2020年08月23日

黒沢清監督が生涯ベストワンに挙げている、リチャード・フライシャー監督による1971年作品『ラスト・ラン/殺しの一匹狼』。

黒沢さんはフライシャーの経済効率にすぐれた映像演出を絶賛していましたが、私がこの映画で一番すごいと思うのは脚本家アラン・シャープによるセリフですね。


背景を説明しない
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まずこの『ラスト・ラン』の最大の特徴は物語や登場人物の背景をほとんど説明しないことです。

舞台もどこなのか判然としない。ヨーロッパ人なら簡単にわかるのかもしれませんが、私は主人公ガームスが船を貸している懇意の漁師がミゲルという名前であることと、彼が「大西洋」と言っていること、そしてフランス税関が出てくることなどから、バスク地方かもっと下ってポルトガルとの国境あたりなのかな、ぐらいしかわからない。テロップでどこそこと出さないのが大変よろしい。どこで起こった物語かなんてあまり関係ないというか、この3人ならどこで出会ってもこういう展開・結末しかありえなかっただろうという普遍性があります。

ガームスは9年ぶりの仕事に際して息子の墓参りをします。3歳で死んだそうです。でもなぜ死んだか映画は教えてくれません。息子が死んだ直後、奥さんは「胸を膨らませに」と言って家を出ていき、そのまま帰ってこなかったとか。男ができたのか、それとも息子が死んだことで一緒にいたくなくなったのか。映画は最後まで明かしてくれません。

ラストでも、娼婦モニークが裏切ったのかどうかもよくわかりません。ミゲルが殺されたのはガームスの船を奪うためでしょうが、だとすると、ガームスを雇った黒幕は最初から彼らが元の町に戻ってくることを予想していたのでしょうか。というか黒幕が最後まで登場しない。

でもそれでいいのだと思います。大事なのはガームスという男が底なしの孤独を抱えていることです。ほとんど夫婦のような関係の娼婦モニークには大事な金を預けたり心を許していますが、いざ仕事に行く直前、彼が行くのは教会。そこで神父にではなく神に直接語りかけます。この告解が実に印象深い。ガームスという男の人柄が一番よく出た場面になっています。

「俺は罪びとです。でも昔とは違います。最近は何もしていません。信仰心は薄い。でも今回の仕事はやり遂げたいんです。俺には運転だけだ。金のためです。でもまっとうしたい。それだけです」


見事な演技のアンサンブル
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刑務所に入っていたリカルドという男をフランスまで逃がすのがガームスの仕事なのですが、思いもよらず彼を待つ女クローディがいて、三角関係が始まります。この三角関係が実に斬新。

クローディはかつてリカルドの弟の恋人だったのに4年前にリカルドにあてがわれます。「弟は麻薬中毒だった」というセリフがあるだけでどういう事情なのか詳細には語ってくれません。大事なのはクローディが「商品」として男と男の取引に使われてきた女だということです。

ガームスはクローディに惚れるのですが、それはクローディが誘惑したからであり、背後で糸を引いているのはリカルドです。ガームスを都合よく利用するために誘惑させた。リカルドはガームスはおろか恋人のクローディも「物」として利用する悪人ですが、このリカルドの人物造形が素晴らしい。アラン・シャープによる脚本にすでに活き活きとした人物が描かれていたのでしょうが、演じるトニー・ムサンテとフライシャーの丁寧な演出(映像演出ではなく演技指導のこと)によってリカルドというキャラクターはリカルド自身の輪郭を常にはみ出す勢いがあります。

それはジョージ・C・スコット演じるガームス、トリッシュ・ヴァン・ディーバー演じるクローディも同様でしょう。3人の芝居がすこぶるうまい。うますぎるほどにうまい。「演技のアンサンブル」とはこういうのを言うのだ、と言わんばかりのフライシャーの演出ぶり。


「娼婦は心あしき女」
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ガームスは娼婦モニークに金を預けるとき、

「娼婦とは多くの男と床を共にする女のことではない。心あしき女のことだ」

という印象的なセリフを言います。このときモニークを演じるコリーン・デューハーストがサッとガームスの手を握るんですね。この芝居のつけ方がまた素晴らしい。まるで本当に目の前で彼らが生きているかのようです。

