2019年12月28日

今年もいつの間にやらあと3日となりました。

毎年のように、映画ベストテンは最後に発表することにして、テレビドラマや本のベストを発表していきたいと思います。

今年は新作ドラマにそれほど実りが少なったのと、旧作に見るべきものが多かったこともあり、新旧織り交ぜて、さらには実写もアニメも一緒くたにしたベストテンです。太字が新作。


全裸監督
②半沢直樹
③ヴァイオレット・エヴァーガーデン
④逃亡花(のがればな)
⑤響け! ユーフォニアム
⑥響け! ユーフォニアム2
俺の話は長い
⑧四畳半神話大系
詐欺の子
⑩沿線地図



新作が少ない。まぁ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』と『逃亡花』は去年のだし、『ユーフォ』2作もつい最近ではあるけど、『半沢直樹』や『四畳半神話大系』をつい最近まで見ていなかったのは不覚としか言いようがない。

以下、簡単なコメントを。


①全裸監督
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やはり今年はこれでしょう。テレビドラマじゃなくて配信ドラマじゃないかという声が聞こえてきそうですが堅いこと言うのはやめましょうよ。そもそも私はNetflixに9月しか入ってないので他に見た配信ドラマは一本もなし。配信ドラマのベストテンなんか選べやしない。

三谷幸喜は配信で作るにふさわしいドラマは何か勉強中と語っていたし、これからは配信が主流になるのか。ただ先日書いた押井守の言葉がずっと引っかかっている。配信作品を見る側は安い金額で見放題で利点が多いけれど、作り手はほとんど手応えを感じられないという。

この大傑作『全裸監督』の作り手たちは、おそらく「『全裸監督』のおかげでNetflix加入者が大幅に増えた」ということでそれなりの手応えを感じているとは思うのだけれど、全視聴者のうち何割が最後まで見たのか、という情報をまったく教えてもらえないのはつらいと思う。

潤沢な資金で80年代歌舞伎町のセットを作り、アメリカロケまで敢行したこの作品の面白さにはケチのつけようがないけれど、視聴する側の思いばかり尊重していると作り手からそっぽを向かれますよ、とだけは申し上げておきたい。


②半沢直樹
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銀行マンの兄から見ろ見ろと言われていた作品。6年たって初めて見た。そして釘付けになった。

「やられたらやり返す。倍返しだ!」

がなぜ流行語になったのかよくわかる。『家政婦のミタ』ともども最終回視聴率40%ごえは伊達じゃないということ。ヒットするにはそれなりの理由がある。緻密な脚本、適材適所の配役、編集のうまさ、そして「情報」としての面白さ。

かつて大島渚は「映画は娯楽でもあるだろうし芸術でもあるだろう。でもそれ以上に『情報』だと俺は思う」と言っていたけど、この『半沢直樹』も原作者が元銀行員だけあって銀行内部の情報や金融庁との駆け引きなど魅力的な世界が描かれていました。ごちそうさま。


③ヴァイオレット・エヴァーガーデン
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実は去年の1月にオンエアで見始めたんですけど、なぜかあのときは体調でも悪かったのか、少しも面白いと思えなくて見るのをやめたんです。

京アニと縁の深い会社で働いている友人が「面白いからぜひ!」というから見ようとTSUTAYAに行ったら去年の作品なのになぜか在庫がない。というわけでNetflixに入ったんですけど、俺はいったいどこを見ていたのかと思うほど引き込まれた。特に画像を上げた第10話。これしかないという完璧なプロットの運び方。

かつて脚本家の高橋洋さんは、

「まるで弾道のように、こうでしかありえない物語の軌道のことを『プロット』という」

みたいなことを言ってたけど、まさにこの10話はそれ。ただ、主人公とその憧れの存在である大佐(少佐だったか?)のエピソードはあまり好きじゃない。10話とか、何話か忘れたけど同僚の故郷に行って失恋する彼女のために手紙を書く回など、大佐がらみじゃない回のほうがずっと好き。


