2019年07月11日

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美人と美女
どちらがきれいか? そんなのどっちも意味一緒じゃないか。

美人=美しい人
美女=美しい女

「人」といっても普通「美人」という言葉は女にしか使わないんだから「美女」と言い換えても同じ。違いなんかない。というか、そもそも「美」の概念は主観の問題なんだから正解なんてないのでは?

と、普通はそう思うと思うんですが、これが違うそうです。

もう10年くらい前だと思いますが、タモリが司会の言葉をテーマにした深夜の30分番組でやっていました。

正解は「美女」! だそうです。

なぜか。

普通、人と話していてきれいな女の人を見たら「すげえ美人!」って言いますよね。あまり「美女」とは言わない。

つまり、「美人」と「美女」は意味は一緒でも人の口から出る頻度がぜんぜん違うのです。

通貨がたくさん市場に出回るとインフレになって同じ100円でも価値が下がります。それと一緒で「美人」という言葉は「美女」に比べて価値が目減りしているのです。

だから「美人より美女のほうがきれい」ということになるんだそうです。

へぇ~~~!


政治における言葉のインフレ
「遺憾に」「真摯に」「毅然と」などなど、政治家が決まり文句のように使う言葉もインフレを起こしていますね。「真摯に対応する」と言われても少しも真摯に感じられないし、「遺憾に思う」と言われたら「何も考えてないのね」と思ってしまう。

「忖度」もそうですね。
ちょっと前まではほとんどの日本人が読み方すら知らなかった言葉ですが、流行語大賞に選ばれるなど人が口にすることが急激に増えたので価値が急落。いま「忖度」という言葉を使うと冗談と間違えられるんじゃないかと躊躇してしまいます。


「傑作」という言葉
私はブログやツイッターで映画の感想を書くとき、「傑作」という言葉をあまり使わないようにしています。たまに使うと「おまえがそこまで言うんなら見に行くよ」と言ってもらえる。

と、ここまで書いてきて気づいたんですが、「傑作」という言葉はあまり使わないにしても、「素晴らしい」はよく使ってるなぁ、と。私の「素晴らしい」はあまり信用されてないのかもしれません。

使う頻度を減らしていこうかな。




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2019年07月10日

羽鳥さんの番組で玉川さんが「生活保護を切り下げろというのは自分の首絞めてるってことに気づいたほうがいいよ」と言ったそうです。

まさしくその通りですね。

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画像にあるように、国民年金だけを受け取る人よりも生活保護を受ける人のほうが倍ほどもらえるということで「切り下げろ」という声が出ているようです。国民年金でもらえる額をもっと引き上げられるようにするという逆の発想が必要なのに。

しかしここでは政治的な意見を表明したいわけではなく、昨今の「生活保護バッシング」とぜんぜん違う分野の「キラキラネーム」は実は根っこが同じではないか、というのがこの記事の主旨です。


「減税日本」と「NHKから国民を守る会」
数年前には名古屋市長が「減税日本」という政党を旗揚げしましたが、私はあれはキラキラネームだと思いました。

経済には疎いんですが、あのときもいまもデフレが止まらないのだから減税をして内需を増やすのは正しい政策なのでしょう。

だから減税日本が政権を取れば当然減税をする。しかしいつまでも減税し続けるわけにはいかない。いつかは増税が必要なときが来る。そのとき「減税日本」という党名はどうするんですか? 「増税日本」に変えるの? まさか!

つまり、「減税日本」という政党名は、「将来自分たちが政権を取り、その帰結として増税が必要になるとき」という未来が見えていないからこそ付けられた名前なわけです。

ちなみに「NHKから国民を守る会」というのも同じです。NHKは時の政権の忖度をして保身に走っているのだから、NHKから国民を守る会が政権を取ったら当然NHKは彼らの心中を忖度するわけでしょう? なのに「NHKから国民を守る会」なんですか? まさか!


キラキラネーム
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「黄熊」と書いて「ぷう」なんて悲惨ですが(しかも女の子!)自分の子どもにこういう名前を付ける親も同様です。赤ん坊から5歳ぐらいまでなら「黄熊(ぷう)」ちゃんでもかわいいからいいですけど、その子が学校に入り、成人になり、社会に出て、還暦を迎え……という未来が見えていないのです。いましか見えていない。

その意味で「減税日本」「NHKから国民を守る会」と「黄熊(ぷう)」などのキラキラネームは同根です。「時間」の概念が決定的に欠落している。


生活保護バッシング
これも同じだと思うんですよね。
いまは普通に働いて給料を得ていても、いつ何どき事故や病気で働けなくなるかわかりません。未来の自分がどうなっているかなんて誰にもわからない。

彼らには「自分がいまと同じく生活保護を受けないで大丈夫な生活」しか見えていいない。「将来どうなるかわからない」ということがわかっていない。「時間」の概念が欠落しています。


というわけで、キラキラネームをつける親と、生活保護バッシングをする人たちは根っこが同じと思う次第です。(というか、同じ人たちなのでは?)