ガームスはモニークのことを少しも疑っていない。だから金を預ける。しかしモニークは心あしき女と言われてハッとなる。この時点で彼女は黒幕に買収されていたのでしょうか。すべては最初から仕組まれていたのか。どうか。

しかしながら、「娼婦は心あしき女」というセリフで肝要なのは、それがクローディにも当てはまるのかどうかということです。


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クローディが本気で自分に惚れていると思い込んでいるガームスは、リカルドを捨てて俺と一緒にアメリカへ逃げようと言います。しかしこの前にガームスはリカルドに「彼女を連れて逃げたら許すか」と訊いています。それを知ったクローディは「私にはいつ訊いてくれるの? 男同士で相談してから?」と言います。リカルドとその弟もそうやって男同士で相談してクローディを物としてやり取りしていた。クローディはまだ年端もいかない子どもの頃から「商品」だった。そういう意味では彼女は娼婦です。利用するためにガームスを誘惑するのも彼女が娼婦だからです。

でもガームスの娼婦の定義に彼女が当てはまるかどうかというと、私は違うと思います。

確かにクローディは最後にガームスを振ります。彼女と逃げる気満々だったガームスはショックで硬直し、そして精一杯の笑顔で「知ってたがね!」と言います。このときのクローディの哀しい表情がたまらない。心を痛めている彼女は決して心あしき女ではない。クローディはガームスのことが少しは好きだと思う。でもそれ以上に「商品として扱われることへの嫌悪」が勝ったのでしょう。ガームスにとっては悲劇でも、クローディにとってはこれまでの自分を脱皮する大事な通過儀礼でした。


射程距離の長いセリフ
その直後、「何を話していた」とリカルドに訊かれた彼女は「彼が聞きたかったこと」と答えるんですね。このセリフの射程距離の長さ! アラン・シャープという脚本家は天才だと思います。

黒幕が誰なのか最後までわからず、なぜ追われていたのかもよくわからないままガームスは殺されます。息子に死なれ、妻には逃げられ、懇意の娼婦に裏切られ、娼婦ではない女には振られ、最後には殺される。そして結局一番得をしたのは身勝手で少しも成長しないリカルドだったという理不尽な、あまりに理不尽な結末。

何とも哀しい。ここまで哀しい映画は他にちょっと思いつきません。

特異な背景を背負った3人のキャラクターという特殊性から、展開や結末の普遍性を導いたアラン・シャープの作劇とそれを実現したセリフのすごみに感服した次第。


ラスト・ラン 殺しの一匹狼 [DVD]
ジョージ・C・スコット
復刻シネマライブラリー
2016-10-24





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2020年08月19日

宮藤官九郎の『JOKE ~2022配信パニック!~』が先週放送されました。


伏線は簡単
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このドラマについて、「伏線の回収がハンパない」という絶賛の言葉があったと聞きましたが、私には「???」でした。なぜなら、伏線を張ってそれを回収するのはとても簡単なことだからです。

私が言っているのではありません。ある高名な脚本家が言っているのです。

とはいえ、私自身も何本も脚本や小説を書いていて実感として思います。伏線を張るのはとても簡単だと。


その高名な脚本家の弁をそのまま引用すると、

「映画を見る側にとっては伏線を張る、伏線を回収するのはとても難しいもののように感じられる。でも作る側からするとめちゃくちゃ簡単なんだよね。だって、ひとつの情報を前と後ろに分けて置くだけだから」

ということになります。

例えば、『太陽を盗んだ男』でいうと、中盤、すべて菅原文太刑事に見ぬかれたかもしれないと思った沢田研二が、学校で授業していてもどこで何をしていても菅原文太の影におびえ、走って走って走って逃げた末に、登場するのは西田敏行演じるサラ金で爆笑してしまうシーンがあります。

いきなりサラ金が登場したのでは面白くないし主人公にとって都合がいいので、前半に原爆を作るためにサラ金で金を借りるシーンがあります。これが伏線です。

だから「主人公がサラ金で金を借りる」というひとつの情報を、前半では金を借りる場面、後半はサラ金に追われる場面というふうに「ひとつの情報を前と後ろに分けて置いている」だけなのです。

それだけです。それ以上でも以下でもない。

だから脚本を評価するときに「伏線の回収がちゃんと行われているか」というのは何の材料にもなりません。


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よくない伏線の張り方・回収の仕方
ただ、「よくない伏線の張り方」というのもあるんですね。張り方というよりは「回収の仕方」でしょうか。

