泣く子も黙る名作『陸軍中野学校』を再見しました。(以下ネタバレあります)


『陸軍中野学校』(1966、日本)


脚本:星川清司
監督:増村保造
出演:市川雷蔵、加藤大介、小川由美子、待田京介、E・H・エリック


何度見ても素晴らしいですね。まったく色褪せない。

しかしながら何となく変なのはこの映画、戦争を題材にしているうえに、主人公が自分の恋人がスパイと知って殺すという哀しい運命を描いているにもかかわらず、少しも「反戦」というメッセージがないことですね。

脚本家も監督も、主人公たちスパイとして養成された者たちに一片の同情も感じていません。かわいそうだとか「もし自分だったら…」などという感傷とはまったく無縁なんですよね。そこが素晴らしい。


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中野学校創設者を演じる加東大介は、陸軍から「これは」と目をつけた男たちを一堂に集めて、これからは本名も捨ててもらう、スパイとして国に尽くしてもらう、と半ば強制的にスパイとして養成されることを受け容れさせます。

そして、養成の過程で神経衰弱になった男が自殺します。市川雷蔵はじめ他の者すべてが「俺もスパイなんて嫌だ」と言い出す。ここで加東大介がスパイとして国に尽くすことの意義を説き、全員が前言撤回して「俺はやります」と口々に言うんですが、冷静に考えると、このシーン、とても変です。加東大介の説得がうまいからといって、えらくみんな簡単に気持ちを覆しすぎじゃないかと。

この次のトピックは、女に溺れて盗みを犯した者(女体に関する授業があるというのが面白い)を生徒全員で恫喝まがいの説得をして腹を切らせる場面。ここも、本気でスパイになろうとしているからといって、あまりに仲間を殺すことにためらいがなさすぎる。

そう、ためらいがないんですよ。この映画では登場人物が大きな決断をする場面が多々あるにもかかわらず、ためらったり言いよどんだりすることがまったくない。ほとんどないんじゃなくてまったくありません。心の中では様々な葛藤があるんでしょうが、映画の作り手たちはそんなものには少しも興味がないようです。


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最後、婚約者が英国のスパイだと知った主人公が彼女を毒殺するんですが、ここでの市川雷蔵もあまりにためらいがない。加東大介に「おまえが殺せ」と言われても悩むということがない。

淡々と会話をし、淡々と酒に毒を盛り、淡々と飲ませ、淡々と遺書を偽造し、何事もなかったかのように去っていく。

「スパイとして養成された男が、恋人が他国のスパイと知って殺す物語」において、そこに潜む複雑な感情を捨象しすぎじゃないか、と思うのですが、これはおそらく、そういう愁嘆場の多い日本映画が嫌いだった増村保造監督の要請だったのでしょうね。主人公が泣きながら恋人を殺すような映画にだけはしたくない、という。

この映画は異様なまでにハードボイルドです。ヘミングウェイやハメットがペンで映画を書いたらこういう湿り気のない乾いた映画になるんじゃないかと思われるぐらい、どこまでも感傷を排した、それゆえに異様なまでに物事が淡々と進む映画になっています。

だから、主人公がひどいとも、そういう運命を与えた戦争に対して怒りを感じる、ということもありません。中野学校に批判的だった参謀本部の待田京介が女に機密を漏らしていたことを理由に最前線で死んでこいと命令されても、見てるこちらは快哉を叫ぶことがない。ただ粛々と命令を受け容れる待田京介の姿を呆然と見つめるほかありません。

ただ素朴に「行動」だけを描く。これがこの映画の哲学です。

これは真似しようと思っても簡単にできるものではありません。
人間と時代を見つめる冷静すぎる目(いや、冷酷な目と言っていいかもしれない)が作り手に備わっていなければ絶対に作れない傑作だと思いました。


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陸軍中野学校
市川雷蔵
2015-09-21



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