④逃亡花(のがればな)
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これも去年見始めたんですけど、なぜか5話くらいで録画に失敗しまして、全部見ないと気がすまない私は途中でやめました。そしてつい最近までずっと忘れていた。

TSUTAYAにてレンタル。はまった。二転三転する物語。そして意外な結末。ただ、あの真犯人は前半のうちに出しておかないといけないとは思う。でも、ま、あばたもえくぼ。


⑤響け! ユーフォニアム
⑥響け! ユーフォニアム2

これも京アニ関係の友人のお薦めで見てはまった。劇場版はさほどよくなかったけど(次も見る)このテレビシリーズはたまりませんな。

とか言いながら、やっぱり去年の映画ベストワンに選んだスピンオフ『リズと青い鳥』のほうが好きだったりする。


⑦俺の話は長い
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小池栄子が見たいというだけで見始めたけれど、最後まで次週が楽しみで仕方なかった。

でも、あのラストには納得いかない。あそこまでニートという、世間的にはネガティブにしか受け止められない人間に対して深い愛情をもって描いていたのに、結局ニートを卒業するのが結末というのはつまらなくないですか? 作者は最初からニートの主人公にネガティブな思いを抱いていたってことですよね。鼻白んだ。

周りがニートを卒業せよと言うのはわかる。でも作者までその声に引きずられてどうするんだと。ニートはニートのまま、つまり主人公は成長しないけど家族の関係性に大きな変化が起きる。そういうのが見たかった。ビルドゥングス・ロマンにしてしまってはいけない。


⑧四畳半神話大系
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これもすさまじい作品でしたね。とにかくオープニングクレジットもエンディングクレジットも粋で、そのエンディングクレジットで最終話が始まり、最後はオープニングクレジットで幕を閉じる。どこまでも粋なのでありました。来年の『映像研には手を出すな!』がとても楽しみ。


詐欺の子
沿線地図

この二作については感想を書きました。リンクを貼ってますのでよろしければどうぞ。『沿線地図』もラストに納得できなかったなぁ。

というわけで、来年はもっと新作に質の高いものを切に望みます。


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2019年12月26日

益田ミリさんの人気シリーズ『すーちゃん』の最新刊『わたしを支えるもの』が刊行されていると知り、慌てて購入しました。

最後の『すーちゃんの恋』が出てから7年。ずっと2年おきの刊行でしたからもうシリーズは完結したもんだとばかり思っていたのでうれしい悲鳴。

細かく憶えてないし、いい機会だから全部読み直そうと、まず最初の2巻を再読しました。


第1巻『すーちゃん』
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すーちゃんはカフェで働く35歳、独身、子どもなしのいわゆる「負け犬」。

そんなすーちゃんの「このまま年老いていくのだろうか。老人ホームの見学をしておいたほうがいいのだろうか。貯金はいくら必要なのか。いや、やっぱり結婚して幸せになりたい。でも出逢いがない。いったいどうしたらいいの?」

という心の叫びが物語の要諦で、いつの間にか歳をとり、若くて少しだけかわいいというだけで彼氏ができたり結婚したりする後輩を見てうらやましいながらもそれはそれでいいことだと我が事のように喜ぶすーちゃんは、おそらく作者自身の反映なのでしょう。とてもいい人。

そんなすーちゃんですが、やはり上記のような悩みが深く、夜一人で卓袱台に突っ伏してしまう。

そんなとき、すーちゃんの哲学が炸裂します。

「とりあえず、風呂入ろ」

「いま風呂に入ることは正しいことだ」とそれまで悩んでいたのがウソのようにサッと風呂に入りにいく。

とりあえず風呂に入る。とりあえず寝る。こういう気分の切り替えができるかどうかが人生の分かれ道かもしれないと本気で思います。

私はこういう切り替えができなかったから大成できなかったのかもしれない。とりあえず風呂に入って寝て目が覚めて「いい朝だ」と思えていれば、こんなことには……

などとすーちゃんと同じように老後の心配などしてしまう自分自身に笑いが出ます。

この第1巻で印象的なのは、日常あるあるとして紹介されるエピソード。

・落ちていた商品を見つけたけど面倒で拾ってあげなかったことをほんの少し後悔した。
・恋愛攻略本をつい買ってしまった。
・まだ間に合いそうな人がいたけど、気づかないふりで閉ボタンを押してしまった。

