聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

二人称小説『ヒロポン中毒』脱稿!

icon_256

(承前)①小説を書き始めました 
     ②酸欠状態になりながら小説を書くということ


約一か月前から突如書き出した生まれて初めての小説がようやく脱稿できました!

いやぁ~、この1か月、本当にきつかった。酸欠状態にもなったし、酸欠が怖くてなかなか机に向かえなかったり。

まぁ途中からは書きながら深呼吸すると術を身に着けましたが、書き直しもきつかった。何しろ自分で自分を責めぬく内容ですからね。一文一文が突き刺さってくる。

俺はどうしてこんなしんどいものをわざわざ自発的に書いているんだろうと、書きながら笑ってしまったりもしましたが、前も書いたように、これは「通過儀礼」なのでしょう。これを書いたら一皮むけるという確信がありました。

書き終えたいま、本当に一皮むけたかと問われると、ウーン、、、何も変わってないような気がする。としか答えられませんが、おそらくこれからの生活に生きてくるのでしょう。

タイトルは『ヒロポン中毒』といいます。(最初は『撃つべきはおまえの目』とご紹介してましたが、出す直前に変えました)
そもそも小説作法がまったくわかっていないのに加えて、「二人称」なんて手法を選んでしまったから大変。はたしてこれでいいんだろうか、という心配ばかり。でもま、何とか形になってくれました。(読む人が読んだら一文の価値もない、と言われなかねませんが)

文芸社と毎日新聞社共催の「人生十人十色大賞」というのに出そうと思っています。受賞すれば出版されますが、読まないでくださいね。恥ずかしいこといっぱい書いてあるから。じゃあ何で出すんだよ、と言われそうですが、だって、ほら、書いたからには出してみたいじゃないですか。やっぱりね。

とりあえず重荷を下ろすことができてホッとしました。というか、この重荷は最終目的地までもっていけないんじゃないか、今度こそ最後まで書けないんじゃないかと危惧してましたが、杞憂に終わってくれたのが何よりです。  

あとは野となれ山となれ。


      

ついに終わってしまうエキサイトメールサービスの思い出

おとといでしたかね。
私が使っているフリーメールサービス、エキサイトメールにログインすると、「重要」と物々しい感じでお知らせが載ってました。

excite-ending

うーん、そうなんですか。周りにもエキサイトメールを使ってる人ってほとんどいないので、こういう日がいつかは来るんじゃないかと思ってましたが。
メールサービスを維持するのにどれだけの人手や手間、お金がかかるのか知りませんが、終了ということは結構な赤字だったということなんですね。やっぱり。

6月にはアドレス帳などをダウンロードできるようにしてくれるらしいですが、まぁ私の場合、こないだGoogleアドセンスの審査をお願いするときにgmailのアカウントを取得しているし、そのときに登録アドレスは全部コピペしてあるから大丈夫ですが、そんなことより、ネットを初めてもうそろそろ20年になりますが、始めたときから使っていたエキサイトメールがなくなるというのはものすごく淋しいというか、戦友を亡くすってこんな感じなんだろうかと感慨深いものがあります。

さて、なぜ私がこんなマイナーなメールサービスを使っていたかといいますと、メールアドレスの取得の仕方を教えてくれた友人がそのときエキサイトを使っていたからなんですね。

もともと根がアナログ人間の私は、脚本を書くための調べものもほとんど読書でやっていました。その友人は「ネットのほうが便利だし大量の情報を得られる」と教えてくれたんですけど、別にいいよそんなのは、と消極的でした。するとその友人はわざわざ家まで来てアドレスの取得の仕方を教えてくれたんですね。

どうも私には「他人におせっかいを焼かせる才能」があるようです。映画の専門学校に入ったとき、すぐ仲良くなった友人がスプラッターの大ファンで、私はその手の映画が大の苦手だったんで『悪魔のいけにえ』を見ろ見ろと薦められても拒否してました。するとその友人がわざわざビデオをレンタルしてきて又貸ししてくれたんですね。規約に違反してまで見せたいの? その心意気を無駄にしてはいけないと見てみたところ……これが大当たり! それ以来スプラッターが大好きになってしまいました。

閑話休題。
私はコンピュータとかできれば敬遠したい人間なので(いまもそうです)パソコンというものをもっていませんでした。脚本もワープロで書いてましたから。というわけで、親父がもっていたパソコンでエキサイトメールのアドレスを取得したのでした。

それを機に、いろんな情報をネットで仕入れるようになり、なるほど、これは便利だわいと重宝してます。強引に教えてくれた友人には感謝してもしきれません。彼がいなければ、いまこうやってブログを書いていることもなかったかもしれない。

いろんな会員登録してるサイトでアドレス変更の手続きをしないといけないし、それに何かgmailって使い勝手悪くないですか? いまはGoogleからのメールしか来ませんけど。9月以降になっても新しくメールアドレスを記入するとき、ついエキサイトのアドレスを記入してしまいそう。

