2019年08月31日

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』がない⁉
友人のおすすめアニメを借りまくるために入ったTSUTAYAプレミアム。録画したものが溜まってしまい、3か月ほど前に退会していたんですが、このたび『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を見るために再度入会。

すると、何と去年放映されたばかりの『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の在庫がない!

ウッソー―! しかも近隣のゲオとかでも在庫なし。え、何で。

でもそれはいいのです。仕方がない。

問題は今日の店員の接客態度の悪さ。

昨日、急にクローネンバーグの『クラッシュ』が見たくなりまして、在庫検索をするとあるじゃありませんか! 他にもあまり放送されない映画を検索しまくるとたくさん在庫があるので借りに行ったわけです。

他のものはすぐ見つかりましたが、一番借りたかった『クラッシュ』がない。検索機で調べて何番の棚にあるというアレをプリントアウトして探してもダメ。

ちょうど店員がいたので訊いたんですよ。


謝らない店員
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こんなにかわいくもなければ愛想がいいわけでもなく、しかも男でしたが。ってそこはどうでもよく、「いくら探してもない」と訴えると、「少々お待ちください」と言ってレジまで走っていった。

で、かな~り長いこと待たされました。もちろん帰ってきましたが「お待たせしました」の一言もなし。しかも『クラッシュ』は去年の11月に借りられてそのときに返却されていない、と。

え、何それ。借りパクされたということ? よくわからんが「とにかく現在当店には在庫がありません」とのこと。

「取り寄せできないんですか?」と訊いたら、また「少々お待ちください」と言って再び長~いこと待たして、帰ってくると「取り寄せできますよ」というので一安心。取り寄せなんて初めてするけど、会員カード見せたらその番号を控えていた。他の店からの取り寄せが完了したら電話で知らせてくれて、1週間以内に借りに行かないといけないとか。ちなみに、取り寄せでも普通の旧作扱いなのでTSUTAYAプレミアムなら借り放題だそうです。

とりあえず見れることになったからいいけど、まるでその店員は「返さなかった奴が悪いんであって自分たちが悪いわけではない」みたいな態度。実際「申し訳ありません」「すみません」という謝罪の言葉が一切なし! ほんとにあんたたち客商売してるの? というか、返却されてなかったら借りた人に催促の電話したりしないの? 借りパクOKなの? じゃあ俺も借りパクしちゃおっかな~。

閑話休題。
しかもですよ。今日はめちゃ久しぶりに新作を借りたんですよ。TSUTAYAプレミアムなら8月に限って新作が半額(216円)で借りられるというから1本だけ。年初に見逃した『バハールの涙』。


女も愛想が悪い!
いつもは旧作しか借りないから知らなかったんですが、新作には鍵がついてますよね。セルフレジで「鍵の外し忘れはございませんか?」と機械の声が言ってるので、慌てて外そうと思ったけれど外し方がよくわからない。それ用の器具らしきものが目の前にあるのだけれど、どう使うのかがわからない。

それで店員に聞いたんですよ。今度は女性でしたがめちゃブサイク。

それはともかく、「あなたどうしてこの程度の器具が使えないんですか?」と言わんばかりの横柄な態度。まぁ実際あまりに簡単なので拍子抜けしたほどでしたが、俺は初めて使うんだよ! わからなくて当然だろう!

二日ほど前でしたか、TSUTAYAからメールが来て、店のサービスについてのアンケートをお願いしたいと。Tポイントほしさについ答えちゃいましたけど、今回の件があってから答えたかった。それぐらいひどい。


斜陽産業なのに
考えてみれば、TSUTAYAというかレンタルビデオ店って完全に斜陽産業じゃないですか。ほとんどの人は配信で見てるらしいし。

でも私はパソコンでしかネットにつなげられないし、スマホもあるけどあんな小さい画面で誰が見るか。それによく知らないけどNetflixって私が好きな古典作品とか網羅されてないような気がする。

試みに、いま『ローマの休日』が配信で見れるかどうか調べてみると、いくつかのサイトでは見れるけどNetflixなど他のいくつかのサイトではダメらしい。(『サイコ』ならNetflixにもあるけど、じゃあ『汚名』は? やっぱりない)

逆にいうと、古典作品を見ようと思えばいろんなサイトと契約しないといけないわけでしょう? それならTSUTAYAプレミアムのほうがずっといいわけです。

私のような客を大事にすれば、いくら斜陽でも儲かる道筋はあると思うんですが、どうもTSUTAYAはそういう考えではないらしい。


斜陽産業だからこそ?
どうもあの接客態度の悪さは、「早晩レンタル店は絶滅するから適当な接客でいいよ~」とカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)本社からの言葉があるような気がしてならない。