などなどには深く深くうなずいてしまうのでありました。


第2巻『結婚しなくていいですか。 すーちゃんの明日』
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すーちゃんの他、昔バイト先で一緒だったまいちゃんと、同じ会社で働く(といっても現場のカフェではたらくすーちゃんに対し、こちらは本社で事務をしている)さわこさんの結婚願望をめぐるあれやこれやが描かれます。

相変わらず「老後(への不安)がいまの自分を窮屈にしている」と思うすーちゃんとは対照的に、さわこさんはいま40歳で、13年間彼氏がいないので「メスとしてオスを欲している肉食女子」。恋愛よりセックス、結婚よりセックス、妊娠よりセックスのさわこさんがお見合いして13年ぶりにメスとして扱ってくれた男が、実は微妙に女を見下している男であることがわかるくだりはとても印象的。このエピソードだけははっきり憶えています。たまに思い出すくらい。

そんなさわこさんが生理痛で仕事中つらい思いをしているときの心中の一言にハッとなる。

「血を流しながら、女は働いているのです」

男には永久にわからないこと。女だからこそ描ける心理。

話は変わって、風呂に入ったあとに老後について悩み始めたすーちゃんは、

「このまま年を取ったらどうなるのかはわからない。ひとつだけわかっていることは、人に迷惑をかけちゃいけないってこと」

え、ほんとにそうなの? それが唯一正しい老後なの?

山田太一さんの『男たちの旅路』最終話で、車椅子の障害者たちに鶴田浩二が言いますね。

「人に迷惑をかけちゃいけない。確かにそうだ。でも君たちは特別なんだ。迷惑をかけていいんじゃないだろうか」

その一言で引きこもっていた障害者たちが外界へ飛び出していけるようになる。

さわこさんは実家暮らしなんですが、母親の母親、つまり祖母の介護をしている。祖母は娘(つまりさわこさんの母)を自分の姉だと思っている。母親はそれを淋しいと思っている。祖母は迷惑をかけている。でもさわこさんはそれを迷惑とは思わない。そういう老後もある。

すーちゃんの知らない老後がそこにある。

しかし知ることになるのである。すーちゃんがさわこさんの家を訪れたとき「実は祖母が寝たきりで」とさわこさんが言うと、すーちゃんは「ご挨拶したい」という。さわこさんはその一言がとてもうれしい。なぜなら兄の家族が来たとき、祖母が隣の部屋にいることを知っていながら顔を見せなかったから。

すーちゃんは他人でありながらさわこさんの祖母に挨拶することで「老後の現実」を知った。

そこですーちゃんは「やっぱり貯金が必要か?」と考えるが、

「よくわからないけれど、未来のためだけに、いまを決めすぎることもない」

と、とりあえず思うのでありました。

続きの記事
すーちゃんの才能『どうしても嫌いな人』から『わたしを支えるもの』まで







2019年12月21日

今年の「週刊文春エンタ!」は来年6月に公開される『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の特集。それといろんなおすすめアニメを教えてくれるこれまたなかなかの良書。

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まだ途中までしか読んでませんが、いまのところ際立って印象的なのは「押井守監督に聞く! 俺的アニメトピック2019」です。

まず、今年のアニメ界最大の事件は京アニ放火事件であり、日常系アニメを得意とするアニメ製作会社がとんでもない非日常的な悲劇に襲われた、これは「テロが日常化した」ということだろうと。