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2019年07月09日

ついに今週末からロードショーされる『トイ・ストーリー4』公開に先立ち、前作『3』がテレビ放映されました。


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前回、『新聞記者』の感想(⇒こちら)で、「善と善」の対立にしないといけないという私の主張(というかおおもとはある高名な脚本家)がわからないと友人に言われまして。

言葉が足らなかったかもしれませんが「善」というのは「善人」という意味ではありません。「その人の言い分に納得できる」「その人にも同等の理がある」ということです。どうしても安倍政権を批判している映画だから政権側にも理があるというと反安倍派の人たちは「そんなものがあるか!」と感情的になってしまうみたいで。どうしても政治のことになると頭に血が上ってしまうのが人間という生き物のようです。

そんなときに『トイ・ストーリー3』の放映。劇場で見て以来の鑑賞でしたが、これがすばらしく「善と善」の対立になっていて、いい見本だと筆を執りました。


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「悪意」のないドラマ
このロッツォという名のクマのぬいぐるみがとんでもなく悪い奴なんですが、彼が悪い奴になってしまったのには理由があるんですよね。

ウディにとってのアンディのような、素敵な持ち主の女の子にかわいがってもらっていたのに、ハイキングに出かけたときその子が眠ってしまい、親が寝かせたままおもちゃを全部置いたまま帰宅してしまった。ひたすら待つが持ち主は来ない。自分たちの足で何とか帰ると、同じぬいぐるみの新しいのを買ってもらっていた。

捨てられたと思ったロッツォは一緒に捨てられた仲間たちと「捨てられたおもちゃの帝国」を作り上げ、そこの支配者として君臨している、と。

確かにウディが指摘するように、持ち主に新しい代わりができたのはロッツォだけで他のおもちゃは帰る余地があった。それを一緒にダークサイドに道連れにしたのはロッツォの悪意でしょうが、ハイキングで置き去りにされてダークサイドに堕ちたからそうなったわけで、じゃあ、置き去りにしたのはなぜかというと、女の子が寝てしまったから。両親はおもちゃのことなんて頭にないし、なくしたら新しいのを買えばいいと思っている。子どもは子どもの原理、親は親の原理で行動しているだけ。

誰にも悪意がない。悪意によって対立を生むのではなく、そういうのなしでドラマを組み立てろよ、というのがくだんの脚本家の指導でした。『新聞記者』では生物兵器という世界中を敵に回しかねない極悪を根っこに設定しているので「無理やり感」があるんですよね。『トイ・ストーリー3』は見事にそれを体現しています。


底流する「別れの予感」
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ここからは純粋に『トイ・ストーリー3』の感想ですが、アンディが大学に行く年齢になり、ウディやバズと遊ぶことがないという背景が何とも哀しいですね。「出会いは別れのはじまり」とhwvあよく言いますが、いつかはおもちゃ離れしなきゃいけないときが来る。いつかは親元を離れないといけないときがくる。いつかは親しい者との死別のときがやってくる。(飼い犬が老犬になっているのが死別の暗示になっています)

とはいえ、アンディはウディたちが慕うだけあって、用済みだと捨てたりはしません。ただウディだけは別にして他のおもちゃを屋根裏に保管しておこうと思っただけ。なのに、ひょんなことから母親がゴミとして出してしまう。ここにも悪意はありません。ロッツォの持ち主の両親と同じく「大人はおもちゃのことなどこれっぽっちも気にしていない」というのが『トイ・ストーリー』の世界観だからです。

考えてみれば、このシリーズは目的地へ向かってまっしぐら! という内容ですね。1作目から3作目まで見事に自分たちの家に帰るお話です。


「運命」に逆らうドラマ
が、この『3』が異色なのは、逃げる唯一の道が溶鉱炉へ通じるゴミ箱というところです。「おもちゃはいずれ飽きられるか壊れるかして捨てられ燃やされる運命だ」とロッツォは言いますが、ウディたちは何とかその運命に抗います。ただの物理的な脱出ではなく、「運命」という神の掌からの脱出になっていて、2作目までとは一線を画す壮大な脱出劇となっています。

では、『4』はどういう脱出劇なのでしょうか? それとも脱出劇ではなく違う趣向の物語なのか。私は『3』を超える新しい脱出劇を見せてほしいと切望しています。「運命」以上の壁はあるのか。いずれにしても予想をはるかに超えるものを見せてくれるはず。

期待してまっせ!






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