聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

『ラスト・ラン/殺しの一匹狼』(娼婦は心悪しき女)

黒沢清監督が生涯ベストワンに挙げている、リチャード・フライシャー監督による1971年作品『ラスト・ラン/殺しの一匹狼』。

黒沢さんはフライシャーの経済効率にすぐれた映像演出を絶賛していましたが、私がこの映画で一番すごいと思うのは脚本家アラン・シャープによるセリフですね。


背景を説明しない
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まずこの『ラスト・ラン』の最大の特徴は物語や登場人物の背景をほとんど説明しないことです。

舞台もどこなのか判然としない。ヨーロッパ人なら簡単にわかるのかもしれませんが、私は主人公ガームスが船を貸している懇意の漁師がミゲルという名前であることと、彼が「大西洋」と言っていること、そしてフランス税関が出てくることから、バスク地方かもっと下ってポルトガルとの国境あたりなのかな、ぐらいしかわからない。テロップでどこそこと出さないのが大変よろしい。どこで起こった物語かなんてあまり関係ないというか、この3人ならどこで出会ってもこういう展開、結末しかありえなかっただろうという普遍性があります。

ガームスは9年ぶりの仕事に際して息子の墓参りをします。3歳で死んだそうです。でもなぜ死んだか映画は教えてくれません。息子が死んだ直後、奥さんは「胸を膨らませに」と言って家を出ていき、そのまま帰ってこなかったとか。男ができたのか、それとも息子が死んだことで一緒にいたくなくなったのか。映画は最後まで明かしてくれません。

ラストでも、モニークが裏切ったのかどうかもよくわかりません。ミゲルが殺されたのはガームスの船を奪うためでしょうが、だとすると、ガームスを雇った黒幕は最初から彼らが元の町に戻ってくることを予想していたのでしょうか。というか黒幕が最後まで登場しない。

でもそれでいいのだと思います。大事なのはガームスという男が底なしの孤独を抱えていることです。ほとんど夫婦のような関係の娼婦モニークには大事な金を預けたり心を許していますが、いざ仕事に行く直前、彼が行くのは教会。そこで神父にではなく神に直接語りかけます。この告解が実に印象深い。ガームスという男の人柄が一番よく出た場面になっています。

「俺は罪びとです。でも昔とは違います。最近は何もしていません。信仰心は薄い。でも今回の仕事はやり遂げたいんです。俺には運転だけだ。金のためです。でもまっとうしたい。それだけです」


見事な演技のアンサンブル
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刑務所に入っていたリカルドという男をフランスまで逃がすのがガームスの仕事なのですが、思いもよらず彼を待つ女クローディがいて、三角関係が始まります。この三角関係が実に斬新。

クローディはかつてリカルドの弟の恋人だったのに4年前にリカルドにあてがわれます。「弟は麻薬中毒だった」というセリフがあるだけでどういう事情なのか詳細には語ってくれません。大事なのはクローディが「商品」として男と男の取引に使われてきた女だということです。

ガームスはクローディに惚れるのですが、それはクローディが誘惑したからであり、背後で糸を引いているのはリカルドです。ガームスを都合よく利用するために誘惑させた。リカルドはガームスはおろか恋人のクローディも「物」として利用する悪人ですが、このリカルドの人物造形が素晴らしい。アラン・シャープによる脚本にすでに活き活きとした人物が描かれていたのでしょうが、演じるトニー・ムサンテとフライシャーの丁寧な演出(映像演出ではなく演技指導のこと)によってリカルドというキャラクターはリカルド自身の輪郭を常にはみ出す勢いがあります。

それはジョージ・C・スコット演じるガームス、トリッシュ・ヴァン・ディーバー演じるクローディも同様でしょう。3人の芝居がすこぶるうまい。うますぎるほどにうまい。「演技のアンサンブル」とはこういうのを言うのだ、と言わんばかりのフライシャーの演出ぶり。


「娼婦は心悪しき女」
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ガームスは娼婦モニークに金を預けるとき、

「娼婦とは多くの男と床を共にする女のことではない。心悪しき女のことだ」

という印象的なセリフを言います。このときモニークを演じるコリーン・デューハーストがサッとガームスの手を握るんですね。この芝居のつけ方がまた素晴らしい。まるで本当に目の前で彼らが生きているかのようです。

ガームスはモニークのことを少しも疑っていない。だから金を預ける。しかしモニークは心悪しき女と言われてハッとなる。この時点で彼女は黒幕に買収されていたのでしょうか。すべては最初から仕組まれていたのか。どうか。

しかしながら、「娼婦は心悪しき女」というセリフで肝要なのは、それがクローディにも当てはまるのかどうかということです。


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クローディが本気で自分に惚れていると思い込んでいるガームスは、リカルドを捨てて俺と一緒にアメリカへ逃げようと言います。しかしこの前にガームスはリカルドに「彼女を連れて逃げたら許すか」と訊いています。それを知ったクローディは「私にはいつ訊いてくれるの? 男同士で相談してから?」と言います。リカルドとその弟もそうやって男同士で相談してクローディを物としてやり取りしていた。クローディはまだ年端もいかない子どもの頃から「商品」だった。そういう意味では彼女は娼婦です。利用するためにガームスを誘惑するのも彼女が娼婦だからです。

でもガームスの娼婦の定義に彼女が当てはまるかどうかというと、私は違うと思います。

確かにクローディは最後にガームスを振ります。彼女と逃げる気満々だったガームスはショックで硬直し、そして精一杯の笑顔で「知ってたがね!」と言います。このときのクローディの哀しい表情がたまらない。心を痛めている彼女は決して心悪しき女ではない。クローディはガームスのことが少しは好きだと思う。でもそれ以上に「商品として扱われることへの嫌悪」が勝ったのでしょう。ガームスにとっては悲劇でも、クローディにとってはこれまでの自分を脱皮する大事な通過儀礼でした。