CCCって図書館の運営でも炎上してるじゃないですか。でも、CCCに業務委託する自治体は多いらしく嘆かわしいかぎりですが、これからはまず図書館事業で儲けるつもりなのでしょう。

他の手段を調べてみると、特に目新しいものはなかったんですが、出版事業としてあの復刊ドットコムが連結子会社だとか。へぇー、いろんな生き残り策を考えてるんだなぁ。

あとはカルチュア・パブリッシャーという映像事業もやっているとか。どうせたいしたことないんだろうと高をくくっていたら、『マルホランド・ドライブ』『キック・アス』などがこの会社の配給で日本公開されていたとか。うーん、侮れない。

いずれにしても、大量の中古CDやDVDを格安で販売し続けているところを見ると、やはりレンタル業はそのうち滅びると踏んでいるのでしょう。

それはそれでしょうがないが、まだ店をたたんでいない以上ちゃんと接客しろと言いたい。


(2019・9・6追記)
取り寄せのDVDですが、よく考えてみると、店員は私の会員番号を控えただけ。もしそれがひとつでも間違っていたら電話連絡できない。電話番号と名前くらいは聞いといたほうがいいんじゃないですかね。無事に「入荷されました」と連絡があったからいいけど。




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2019年08月29日

7月18日に起こった京都アニメーションの放火殺人事件で、亡くなった方の実名が公表されました。

そのことについてメンタリストのDaiGoが、真っ先に実名報道に踏み切ったNHKに対し、「もう絶対NHKには出ない」と猛然と怒りをぶつける動画が公開されました。


DaiGoの怒りの本当の矛先は?


このDaiGoの怒りについて、ネット上ではかなりの賛意を集めているらしいのですが、私は大いに疑問です。

彼は実名報道によって遺族が多大な二次被害を受けると言っています。それが間違っているとは思いません。すでに実名がわかっていた人がいますよね。色彩担当だった石田奈央美さんの場合、早くから遺族が亡くなったことを公表していました。

その石田さんの葬儀でなのかどうかは不明ですが、マスコミが勝手に入ってきて許可もなく葬儀の様子を撮影していたと聞いて怒りに震えました。DaiGoの怒りもここから来ているのでしょう。「二次被害」とはこのことですよね。これには私も深く共感します。

ただ、DaiGoは最初は「実名報道したNHKを絶対許さない」と言っていますが、次第に「あなたの大切な人が理不尽に殺されて、そのうえさらに無神経なマスコミに晒し者にされたらどう思うか」と、実名報道したことに怒っているというより、そのことで遺族がマスコミによる二次被害を受けることに対して怒っています。逆に言えば、実名報道そのものに怒っているわけではない。

私は「実名報道」と「メディアによる二次被害」は分けて考えないといけないと思います。そのためにはあまり感情的になってはいけない。DaiGoは感情的になるあまり自分自身が何に対して怒っているのか、わからなくなってしまっていると感じました。


実名報道そのものが悪いのか?
確かに、人の葬儀に無断で入って勝手に撮影するなど言語道断であり、そういうことがあったから「実名の公表は控えてほしい」という遺族からの強い願いがあったのは理解できます。

でもそれはマスコミの不埒な振る舞いが根底にあるからであって実名報道そのものが悪いわけじゃないでしょう。

例えば3年前に起こった相模原の障碍者施設での19人刺殺事件。まだ被害者の実名が公表されていませんが、「身内に知的障碍者がいると知られるのは避けたい」と、差別感情を理由に公表しないでほしいという遺族の強い理由があるからだそうです。

ただ、名前がわからないと単に「19人の障碍者が殺された」と「19」という数字しかわからない。

石田奈央美さんや今回、明らかになったアニメーターの石田敦志さんの場合は、どういう経緯でアニメに興味をもち、京アニに入り、どういうふうに仕事をしていたか、ということがわかると、事件の痛ましさをより具体的に感じることができるし、石田敦志さんのお父さんが会見で、

「石田敦志というアニメーターがいたことをどうか忘れないでほしい」

と語ったのは、そういう思いがあるからではないでしょうか。決して「35」のうちの一人ではではないのだ、と。

おそらくですが、私の大切な人が理不尽に殺されたら、あのお父さんのように世間に訴えるような気がします。ただ、他の遺族から葬式に無断で押し入り勝手に撮影されたと聞いたら、考えを翻すかもしれませんがね。ここらへん、どちらの気持ちもよくわかるから難しい。


