聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

リバプールGKカリウスが恥の上塗りをしている件

欧州チャンピオンズリーグ決勝で、レアル・マドリードがリバプールを3-1で降し3連覇を達成したのはまだ記憶に新しいところ。とはいえ、もう過去のことですね。ジダンは電撃辞任しちゃうし。世間はもうワールドカップの前騒ぎで賑わっています。

そんな「過去」の出来事にいまだにこだわっている人が一人だけいます。3失点のうち2失点で重大なミスを犯したリバプールのゴールキーパー、カリウス。


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何でも、ベンゼマの1点目の2分前にゴール前に上がったセルヒオ・ラモスに肘打ちされて脳震盪を起こしていたとか。映像を見ると、確かにラモスの肘が強く当たってますね。ただ、あれもサラーと転倒した場面と同様、「わざと」かどうかはどこまでもグレーゾーンのように思います。どうしてもラモスだから「わざと」に見えるけど、勢い余ってるだけのようにも見える。

ただ、もう試合が終わって10日もたってるんだから「わざと」かどうかなんて問題じゃないでしょう。

問題は、現在も後遺症が認められるほどの脳震盪を起こしていたのであれば、なぜファウルを訴えるだけじゃなく治療を求めなかったのか、ということです。

ゴールキーパーが負傷したら治療が完全に終わるまで試合は止まります。なぜそうしなかったのか。ベンゼマにしてやられたのは肘打ちの直後でも、ベイルの3点目はそれから30分以上たってからですよ。その間、かなり重い脳震盪を放置したままプレーしていたんですか? ありえない。

試合が終わったあと、サポーターに号泣して謝ってましたよね。ラモスのせいで脳震盪を起こしたいたのならなぜ泣いていたんですか? 泣いていたということは自分の責任だと自覚していたんでしょ?

カリウスには殺害予告が届いているとかで、いくら何でもそんなことはやめてほしいし、そういう卑劣な連中から自分を守るために脳震盪を主張した、という気持ちはわかるけれども、やっぱりいまごろそれを言われたって「なぜ試合中に適切な処置を取らなかったんですか?」で終わっちゃうじゃないですか。交代することだってできたわけだし。

厳しい言い方をさせてもらえば、そんな言い訳をするような選手だからあんな大失態を犯してしまったんじゃないんですか? 
殺害予告をするような奴も許せないけど、カリウスも許せない。セルヒオ・ラモスの肘打ちがもし故意のものであったとしても、試合が終わって10日もたってからこんな主張をするカリウスのほうが悪質だと思うというのが正直なところです。

タイミングが悪すぎる!


アニメ『心が叫びたがってるんだ。』(映画史と神話の見事な融合)

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WOWOWにてアニメ『心が叫びたがってるんだ。』を鑑賞しました。
いやぁ~、驚きましたね。

だって、かなり前に私が書こうとしていた脚本にそっくりだから。まったく同じものを書こうとしながら完遂できなかったんですよ。

この映画は「トラウマで声を失った主人公が、周囲の助けを得て失った声を取り戻すまでを描いた神話」として捉えられているようです。それはまったく間違いではなく、それどころか、それ以外の解釈のほうが間違いでしょうけれど、私が以前書こうとしたのはそういうお話ではなかった。

もう細かいところは忘れてしまいましたが、大筋は「口のきけない女を殺した男がミュージカル映画のスターとして花を咲かすが……」というものでした。

え、それのどこがこの『心が叫びたがってるんだ。』と同じなんだ、という声が聞こえてきそうですが、私が言っているのは物語そのものではなく、構造のほうなのです。それも神話的構造ではなく、映画史としての構造です。

サイレント映画からトーキーへ移行したとき、『ヒズ・ガール・フライデー』のような喋りまくる映画と同時にミュージカルが隆盛となりました。だから「ミュージカルはサイレント映画の死の上に成り立っている」というのは映画史に通暁している者にとっては常識です。

私はその映画史をなぞった物語をやりたかったんですよね。だからミュージカル俳優が聾唖の女を殺して成り上がる」(そこにちょっと『陽のあたる場所』的な味付けをして)という物語を考案したんですけれど、何だかんだでうまく書くことができず、「いつかきっと!」と思っているうちに夢をあきらめる日が来てしまいました。

というわけで、唖の少女がミュージカルの舞台で歌うこの映画が、まさに「サイレント映画の死の上に成り立ったミュージカル」という映画史を見事に映画化していることに嫉妬の念を禁じえないのです。なるほど、こういうふうにすればよかったのかと。私はどうも「死」から「殺す」を連想してそこに囚われてしまっていました。

ただ、この映画でも「殺す」ということは表現されています。


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主人公は父親の浮気の現場を目撃して、それと知らず母親にそれを言ってしまったために両親は離婚。追い出されることになった父親に「全部お前のせいだ」と呪詛され、それが原因で唖になってしまった。

と、私は思い込んでいたから、真の悪役である父親が最後まで出てこないのはおかしいと思ってたんですよ。父親が成敗されないかぎり主人公にとってのハッピーエンドはありえないんじゃないか。いや、正確に言えば、主人公がミュージカルのスターとして花咲かせる以上、父親が唖(=サイレント)である主人公を解放して(=殺して)やらねばならない、と。

でも、それも私の浅はかさでした。
主人公を唖にしたのは、実は主人公自身だったことがクライマックスで明かされます。自分で自分の声を殺し、玉子の殻に閉じこもっていたんだと。

なるほど、こうすれば父親は出てこなくていいし、最後に主人公が発する言葉が、好きな男への告白でなければならないという展開にもうなずけます。押し殺していた自分の気持ちを開けっぴろげにする、つまり心を開く。自分から閉じこもっていた玉子の殻をぶち破る。うまい。