というわけで、エキサイトメールのサービス終了というのは、「ついに」「やっぱり」という思いはあるものの、そうはいってもやっぱり悲しいニャ。


ベネディクト・カンバーバッチは女性差別主義者かもしれない件

Benedict_Cumberbatch

ベネディクト・カンバーバッチが「これから仕事をする現場で、男女が同額のギャラを受け取っていない場合はその仕事を断る」と発言したらしいですが(→こちらの記事)やはりこの男は底が浅いと思いました。というか、まるで自分は純粋なフェミニストみたいに言ってますが、もしかすると無意識の女性差別主義者かもしれないな、と。


なぜ「同額」なのか
記事には「給料や機会の平等こそフェミニズムの根幹」とありますが、半分は間違いです。
確かに「機会」は平等でなくてはいけません。でも「給料」はその人がやった仕事に対する対価なのだから「結果」じゃないですか。機会という「入口」と結果という「出口」を一緒にするのは明らかな間違いです。
能力や成果に応じてギャラは変動するのが普通。入口は誰にも平等に開かれていないといけないけれど、出口が平等っておかしいでしょ。能力が高くて成果も高かった人が、低かった人と同じであってはいけない。特に映画界なんて実力が何よりものを言うんだし。

格差はあるのが当たり前です。格差があるのが問題なのではなく、格差が固定化することが問題のはず。貧乏人の子どもは絶対金持ちになれないとか。しかし、「男女同額」というのは「固定化」に一役買うことになりませんかね?

確かに、これまで男優のほうが女優よりギャラが高額だった傾向が高いのは否めません。能力云々に関係なく「男だから」というだけで女性より給料が高い。これは映画界にかぎった話じゃないと思うし、それを是正するのはとても大事なことです。

しかしそれならば「能力の高い女性は能力の低い男性より高いギャラをもらってしかるべき」とならねば論理的におかしい。なのになぜ「同額」なんでしょう?

カンバーバッチの底が浅いというか、かなり問題だと思うのは、「女性が男性より能力が高い可能性」を最初から排除していることです。それは「無意識の女性差別」と見て間違いない。


テニスにおける男女格差
images

テニスでは、ちょっと前まで男女の優勝賞金に差がありましたが、いまは四大大会はすべて男女同額らしく、それより下の大会でもすべてそうなのかは知りませんが、40年前とかは男子のほうが数倍も多かったらしい。

だからといって、まったく同じにする必要なんてないと思います。
優勝賞金って何よりもチケット収入が主な財源なんだから、男子の試合に観客が多ければ男子に多く払い、女子の試合に観客が多ければ女子に多く払えばいいだけの話では? 前年度の男子と女子の観客動員の比率をその年の賞金額の比率と同じにする、とか。

実際には、男子の試合の集客率のほうが3倍ほど高いようです(私は女子のテニスのほうが面白いんですけど、そう思って見ているのは少数派とか)。ただ、大会によってばらつきがあるはずなので、男子が女子より3倍の観客を集めたのなら賞金も3倍にすべきだし、2倍なら2倍、1.5倍なら1.5倍。当然、女子が男子より2倍観客を集めたのなら女子が2倍もらうべきです。「男女平等」ってそういうことじゃないの?

だからやっぱり問題は「固定化」なんですよ。すべてを流動的にすればいい。

それから、フェミニストとか男女平等論者がずれてるなぁと思うのは、「男女が平等であればそれでいい」と思っていることなんですよね。

テニスにおける格差は男女だけではありません。
シングルスとダブルスの格差は男女の格差以上です。そりゃそうだと思います。私もシングルスは好んで見るけれどもダブルスなんてほとんど見たことないですから。観客が呼べないのであれば賞金は少なくて当たり前でしょう。しかし、男女平等論者は「男女の格差は許せない」と息巻くのに、シングルスとダブルスの格差には何も言わない。「結果」の平等を問うのであれば、どちらにも反対の声を上げないといけないはずなのに。


「政治的正しさ」は両刃の剣
いまの世の中、「政治的正しさ」こそが正義と思っている人が多いようですが、それは「手段」にすぎないと思う。男だからという理由だけで高額のギャラをもらうのはおかしい。そこに「男女平等」という政治的正しさをもちだして是正していくのは大事なことです。でも、それが「目的」になってしまったら「男女同額」という歪んだ平等主義に行き着くしかない。女性が男性より能力が高い場合でも、男性と同額のギャラしか受け取れなくなってしまいます。

政治的正しさというのは、だから両刃の剣なんです。そんな危険なものはあまり振り回さないほうがいい。

繰り返しますが、「男女同額」という発想の根底にあるのは「女性が男性を上回る可能性などない」という女性蔑視の思想です。


LINE読者登録QRコード
LINE読者登録QRコード
最新コメント
お問い合わせ
お問い合わせは、こちらまでお願いします。