2016年05月05日

光文社古典新訳文庫からプラトンの著作が刊行され始めてからもうだいぶ経つというのに、いままで一冊も読んでなかった。不勉強を恥じます。

さて、まず最初に読んだのは『メノン 徳(アレテー)について』という、プラトン初期の著作です。



「徳(アレテー)は教えることができるか」と問う若造メノンに対して、「無知の知」の看板を掲げるソクラテスが「そもそも徳(アレテー)とは何か」と問い返すところからこの問答は始まります。

というか、メノンとソクラテスが最終的にどういうところへ着地するかは、プラトンの本文と、翻訳者・渡辺邦夫さんの懇切丁寧な解説、つまり280ページ余の本書を通読すればそれなりにわかります。

というか、ここで語られていることを私が解説したり、感想を述べたりできるものではありません。あまりに深すぎるから。それ以前に難しいし。

ただ、どうしても言っておきたいのは、「探求のパラドクス」に関してソクラテスが返す言葉についてなんですね。

メノンは、そもそも最初から知らないものを探求などできはしない、とパラドクスを投げかけるんですが、それに対するソクラテスの返答が「想起説」なるもの。

これは、私たち人間は生まれる前からこの世のあらゆる知識をもって生まれてくる。しかし、生まれた瞬間に忘れてしまう。だから学ぶということは、生まれる前の記憶を想起することなのだ、というものなんです。

これ、何かに似てるなぁ、と思っていたら、アレでした。

仏像の彫り師が、木の塊から仏像を彫るとき、「仏像はこの木の塊の中に既に存在している。私の仕事はその周りの余分なものを払いのけるだけだ」と。

つまり、木を彫って仏像を作り上げるのではなく、仏像という作品は既に存在していて、その存在を「発見」してやるだけだ、ということですね。創造とはそういうものなのだ、というとても奥深く、ありがたいお話。

ソクラテスの「想起説」というのも同じだと思うんです。探求すべき知識はすでに全部もっている。内なる知識を発見するだけだ、と。

古代の哲学者と、いつの時代か知りませんが仏像の彫り師がまったく同じことを言っていることに大いに感動した次第です。

おそらく、これは人生におけるあらゆることに通じるオールマイティな考え方なのかもしれません。

プラトンの他の著作も読んでさらに勉強を深めたいと思います。





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2016年05月04日

ある方面から「小説も映画も面白いから読め、見ろ」と言われたもんで、小説を読み、映画化されたものも見てみました。しかし…

つまらなすぎる。



著者の乾くるみさんという方は推理作家さんらしく、なるほど、と合点がいきました。

確かに、「最後の二行ですべてがひっくり返る」という前評判はその通りだと思いましたよ。私もまんまと騙された口です。

だけど面白いですか、これ。

A面と題された前半では、ある男性が自分には不釣り合いなかわいい女性との初恋が綴られ、B面と題された後半で、その男性の後日の姿とおぼしき男性が、その女性との遠距離恋愛がうまく行かず別の女性に乗り換える顛末を描いています。

と、思わせておいて、前半と後半の男性は実は違う人物なんですね。要は、前半と後半は時系列ではほぼ同時進行で、後半のほうが少しだけ早い。で、最後の二行でそれが暴かれる、という組み立て方は見事なんですが、どうも釈然としないのです。

もし最後の二行がなければ、男も女も苦い結末ですよね。男は他のもっときれいな女に乗り換えたとはいっても、最初の女が忘れられないし、女のほうも子どもを堕ろすことになったりいろいろつらい目に遭って、最終的に男に捨てられる。

が、実は前半と後半の男が違う人物だとわかった日には、男への哀惜の念は増しますが、ヒロインへの共感は完全になくなってしまいます。

遠距離恋愛からくる寂しさなのか、どうせばれないだろうという遊び心なのか、彼女は彼氏がいるにもかかわらず、独りだとウソを言って前半の主人公と急接近するんですが、二股かけて喜んでる女に対して腹が立つだけです。

