2020年03月20日

笠原和夫×深作欣二の黄金コンビによる1976年作品『やくざの墓場 くちなしの花』。

笠原さんの「骨法十箇条」はほとんど忘れてしまいましたが、ひとつだけ死ぬまで頭にこびりついて離れないであろう一箇条があります。

それは、「枷(かせ)」

例えば『天使のはらわた 赤い教室』でいえば、蟹江敬三が女と会う約束を交わしたのに、ブタ箱に入れられたために会いに行けず、それがきっかけで蟹江は女と最後までわかりあうことができない。

ブタ箱に入れられる、正確には警察に密告されたんですが、あれも枷です。あのとき女に会えていたら二人とも幸福になれただろうに、それを阻害したわけですから。

でも、笠原さんはそういう枷はあまりいいものとは言えないと厳しい。

「枷は主人公の心のあり方にこそ求めるもの」

といいます。(正確には『天使のはらわた 赤い教室』の密告も主人公の心のあり方が原因なんですが、それはまた別の話)

では、この『やくざの墓場 くちなしの花』における「主人公の心のあり方」とは何でしょうか。そしてその枷がどのようにドラマを盛り上げているのでしょうか。


主要人物3人の境涯
映画の中盤、鳥取の海岸で渡哲也と梶芽衣子の語らいで二人の境遇が説明されます。

渡哲也
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渡哲也は、満州からの引き揚げ者で、それを理由に理不尽ないじめを受けていた。「警察官になったのも警察に入れば喧嘩に強くなれると思ったからや」といいます。


梶芽衣子
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梶芽衣子は、在日一世の父と日本人の母との間に生まれ、特に説明はありませんが、いわれなき差別を受けていたことは明らか。


梅宮辰夫
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だいぶあとになって初めてわかることですが、梅宮辰夫は「混じりっけなしの朝鮮人」で、彼もまたいわれなき迫害を受けていたことは明白です。

つまり、渡哲也を縛る枷は「常に弱者の味方をせずにはいられない」というものです。

警察官の身でありながら、梅宮が所属する西田組という組に肩入れするのも、敵対する山城組のほうが強者だからでしょう。
最初は西田組の金庫番ということで歯牙にもかけなかった梶芽衣子に対しても、朝鮮との混血児とわかると途端にシンパシーを感じるようになる。
梅宮とは兄弟の盃を交わしてほしいと懇願され、最初はさすがに「警察官とやくざが盃を交わすなんて」と断りかけますが、「混じりっけなしの朝鮮人」という梅宮の告白を聞いて即断し、盃を交わします。

警察官としてやくざと盃を交わしてはいけないことぐらいわかっている。でも、それ以上に「常に弱者の味方をせずにいられない」という枷がそれを覆させます。

しかしそれによって「警察官の職務規定違反」と県警本部長はじめ幹部たちに責められる。そして彼らは山城組と癒着している。

「わしもあいつらと同じ赤い血が流れとりますけぇ」といいセリフを吐きますが、そのセリフもさらに彼の立場を悪くてしてしまう。

「枷は主人公の心のあり方にこそ求めるもの」

うーん、こういうことだったのか。私はこういう作劇ができなかった。いや、しようともしていなかったのかもしれない。

ただ、これだけなら物語は一本調子になったことでしょう。笠原さんの真のすごさはサブプロットにこそ表れていると見ます。


室田日出男の役割
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渡哲也は二年前に容疑者を射殺しています。同期の桜・室田日出男と容疑者・志賀勝の家に踏み込み、室田が撃たれたために渡は志賀を射殺してしまう。(射殺というより転落死でしょうけど)

しかし、常に弱者の味方である渡哲也は責任を感じ、志賀の家に弔問に訪れ、自殺を図ろうとしていた女を助け、デキてしまう。

代わりに、直截的には描かれませんが、撃たれた室田日出男は怪我の功名か、楽な部署に回され、たっぷり時間があるので昇任試験に邁進、警部補となり、渡の上司として二人は再会する。