射程距離の長いセリフ
その直後、「何を話していた」とリカルドに訊かれた彼女は「彼が聞きたかったこと」と答えるんですね。このセリフの射程距離の長さ! アラン・シャープという脚本家は天才だと思います。

黒幕が誰なのか最後までわからず、なぜ追われていたのかもよくわからないままガームスは殺されます。息子に死なれ、妻には逃げられ、懇意の娼婦に裏切られ、娼婦ではない女には振られ、最後には殺される。そして結局一番得をしたのは身勝手で少しも成長しないリカルドだったという何とも理不尽な、あまりに理不尽な結末。

何とも哀しい。ここまで哀しい映画は他にちょっと思いつきません。

特異な背景を背負った3人のキャラクターという特殊性から、展開や結末の普遍性を導いたアラン・シャープの作劇とそれを実現したセリフのすごみに感服しました。


ラスト・ラン 殺しの一匹狼 [DVD]
ジョージ・C・スコット
復刻シネマライブラリー
2016-10-24



高校野球の球数制限について思うこと(マウンドに立つまでが大事)

高校野球で球数制限のルールが導入するという新潟高野連に対して、日本高野連が再考を求めた問題。

確かに、一人のピッチャーに連日連投させるのは肩や肘によろしくない、将来を嘱望されるピッチャーほど連投を強いられるから制限するのはいいことだという意見と、いやいや、それではエース級が一人しかいない弱小校が圧倒的不利になる、はたまた、高校で野球をやめる生徒を球数だけで交代させていいのか、という感情論も出ているようです。


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私もこの球数制限には大反対ですが、上記のような理由ではありません。

何よりも「100球」というデジタルな数字で区切ることが大いに疑問。個人差があるのになぜ一律100球なのか。

みんな頭の中がデジタルになってしまっていると思います。

球数が問題なんじゃない、大事なのは登板間隔だと、1日おきの投球なら大丈夫と言う人もいますが、それだって結局はデジタルな数字を論拠にしてる点では大差ない。

この問題についての意見を読んでいると、誰それは1試合で何球投げたとか、数字ばかりが前面に出てきています。それっておかしくないですか?

横浜のエースとして延長17回を一人で投げた松坂大輔。あのときの監督は「あいつならまだ投げられる」と確信していたそうです。練習のときから常に全員のコンディションや性格などを頭に入れ、「こいつはまだまだ」「でもあいつはもう代えてやらないと」と考えていたとか。何球とか何イニングとかそういうことじゃなくアナログな感覚。

結局のところ、指導者がちゃんと気を配っていればいいだけの話で、なぜ「(デジタルな)ルール」として制限せねばならないのかが少しもわからない。

勝つために一人のエースを酷使しないように指導者を教育することのほうが大事だろうし、何より一番大事なのは子どもたちへの体育指導じゃないですか? そこをおろそかにしてルールだけ変えても野球が面白くなくなるだけ。最近の子どもたちは幼い頃から冷房の効いたところで育つから汗腺の数が少ない。だから熱中症になりやすい。学校だけじゃなくて家庭での体育や食育がとても大事。

マウンドに立ってから何球とかそういうことじゃなくて、マウンドに立つまでのほうがよっぽど大事なのに、なぜそういうことを言う人がほとんどいないんでしょうか。

肩を壊す球児を減らしたい。それはわかります。

でもそれなら本から正さないと。試合というのは末端であって、本は日頃の生活ですよ。生活を大人がちゃんと見ていてやること。



ツイッターを休んで何をしていたか

ちょっと前からツイッターを休んでいましたが、今日から復活することにしました。

なぜ休んでいたかというと、このブログの表示スピード改善のためでした。

ちょうど1年前にGoogleアドセンスの審査を通って広告配信が始まったんですが、ほんのわずかしか収益が上がっていないんですね。

先々月ぐらいからアクセス数も急激に増え始めたのにそれでも収益は少し上がっただけ。

なぜだろうと思っていろいろ調べた結果、ブログの表示スピードが遅いということがわかりました。画像の圧縮は数か月がかりで全部やったんですけど、他にも原因があるらしい。それを診断してくれる便利なサイトを見つけたまではよかったんですが、解決策がわからない。

いや、そのサイトでは解決策を提示してくれてるんですけど、それがどういう意味でどうやれば具体的に解決できるのかがわからない。CSSとかJavaScriptとかぜんぜんわからない。

そこで本腰を入れて勉強しようと思ったんですよ。そのためにツイッターをやる時間を削ろうと思って休会していたわけです。もうすぐ2週間ぐらいですかね。

でも、何も解決できずじまいでした。

あんまり根詰めるのもよくないなぁと思い復活することにしました。もちろん改善を諦めたわけではなくもっと勉強するつもりなんですが、ボチボチやっていこうかと。先週はあまりの睡眠不足でフラフラになってしまったし。

そういえば、休会してる間に2回だけリツイートしましたが、あれについて「休会してるのに」みたいなことを言う人間が一人だけいました。休んでるといっても会社を休んでるわけじゃない。ツイッターを休んでいるだけ。休会中にツイートやリツイートをしたところで誰にも迷惑は掛からないのに何を言ってるのかと。ツイッターを仕事か何かと勘違いしてるんですかね。あんなものを真剣にやってる人間がたくさんいるとは聞いたことがあるけど(だからバイトテロなんてことが起こるんでしょうな)こちらは完全な遊びでやってますので、そこんとこよろしく。

ブログは仕事と思って取り組んでますがね。だから仕事の改善のために遊ぶのを休んでいたというわけです。



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