「私情」で物語が動いているのです。これでは真のプロフェッショナルではありません。

さて、では、第3作では真のプロフェッショナルが描かれたのでしょうか?


第3作 2006年『M:I-Ⅲ』
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イーサン・ハントがフィリップ・シーモア・ホフマン扮する悪役デイヴィアンに、おまえの頭に爆弾を埋めた、〝ラビット・フット″を返せ、でないとこの女を殺す、と脅迫されるところから始まって、フラッシュバック形式でその女性と婚約している平和な毎日が描写されます。
でも、このフラッシュバック形式が妥当なものだったのかどうか。最初に張り手をくらわす手法は珍しくありませんが、普通に穏やかな日常を送っているイーサンのもとにかつての上司がやってくる、という出だしでよかったのでは?

フィアンセを殺されそうになったイーサン、というところ場面から始まるこの第3作は、ファーストシーンからまたも「私情」で物語が動くことを示唆しています。決してテレビ版のような冷徹なプロフェッショナルではなく、人間的感情にあふれたスパイを描くのだとトム・クルーズは強く考えているようです。

イーサンはかつての教え子リンジーがデイヴィアンに捕らえられている、奪還せよとの指令を受けてベルリンへ飛びます。で、奪還失敗。リンジーは頭に埋め込まれた爆弾のために命を落とし、イーサンは上層部から叱責されます。

イーサンは、リンジーへの思いを胸に、上司マスグレイブの計らいでデイヴィアンがもつラビット・フットというお宝を奪い返すミッションを遂行します。ミッションは下りますが、それは形だけのもので、ほとんどリンジーを殺されたことへの復讐です。デイヴィアンをもう少しでヘリから突き落としてしまいそうになるほどイーサンは我を忘れてしまっていました。このシリーズ中、主人公イーサンが最も強く私情を見せたのが本作です。

バチカンに乗りこんだイーサンは、デイヴィアンを誘拐、ラビット・フットを奪うことに成功するも逆にすべてを奪い返され、ジュリアを人質に捕られます。

ここで何と、上司マスグレイブがデイヴィアンと手を組んでいた裏切り者だったことが判明。第1作と同じです。同じだからダメなのではなく、私怨に油を注げば注ぐほど本家『スパイ大作戦』から乖離していってしまい、なぜトムはあのテレビシリーズを映画化しようと思ったのかますますわからなくなるのです。

確かに、J・J・エイブラムスによるこの3作目はめっぽう面白い。終盤のトム・クルーズの全力疾走の場面など「映画を見る快感」が画面から迸っています。

しかし、エモーショナルな傑作であればあるほど、なぜトム・クルーズは『スパイ大作戦』を映画化しようとしたのかがわからない。テレビシリーズと同じにしろとは言いません。でも、エモーショナルなスパイ・アクション映画を作りたいのなら『スパイ大作戦』のリメイクではなくオリジナルで作ればいいじゃないですか。主役だってフェルプス君を最初に死なせて新しい主役イーサンを作ってるわけだし。

トムはひょっとしてラロ・シフリンのあのテーマ曲がほしかっただけなのではないか…? との疑念が渦巻くしかないのです。

長くなりました。続く『ゴースト・プロトコル』と最新作にして最高傑作『ローグ・ネイション』で明らかになる「トム・クルーズの真の狙い」についてはまた明日にでも。

続き
②ポーラ・ワグナーとの訣別
③最新作『ローグ・ネイション』でわかったトム・クルーズ真の狙い
『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』





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