うまいのはそれだけでなく、その告白で彼女は振られるんですよね。で、別の男から告白されて真のハッピーエンドを迎えると。父親から呪詛されて傷ついた心を癒せるのは、やはり自分が好きと語りかけられることではなく、誰かから好きだ、おまえが必要だと語りかけてもらうことなのだと。

うーん、うますぎる。

ついに書けなかった物語がもう3年も前に劇場公開されていたことを知らなかった不明を恥じます。WOWOWでは去年の実写版も放送してくれるようなので、そちらも見てみようと思います。とにかく激しく嫉妬した初夏の夕暮れでした。



『孤狼の血』(役所公司のマル暴哲学がよくわからない)

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ついに見てきました、『孤狼の血』。
白石和彌監督では一昨年の『日本で一番悪い奴ら』をワーストに選んだので、嫌気がさして去年の『彼女がその名を知らない鳥たち』は未見。ただ、ロマンポルノリブートの『牝猫たち』がなかなかよかったし、久しぶりに生きのいい役所広司が見られそうだと楽しみにしていました。

実際、楽しかったですよ。ある程度までは。


役所広司のいいセリフ
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終盤、役所広司が松坂桃李に語る言葉がいいですね。

「わしら、綱渡りの曲芸師じゃ。じゃからの、警察側に落ちてもヤクザ側に落ちても死んでまう。死にとぉなかったら歩き続けるしかないんじゃ」

マル暴刑事の哀しい現実を如実に表していて秀逸。この直後、松坂桃李に両腕を突き出し、
「わしを逮捕して県警に突き出すか?」
というのは、半分冗談でしょうが、半分は本気だったんでしょう。「ここで捕まえてくれたら死なんですむ」あの両腕での拝み方はどっちとも取れる絶妙な味があってとてもよかった。

それから、放火、家宅侵入、暴行、でっち上げ、取り調べの女に○○させるとか、何でもやりたい放題の役所広司が中盤にとても大事なことを言いますよね。

「わしらの仕事はヤクザを生かさず殺さず、飼い殺しにすることとちゃうんか。ヤクザがスーツ着てネクタイ締めて堅気の連中にまぎれて地下に埋もれたらどないするの」

暴対法が準備されていた1988年(実質的には昭和最後の年)という時代背景がよく出ていますね。

ヤクザにはやりたい放題の彼も、監察官として自分のスパイをしていた松坂桃李には暴行もしないし恨み言も言わない。まぁ最初からわかっていたというオチがつくんですが(しかしあの阿部純子という女優さんはとても魅力的)14年前の殺しの疑いがかかっているからにはスパイもつくのが当然だろうという毅然とした態度には惚れ惚れしました。で、このあと、両腕を突き出して「逮捕するか?」のシーンになるわけですが……


役所広司の刑事哲学とは?
上記のような感じでヤクザに対しているのはよくわかります。しかし、あの呉原という街には三つのヤクザ組織がありましたよね。

尾谷組
加古村組
五十子組

五十子組の後ろ盾があって加古村組がのし上がってくる。役所広司は尾谷組に肩入れしてやりたい放題の捜査をやるんですが、これって「綱渡り」になってないじゃないですか。確かに警察かヤクザかという二元論には堕ちてないけれども、ヤクザの中だけにかぎれば完全に片一方に肩入れしてますよね。彼はヤクザみたいではあるけど、あくまでも「刑事」なのに。

「ヤクザは生かさず殺さず飼い殺しにする」のであれば、どちらかに肩入れしちゃだめでしょう。14年前の真木よう子の殺人を内々に処理したというのが動機? でも、それなら、それを盾に尾谷組のいろんな弱みを握れますよね。実際、真木よう子を使って警察上層部の弱みを握っていたわけですから。

ヤクザの中では、尾谷組の味方なのか、それとも加古村組の味方なのか、まったくわからない。
警察内部でも、県警上層部の敵なのか、それとも味方なのか。所轄の刑事たちだけは仲間かと思っていたら違うのかも……とか、真木よう子にすら「あの人、もしかしたら敵かも」と思わせるぐらいの。
警察にとってもヤクザにとっても「いったいあいつは誰の味方なんだ?」と疑心暗鬼にさせる、まるで鵺のようなつかみどころのない役柄でないと「孤狼」とは言えないと思う。


松坂桃李までトチ狂ってしまう
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役所広司が殺されたあと、松坂桃李が何とかしてくれるのかと思ったら、彼はまだ若いからなのか、役所広司以上におかしいことをしでかしてしまいます。

あろうことか、五十子組の組長にして呉原の長老役・石橋蓮司を殺すよう尾谷組の若頭・江口洋介に手引きしておきながら、身代わり出頭しようとした若い衆を差し置いて江口洋介を逮捕してしまう。

あんなことしたら松坂桃李も殺されるだろうし、もう警察とヤクザが完全に決裂してしまって永久に全面戦争が終わらないことになってしまうじゃないですか。数年後に暴対法が施行されるからいいってことですか? まさか!
問題がありながらもそれまでは何とか役者陣の好演もあって楽しんで見ていたのに、江口洋介を逮捕した瞬間は笑ってしまいました。いくら何でもそれはないでしょう。

役所広司の遺志を継ぐのであれば、身代わり出頭とわかっていても普通に若い衆を逮捕して、江口洋介に恩を売っておけば後々の役に立つのに。

最後の、役所広司のライターでタバコに火をつけるというのは、『CURE/キュア』へのオマージュってやつなんですかね。





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