劇作家の平田オリザさんから直接聞いた話ですが、3つの伏線を張って回収する場合、次のような張り方・回収の仕方はダメの典型だそうです。

A-B-CーA'-B'-C'

張った順番に回収してしまう。ではどうすればいいか。



A-B-CーC'-B'-A'

というふうに、張った順番とは逆に回収していくのがセオリーだそうです。

好きな映画の物語を思い出してみてください。だいたいこういうふうになっているはずですから。




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2020年08月16日

先日、『この町ではひとり』を読んだので、今度は同日発売だったらしい『きょうも厄日です』の第1巻を読みました。しかし暑いっすね。

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これも面白かった!
コミック・エッセイという位置づけですが、『この町ではひとり』が思い出したくない街・神戸での思い出したくないあれやこれやについての物語だったからか、トーンが暗かったのでそういう作風の人だとばかり思ってましたが、本領はおそらくこっちなのでしょう。かなりコミカルです。

コミカルといってもエッセイだから自分自身を嗤うのです。他人を嘲笑うお話なんて誰も読みませんものね。

全部で20以上のエピソードから成る短編集ですが、特に気に入ったものを挙げると……


「書字表出障害」(ディスグラフィア)
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山本さほさんは漢字が書けないらしいんですね。小学生レベルの漢字なら書けるとのことですが、それ以上のレベルとなると無理。マンガ家になったいまでも常に左手に辞書をもっているとか。左手で調べて右手で書いているらしいです。

学習障害のひとつらしいですが、他にも、

・字が読めない
・計算ができない
・カタカナだけ読めない

などなど、さまざまな種類があるそうです。(カタカナだけ読めないというのは初めて聞きました。字が読めないのは「ディスレクシア」といって有名ですよね。トム・クルーズやアインシュタインなどがそうとか。他にもいっぱいそういう有名人がいるらしい)

山本さほさんは、特にサイン会が苦手らしく、相手がじっと自分の手元を見ているから緊張度マックスでよけいわからなくなるらしい。そういうときはいつもなら書ける小学生レベルの漢字も無理になってしまうとか。

私はそういう障害が何もないので恵まれているんだな、と思う反面。実は少しも恵まれていないとも思うのです。

なぜならば……


「運」をもっている山本さほ
高校生の頃にバイクの免許を取った作者は、中学の頃スクールカースト上位だったイケメンくんと再会する。で、彼を後部座席に乗せることになるんですが、彼が乗った途端、車体が傾いてしまう。ここでこけたらあまりにかっこ悪すぎると思った作者は火事場の馬鹿力を発揮して160キロの車体を足で支えた。が、このときマフラーに密着した足が重度のやけどを負ってしまう。全治何と1年!

他にも、マッサージが大好きな作者が入ったマッサージ店で「私はとてもうまいんです」と自慢ばかりするマッサージ師にものすごく力の入ったマッサージを受けるんですが、終わって足を見たら何と内出血だらけ。全治1か月。

さらに、巻頭にあるエピソードですが、まだデビューして数年しかたっていない作者は、無名時代にSNSにプライベート写真をたくさんアップしていたらしく、それを手掛かりに何者かに住所や家族の名前などあらゆる個人情報を特定されてしまっていた。

などなど、不運な毎日ばかり送っているかのよう。

でも、マンガ家としては、特にエッセイ漫画家としては不運な自分を嗤う作品のほうが面白いに決まっているわけで、「山本さほは幸運な人生を歩んでいる」といっていいんじゃないでしょうか。

ネットで個人情報を特定されていた件では、ある先輩が怒りに任せてリプを送ったら静まったとか。普通なら怒りを買って刺されたとしても不思議じゃないのに、それはなかった。ここぞというときに本当の「幸運」に当たるんですから、この人の運は相当なものなんじゃないか。うらやましい。

これから『半沢直樹』を見るのでもう時間がありません。

他に気に入ったエピソードは『おぎぬまX』『岩手』『切ない恋のお話』です。

山本さほ、これから一生追いかけていくマンガ家さんになることでしょう。


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きょうも厄日です 1 (文春e-book)
山本 さほ
文藝春秋
2020-06-30




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