なぜ前田敦子をキャスティングしているのかはよくわかったんですが(適役!)、小説でも映画でも、「登場人物への愛情」を感じることができませんでした。

通常、物語の語り手というのは、登場人物と一緒に泣いたり笑ったり喜怒哀楽を共にするものですが、この作者がそのように大切なものとして登場人物と向かい合った形跡がありません。

ただ、最後であっと驚かせよう、という「歪んだ欲望」しか感じられないのです。

どんでん返しのためにキャラクターがあるんですね、この作品は。

だからほんとは推理作家だというのが腑に落ちたんです。

私はあまり好きじゃないから推理小説ってあまり読んでませんが、たまに読むと「名推理のために事件がある」みたいなところが好きになれない。「事件があってそこから名推理が導かれる」ならば好きになれるんですが。すべては最後であっと驚かせるため。小道具ならまだしも人物まで謎解きの「道具」にしてしまうというのは、まったく好きになれません。(やっぱり推理小説より犯罪小説!)

この『イニシエーション・ラブ』も同じでしょう。どんでん返しのためにすべての登場人物たちが作者の「駒」として用意されてしまっています。特に前半の主人公である男性なんか前半だけで完全に使い捨てにされてしまっています。

それじゃあ共感などできるはずもありません。

同じ叙述トリックでも筒井康隆氏の『ロートレック荘事件』にはそんな嫌な臭いはまったく感じませんでした。

やっぱりあれは名作ですよ。







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2016年04月30日

①ホーリーちゃん、芽が出る
②ホーリーちゃん、愚図る?

に続くマジッククリスタル「ホーリーちゃん」育成日記第3弾。

前回は蓋を開けてから3日目の画像でしたが、それがこちら。



160423_1248~01


で、もうすぐ丸10日たつ現在のホーリーちゃんの姿がこちら。



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うーん、ほとんど大きくなってませんね。こりゃ失敗したのかしら。でも何となく、クリスタルらしいとげとげしたものがよりくっきりしてきた感もあります。

しかし、説明書によると、10日たつとクリスタルが水面に出てくるらしく、やはり失敗かな、と。

いろいろ考えてみますに、クリスタルパウダーをきちんと全部溶かしきれてなかったんじゃないか、という気がします。

説明書には「30秒で溶かしきれ」みたいなことが書いてあったので、必死で30秒かき混ぜたんですが、そこでやめてしまったんですね。1分でも2分でも充分時間をかけて全部溶かしきらないといけなかったのかも。

さて、前々回の日記で書いた「ほめて育てる」というやり方ですが、これは『水からの伝言』という本に載っているやり方でして、何でもただの水に「愛」とか「ありがとう」などポジティブな言葉を貼ったり声をかけてやったりするときれいな氷の結晶ができて、逆に「嫌い」とか「戦争」などのネガティブな言葉をかけてやるといびつな結晶になるらしいんですね。

これについては「似非科学だ」という声がたくさんあるらしいんですが、私の調べでは、反証実験をした人が一人もいないんですって。これはひょっとすると、実際には実験してみた人がたくさんいるけど、『水からの伝言』に書いてある通りの結果になったから黙っているだけでは?

というか、科学と宗教のどちらかを選ばなければならないとしたら私は宗教を選びます。

宗教は人間の根幹ですから。人間は神というか信仰の対象を必要としているのです。よく言われることですが、無神論者は無神論という宗教を信じているのです。

すがりつくもの、信仰の対象がないと生きていけないのが人間という存在の哀しさでもあり愛しさでもあると思っています。

私はホーリーちゃんにこの10日間、「希望」と書いた紙をすぐ目の前に貼りつけ、朝起きたときや帰宅したときには、「おはよう」「ありがとう」「頑張って」などの言葉をかけていました。(←もう変人)

でも大きくならなかった。とはいえ、形だけ見ればきれいな形と言えるでしょう。(←贔屓目)

10日たっても液につけておけば成長し続けるらしいので、このまま置いておきます。

いつの日かホーリーちゃんが水面に顔を出すまで、私は「ありがとう」と声をかけ続けますよ! 





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