渡と室田が久しぶりに飲むシーンが素晴らしい。

室田の物言いに「強者」の匂いを感じ取った渡は席を立つ。室田は思わず叫んでしまう。

「おまえの人事権は俺が握ってるんだぞ!」(言葉通りじゃないですけど意味は同じ)

同期の桜だったはずが、いまや上下関係。上司と部下であっても室田が同期のよしみでつきあってくれるだけなら渡も荒れなかったはずですが、室田が「力」を振りかざすので渡は我慢がならない。

せっかく理解者が現れたと思ったら、喧嘩別れになってしまい、県警幹部から職務規定違反と難じられたときも、室田が「梅宮と兄弟盃を交わしたとは本当か」と問い詰めます。かつては一緒に命を懸けて容疑者を追い詰めた仲だったのに、いまや完全に決裂してしまった。室田日出男のこの映画での役割は大きすぎるほど大きい。

でも登場シーンは少ないのです。

志賀勝を射殺する回想シーン。
久しぶりの再会で飲み交わすシーン。
幹部たちとともに渡哲也を詰問するシーン。
そして渡を射殺するラストシーン。

もし、志賀勝に撃たれた同僚と最後に渡を射殺する県警幹部が別の人間ならこれほど感動はしなかったはずです。同期の桜に射殺される渡哲也。彼を殺してしまい涙があふれる室田日出男。サブプロットが最終的にメインプロットばりの悲劇としてドラマを盛り上げます。

梅宮辰夫との兄弟盃。
梶芽衣子とのロマンス。

など、見かけ上は彼らのほうが室田より大きい存在なんでしょうけど、私はこの『やくざの墓場 くちなしの花」の要諦は、サブプロットである室田日出男との関係にあると感じました。


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精神科医・春日武彦さんの名著『顔面考』をお読みになったことはありますか?


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いま新型コロナウイルスのせいでマスクしている人がたくさんいますが、昔はマスクをしてるだけで電車の自分の両横だけ空席なんてことがありました(花粉症なのでね)。それぐらい「マスクをしてる奴は怪しい」と思われたのに、最近は「伊達マスク」なるものがあるというから時代は変わったものです。

とはいえ、あくまでも日本においてだけみたいですけども。外国ではマスクというのは細菌テロが起こったときにだけ装着する「特別なアイテム」だとか。あとは瓦礫の撤去作業をする人はマスクをしていないと粉塵を吸い込んでしまうので日本人と同じように装着するそうですが、インフルエンザが流行していてもマスクはつけないのが普通とか。

だから伊達マスクなんてもってのほか!

目だけ見せて鼻から下を隠すとかわいく見えるとかで大流行しているみたいですが、自分の顔は隠して他人の顔は見れるって卑怯じゃないか! と最初は思ってたんですけどね、どうも違うな、と。

マスクしてる人の気持ち悪さの正体は何だろうと考えていて、昨日やっと思い至りました。

『顔面考』には次のような記述というか、他の文献からの引用があります。めちゃくちゃ難しい文章のうえにうろ覚えなので(手元に本がない)正確ではない可能性がありますが、だいたい次のような意味です。

「顔というのは自分の鏡である。他人の顔を見たときその人がどういう表情をするかで自分がどう思われているか、つまり社会の中の自分像がわかる。つまり顔とはそれ自体がコミュニケーションツールなのである」

だから、風邪や花粉症でもなく、新型コロナウイルスの予防でもなくマスクで顔を隠している人は、他者とのコミュニケーションを自分から遮断しているわけですね。

なるほど、あのような少しもおしゃれでないファッションが流行しているのはそういうわけだったのか、だからあんなに気持ち悪かったのかとやっと腑に落ちました。いかにも現代ニッポン的。

整形疑惑なんて言葉があります。「誰それは整形している」というそれだけに特化したブログやツイッターアカウントを見たことありますが、整形って世間では悪徳以外の何物でもないんですね。私はそんなに悪いこととは思いませんが。

でも、伊達マスクは正真正銘の悪徳だと思います。他人とコミュニケーション取りたくなければ家の中から出なければいい。

それじゃ生きていけない?