実名か匿名かを警察が決める
調べたところでは、2005年に事件の関係者の実名を公表するかしないかは警察に一任されるようになったとか。ウィキペディアには「日本政府がそう決めた」みたいに書いてありましたが、別のサイトには「マスコミが自分たちで決めたくないから警察に決めてもらうようになった」という意味で書かれていました。

どうも今回の実名報道に関するニュースを見ていると、「実名報道できないのは警察のせいだ」みたいな感じだったので、2005年に政府が警察に通達を出したのは本当なのでしょうが、その背景にはマスコミの「自分たちで決めたくない」という卑怯な心があるのだと思います。だから警察が実名を広報した途端、大義名分を得たかのように実名報道に走りました。

もし2005年の取り決めがなければ、マスコミは自分たちで調べて公表することができますよね。でもそれはしない。「公表を決めたのは警察」「俺たちはそれに従っただけ」というアリバイ作り。

今回の実名報道で本当に非難されなければいけないのは、実名を報道したことではなく、このアリバイ作りのほうではないでしょうか。


「実名なんか知りたくない」は本当か?
DaiGoは「実名なんか知りたいですか? 知りたくないですよね」と言ってましたし、世間的にもそういう論調が多いですけど、ほんとに知りたくないの? と私は思う。

少なくとも、事件が起こって間がなかったころ、いったい誰が死んだのか少しもわからなかったとき、ネット上では情報が錯綜していて、何人かの名前が「亡くなったらしい」と囁かれていました。私は京アニ作品のファンですが、アニメーターさんの名前までは知らないので、そこに出ていた名前で知っているのはひとつだけでした。

武本康弘監督。

確か、山田尚子監督や脚本家の吉田玲子さんが無事という情報が出ていましたが、武本監督は亡くなったかどうか判然としない、と。

私は知りたかったです。本当に亡くなったのか。それともガセネタか。今回、悲しいことに実際に亡くなったことが判明しましたが、亡くなったかどうかさえわからなければ悼みようがないじゃないですか。それでほんとにいいんですか?

そもそも、事件直後は関係者のSNSが更新されているかどうかとか「誰が死んで誰が死んでいないかの調査」がネット民によって行われていたわけですよね。それでマスコミの姿勢を非難できるのでしょうか。


実名報道の意義
今朝、いい記事を読みました。



この記事の中で、こんなことが語られていました。

京アニの代理人を務める桶田弁護士が実名非公開を唱えるのもおかしな話です。第1スタジオの建物が構造上、安全だったのかどうか将来、会社と遺族の間で民事上の争いが生じた場合、どうなるのでしょう。実名が公開されていないと遺族同士が連絡を取って協力するのも難しくなってしまいます。

なるほど、これはいままでにない視点だな、と。こういう冷静な記事を読みたいものです。



なるほど、


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2019年08月27日

山田太一さんの1979年作品『沿線地図』、昨日が最終回でした。

前回までの記事
①まるで自画像のような
②両親たちのウロウロ
③父親の落とし穴
④脚本家の苦心
⑤前面に出てきた笠智衆
⑥口紅はいらない
⑦仰天の笠智衆!


白紙の便箋
笠智衆の遺書は二枚の便箋で、二枚目はまったくの白紙でした。あの白紙の二枚目に何か意味があるのでは? と誤解しているかもしれない若い人のために一言書き記します。

あれはただの作法です。一枚だけをたたんで封筒に入れるとペラペラで頼りないので、一枚だけで足りても白紙をつけてしっかりした状態にするのです。だからあの白紙の二枚目にはそれ以上の意味はありません。


思わず笑ってしまう
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正直に言います。
物語が終わってエンディングクレジットが流れ始めた途端、笑ってしまいました。

え、これで終わっていいの? おじいさんの自殺は何だったの? 古い世代と新しい世代の「生き方」の違いを問うテーマはどうなったの? あの長い浮気話は何のためだったの? と。

先週のラスト、祖父役の笠智衆が自殺をしたという知らせが入り、一体どういうことか、そしてこの連続ドラマはどういうふうに収束するのかと思っていたら……

何てことはない。ただすべてが丸く収まって終わり。すべてが、というのは違うかもしれませんが、あれだけ激烈だった親子6人の葛藤はまるで何もなかったかのように終わってしまいました。