それから、「2020年は映画が映画であることの根拠が失われるのではないか」という提言。これは正直よくわからなかった。

Netflix作品をアカデミー賞から締め出そうとしたスピルバーグはもう時代遅れの人になってしまった、新しい波にのれなくて焦っている印象を受ける、と。なるほど。これはわからんではないけど「映画である根拠が失われる」というのが具体的にどういうことなのかよくわからない。わかるようでわからない。

次に、NetflixやAmazonプライムは潤沢な予算があるうえにクリエイターを尊重してくれると聞いていたので企画書を出したがことごとく通らず、80年代から90年代のオリジナルビデオ・アニメの様相と似てきている、と。

つまり、最初はオリジナルのストーリーを尊重してくれていたのが、次第に人気シリーズの続編やスピンオフなど「鉄板企画」しか通らなくなってしまった。いずれそうなるという危惧はあったが恐るべき早さでそうなってしまった、と。

でも『アイリッシュマン』は原作があるとはいえハリウッドメジャーでも企画が通らなかったものだし、『マリッジ・ストーリー』はオリジナルだし、鉄板企画しか通らないというのは違うのでは? 『全裸監督』だって配信会社だからこそ作れたんだろうし。

その直後、私が刮目した一節が目に飛び込んできて何度も読んだ。

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「一番の問題は、作品を配信したあと反響が聞こえてこないことなんだ。これが作り手に取って最も大きな問題となる。映画やテレビの場合は動員や興行収入、視聴率などが反響になるけど、配信はそれがほとんどない。配信会社がデータを公表してないせいもあって数字がわからない。視聴者は全話見たのか、あるいは途中でやめたのか、それもわからない。つまり観客が作品と向き合うときに抱くであろう待望感や失望感、それらがほとんど伝わってこないんだ。これが1話ごとに値段が設定されていたらまた違うんだろうけど、すべて見放題で月額制だから、ますます待望感や失望感も薄れてしまう」

なるほど! 「数字」が大きな指標になると。いつも「数値信仰」はやめようと言っている私もこの言葉には深くうなずかざるをえなかった。

次の言葉はどうか。

「配信には映画に伴う社会的な行動が存在していない。誰かと一緒に見に行って語り合うこともできなければ袋叩きにすることもできない。個人的にネットに書きこむだけでは社会的な行動とは言えないよ」

これはすごく微妙だな、と。

私はブログやツイッターで映画の感想を書いているし、特に検索から入ってくる人が多い記事の場合、その映画自体が多くの人に見られていると(データではなく実感として)わかるし、逆に自分自身が書いたものが読まれているとそれはそれで「反響」にも感じられる。

でも、それは私個人が感じることであって、私の感想文を作り手のほうは「反響」とは感じていないのでしょう。というか読まれていないでしょう。たまに感想を書いた映画の監督さんや本の著者からコメントをいただいたりフォローされたりということはあるけれど、それもまた私個人の問題であって、先方にとってはただのネット上の戯れ言にすぎないのかも。

確かにネット上に駄文を連ねるのは「社会的な行動」ではない。でも、いまやその社会的とは言えない言動が実社会を動かしている面も否定できない。

スピルバーグを時代遅れと難じながら、押井さん自身も時代遅れになりつつあるのではないか、とも感じました。

でもやっぱり、このインタビューの肝は、配信だと反響が作り手まで届かないということに尽きるかと。

スコセッシはメジャースタジオでは作れなかった『アイリッシュマン』をNetflixという救いの神の助けで作ることができた。だからNetflixなど配信会社は貴重な存在だ、これからは配信の時代だ、と、まるでそれが「新しい時代の波」であるかのように言うのは時期尚早なんじゃないか。

と、押井さんのインタビューを読んで思いました。スコセッシは『アイリッシュマン』の「手応え」をどのように感じているのか。はたまたまったく感じられず苛立ちを覚えているのか。

潤沢な資金があるというだけでは未来はないように思います。少なくともデータを公表したらいいのでは?