『マッドマックス』シリーズ30年ぶりの最新作、『怒りのデス・ロード』見てきました。

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ド派手なアクションは血沸き肉躍るし、シャーリーズ・セロンはこれまでで一番きれい、というかカッコイイし、しびれる場面も満載なこの映画、しかし全体としてはちょっとがっかりでした。

何よりもジョージ・ミラーが「映像派」みたいになってしまったことですね。テレンス・マリックみたいな。

今回の新作を取るにあたってジョージ・ミラーはすでに引退していた名カメラマン、ジョン・シールを口説き落として撮影監督としての任に当たってもらったそうです。ジョン・シールは『イングリッシュ・ペイシェント』でアカデミー撮影賞を受賞している人で、他に『刑事ジョン・ブック/目撃者』とか『レインマン』とかを撮ってます。ミラーとは『ロレンツォのオイル/命の詩』でタッグを組んだことがあります。

ただ、ミラーにとっては、「昔のよしみ」というよりは「あの『イングリッシュ・ペイシェント』を撮ったジョン・シール」と組みたかったんでしょうね。それは本作を見ればすぐわかります。全体的に砂漠の質感とか『イングリッシュ・ペイシェント』とかなり似てますもの。(たぶん。15年以上前に1度見たきりなのでうろ憶えです)

で、昼はアンバーのフィルターをかけて暖色ばかり、逆に夜の場面はブルーのフィルターで寒色ばかり。昼と夜の場面が葛藤を演じてくれてればいいんですが、暖色と寒色のドラマにはなっておらず、ただ「昼の砂漠はこう撮りたい」「夜の砂漠や空はこう撮りたい」という審美的な欲求からの映画作りになってしまってるんですよね。

かつての『マッドマックス』でジョージ・ミラーは、フィルターよりもレンズの種類を使い分けるところにかなり執着していました。そしてそれがハイウェイや砂漠でのカーチェイスをかなり面白いものにしていました。
本作でもその名残はあって、冒頭に書いたように度肝を抜かれて「映画を見る快感とはこれよ!」と手に汗握ったりもしたんですが、やっぱり全体として疑問が残るんです。

何よりも、主人公マックスや事実上の主人公であるシャーリーズ・セロン演じるフュリオサという女のキャラクター描写がよくありません。どういう性格なのかよくわからない。すごく曖昧。悪役のジョーという男はメイクのせいもあってかキャラが立ってた気がしますが。

ストーリー展開がどうのという映画じゃないことは百も承知していますが、それでもやはり主要キャラクターの性格描写、喜怒哀楽の描写がないと、「いったい誰に乗って見ればいいの?」という困惑状態になってしまいます。

それもこれもジョージ・ミラーが映像派に変節してしまったことが原因でしょう。

CGをふんだんに使った『ベイブ』シリーズ、そして100%CGのアニメ『ハッピーフィート』シリーズのせいで、ミラーはカメラで現実を写し撮ることよりも、自分の思いどおりの映像を造形することに夢中になってしまった。

こういう画が撮りたい。それはかまいません。
でも、その欲求が、「美しいショットを撮りたい」であるのなら、やはり映画監督としては問題だと思います。

映画とはカットの連なりで見せ、そして語るものなのだから、ショットよりもシーン、シーンよりもシークエンスを優先して考えるべきものでしょう。昔の『マッドマックス』は、通常の古典的な映画作り同様、映画全体からシークエンス、シーン、ショットと逆算して考えられていました。だからものすごく面白かった。

でも、本作では、まず美しいショットを撮りたいという欲求が強すぎるあまり、映画全体としてこのキャラクターをどう描くか、という観点からの、本来の映画の作り方がなされていません。シャーリーズ・セロンは役柄的に常に暗い顔をしているのですが、それは役柄からくるものだけではなく、「この役をどう演じていいかわからない」という困惑からくるものでもあったと推察します。

とても惜しいです。
手に汗握るド派手なアクション映画って最近、少なくなりましたからねぇ。(最近DVDで見たラッセル・マルケイ監督『ゴートゥーヘル』というフィルムノワールはすごく面白かったですが)

ジョージ・ミラーはジョン・シールではなく、2作目で組んだディーン・セムラーと組むべきだったと思います。