後半は笠智衆の自殺もまるでなかったかのような感じでしたよね。

「一か月後」となり、横浜支店長の辞令が下った児玉清の送別会のシーンになる。なぜ家族のドラマで会社の送別会が? しかもそこに広岡瞬が現れて真行寺君枝が堕ろしてない、堕ろしたと嘘をついて5か月になるのを待ち、それから児玉清に言おうと母さんが言ったと。それは河原崎長一郎と岸惠子も承知している、と。

完全に児玉清の視点から描くから視聴者もその情報を彼と同時に知りますが、「え?」となりますよね。いつの間にそんなふうに話が進んでるの? だいたい一番「堕ろせ」と言い出しそうな河原崎長一郎が賛成しているというのはご都合主義ではないのか。

堕ろすかどうかで議論するとき、岸惠子が児玉清に「おじいさんがなくなってご自分を責めていたときのあなたのほうがずっとよかったわよ!」となじりますが、無理やり葛藤を作っている感が否めませんでした。


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喉に好き刺さる「自殺」
私にとってフィクションにおける自殺の原体験は漱石の『こころ』です。高校生になるまでフィクションの自殺に遭遇したことなかったのかと言われそうですが、自殺の理由を深く考えたのはあれが初めてでした。

でも、当時は物語を読むという習慣がなかったので(マンガは読んでたけど)特に自分なりの考えはありませんでした。Kはお嬢さんを横取りした先生に当てつけの意味で死んだのだ、先生はそのことを後悔してKへの謝罪として死ぬのだ、それをわざわざ乃木大将の名前を出して明治の精神に殉じるなどと屁理屈をこねているだけだ、と。

いまだにKと先生の自殺の理由は議論の対象なのでしょう。フィクションにおける自殺の理由はわからないほうが面白いのです。だから笠智衆の遺書に理由が何も書かれていなかったのを見たとき、ホッとしました。何か書かれていて、それがもとで事態が収束したのでは少しも面白くない。

でも、はっきりわからなくても推理できる何かがあるんじゃないかとも思っていました。『こころ』も2回読むと、Kがあまりの求道者のためにお嬢さんに恋をした自分を罰したんじゃないか、とか思いましたし。

でも、この『沿線地図』を何回見直しても笠智衆の自殺の理由にいろいろ気がつくということはなさそうです。(昨日一度見たきりなのでわかりませんが)

老い先短い自分が死ぬことで事態が収束することを祈ったのか。でも、それはどちらかというと作者である山田太一さんの願いだったような気がします。

自分や息子の児玉清の生き方を否定され、いまの若者の価値観がわからない。かわいい孫が宇宙人にしか見えないことへの絶望か、とも思いますが、それぐらいで死ぬだろうか、とも思う。

人が自殺するのにはいろんな理由がある。それはわかります。私も死のうとしたことがあるので「人はひとつの理由だけでは死なない」と強く思います。

ということは、笠智衆にも複数の理由があったのか。

しかしそれは明示されない。明示はされないが、そういう理不尽に耐えながら生きるのが人生だよ、というのが山田太一さんのメッセージなのだろうか。

あの結末を見たいまとなっては、「口紅はいらない」というあの口紅で右往左往していたときのほうがよっぽど面白かったような気がする。

でも、とも思うのです。

自殺の理由がはっきりしないのはフィクションではよくあることですが、あの衝撃の自殺がまるでなかったかのような登場人物たちの溌溂としたラストには、何か喉に突き刺さるんですよね。

はっきり言って、昨日見たときは「この2か月は何だったんだ」と怒っていましたが、いまは「あれは何だったのだろう」と否定的な意味ではなく、妙に気になるのです。

前半の面白さに比べて後半が尻すぼみになってしまっただけの失敗作かもしれません。そっちの可能性のほうが高いのでしょうが、いまの私にとってこの『沿線地図』は「妙に気になる作品」です。

それはやはり、自殺の理由がはっきりしないからでしょう。もし私があのとき死んでいたら、家族や友人たちは「本当の理由」を探してウロウロしていたことでしょう。それを思うと、やはり駄作だと切って捨てることができません。

思い起こせばこのドラマは、私と同じように、若者たちが人生をわざと踏み外すところから始まりました。それが、まったく別の人物とはいえ、はっきりしない自殺で幕を閉じる。

後半はあまり自分の過去に思いをはせることはありませんでしたが、最後の最後で自分と向き合わねばならなくなりました。どこまでも自分の人生にリンクした作品でした。ここまで自分のことが描かれていると感じたのは太宰の『人間失格』をおいて他に思いつきません。





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