宮部みゆきさんの『火車』(新潮文庫)読了。

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この本、兄が「ぜひ読め」と貸してくれたんですが、10年以上積ん読状態だったんですよね。

やはり700ページという分厚さが結構なハードルで。はい。

とはいえ文章がとても読みやすく、5日がかりとはいえ特に苦痛を感じることもなく読み終えることができました。

しかし…

面白くなかった。www

いや、笑っては失礼ですか。
解説の佐高信さんが「自己の過去を消し、他人になろうとしてなりきれなかった女たちを描いて、この小説は哀切である」とお書きになってます。

それに異論はありません。

ただ何というか、どうしても23年も前の作品なのでいろんな細部に古さがあるのはしょうがないとはいえ、作品がもつ主題や個々の登場人物がもつ個性なども古臭くなってる気がするんですよね。

借金で首が回らなくなって他人になりすます、という手口自体があまり今日性をもっていないし。そりゃ23年前は切実な問題だっただろうし、いまでも切実な問題なんでしょうけど、どうしても「フィクションとしての古さ」を感じてしまうんですよね。

読んだ時期が悪かっただけじゃないか。もっと早く読めばよかっただけじゃないか。と言われたらもう返す言葉がありません。そのとおりです。

だけど、小津安二郎の言葉「新しいとは古くならないこと」を真とすると、その対偶「古くなるということはもともと新しくなかった」も真となります。

最近、手塚治虫の『ブラックジャック』を読み返してるんですけど、少しも古臭いなんて感じませんよ。どの話をとっても普遍的な真実が描かれています。パトリシア・ハイスミスの『贋作』も読み返してみたんですが、これも古くない。トム・リプリーという稀代の悪人を描いてなお清風のような爽やかさにあふれています。(アラン・ドロンが演じてもデニス・ホッパーが演じても少しも違和感がなかったのはハイスミスの造形したキャラクターの基礎がしっかりしていたからでしょう)

だから、この『火車』はもともと新しくなかったのだ。というのが私の結論です。

物語の構造ではなく、この場合はやはりキャラクターでしょうね。
主人公の本間刑事だけでなく、失踪した新城喬子や彼女が殺したと思われる関根彰子、他にもいろいろ出てくる彼女たちの関係者や本間の息子や同僚などなど、どれも「古い」のです。読みながら誰に乗ればいいのかわからない。いろいろ言葉を駆使した比喩も全部滑ってるのがその主な理由のような気がします。他にも理由はあるんでしょうけど、いまの私にはよくわかりません。

この7年後、宮部みゆきは渾身の大作『理由』を上梓、直木賞を獲るんですが、いま読みなおしたら古臭いと感じるのでしょうか。いや、あの大傑作にかぎってそれはないだろう、とは思うものの…?


理由 (朝日文庫)
宮部 みゆき
朝日新聞社
2002-08-01



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