それならちゃんと顔を見せて生きましょう。社会の中で生きる以上、それがルールのはずです。


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食べログ、伊達マスク、高画質ホームムービー


顔面考 (河出文庫)
春日 武彦
河出書房新社
2009-07-03


 

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2020年03月17日

東京時代の恩師である、じんのひろあきさん(『櫻の園』など)に初めて自作シナリオを読んでもらったとき、こっぴどく叱られました。

「どうしてファーストシーンでこんなどうでもいいことを書くんだ。最初から暴走するくらいの勢いで話を進めていかなきゃダメだろう。映画ならまだいいけどテレビだったらチャンネル替えられちゃうよ。いまの観客はこんなテンポの遅い話には誰も乗ってこない」



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いま、DAZN(チャンピオンズリーグがいつ再開するのかわからないのでいったん解約するつもり)で『キャプテン』を見てるんですが、40年も前の作品なのに異常なまでに展開が速いんですね。

こんなあどけない顔をして名門・青葉学院中学から平凡校・墨谷二中に転校してきた谷口くん。二軍の補欠だったのになぜかみんな「青葉のレギュラー」と勘違いしてしまう。そして連夜の猛特訓をする。それを前キャプテンが陰で見ていて彼を新キャプテンに指名する。

までを何と第1話で描いているんですね。記憶では数話かかっていたように思うんですが驚くべき速さ。

しかも、第2話では「キャプテンなのにノックもできない」と新入生イガラシを怒らせ、それも連夜の猛特訓で覆してみんなを驚かせる。

そして地区予選の一回戦。優柔不断の谷口くんらしいミスでリードを許すが、自身の逆転サヨナラランニングホームランで勝利の立役者となり、押しも押されぬキャプテンとなる。

ここまででまだ2話。こんなに速かったの? 

第3話はデータ野球を標榜する嫌味なマネージャーが支配する金成中が相手で、3話だけでは試合が終わらないんですが、続く第4話の半分までで勝利し、決勝の相手、青葉学院のプロ並みの練習をナインに見学させ、そしてシートノックを半分の距離から行うという殺人的練習をナインに課す。


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あの「一番キャプテンらしからぬキャプテン」だった谷口くんが4話ですでにこの顔です。

そして、怪我人続出に激怒したナインが抗議しに谷口くんの家を訪ねると、神社で深夜の猛特訓をしている。それを見たナインは自分たちの不明を恥じる。「好きだね、抗議が」や「これなんだな、キャプテンのみんなを引っ張る力ってのは」というイガラシの名セリフが聞けるのもこの第4話です。

うーん、こんなに展開が速かったとは。

そういえば……


『機動戦士ガンダム』いわゆるファーストガンダムでは、ただの機械いじりの好きな少年アムロが、ガンダムの正規のパイロットでもなければ地球連邦軍の軍人ですらないのに、父親の作ったガンダムに乗り込みザクを倒すまでが第1話で描かれます。

『新世紀エヴァンゲリオン』では、主人公・碇シンジがエヴァ初号機に乗り込むのも第1話です。ま、庵野秀明さんはファーストガンダムの第1話をかなり参考にしたらしいですし、シンジは最初から初号機のパイロットとしてネルフに呼ばれたのだから、そんなに難しくなかったはずですが、アムロがガンダムに乗り込んでザクを倒すまでを正味22分ほどでやるのは至難の業。シャアがサイド3に潜入してスパイ活動したり、その過程でセイラと再会するというサブプロットも展開させながらですからね。天才。

というわけで、じんのひろあきさんは「最近の客はテンポの遅い話には乗ってこない」と言ってましたが、むしろ昔の子どものほうがテンポの速さを求めていたんじゃないか。

最近見た『映像研に手を出すな』とか『荒ぶる季節の乙女どもよ。』、京アニの『響け! ユーフォニアム』『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』などを見ていても、テンポはあまり速くない。じっくり丁寧に描写している感じ。

いまは子どもよりむしろ大人がアニメを見ているからなんでしょうかね?

そのへんの事情はよく知りませんが、とりあえずいまから『キャプテン』の第5話を見ます。5話にして青葉学院との決勝戦というのだから恐れ入ります。





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