2015年08月30日

この夏の大傑作『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』の感想を綴るにあたり、まずは第1作から振り返る必要があるなと。
すると、意外な事実、このシリーズに隠された「秘密」に突き当たりました。


第1作 1996年『ミッション:インポッシブル』MI_image_main__V148027619_

トム・クルーズが設立したプロダクションの記念すべき第1作に『スパイ大作戦』の映画版リメイクをもってくるというのは、トムならではの炯眼だったのか、それともハリウッドの宿痾となってしまった企画不足の末路だったのでしょうか。

物語のきっかけは、テレビ版の主役だったフェルプス君が殺され、トムが所属するIMF=インポッシブル・ミッション・フォースの中にどうも裏切り者がいるらしいことがわかる、そして何とその裏切り者はトム扮するイーサン・ハントではないかとの嫌疑がかかります。イーサンは仲間を殺した同僚たちのために、そして自分への嫌疑を晴らすために真犯人探しに奔走します。

だから「ミッション」といっても上からの命令ではなく、ほとんど「私怨」で動いているのですね。『スパイ大作戦』はスパイたちの私的感情などないかのごとく命令を忠実に遂行していくプロフェッショナルの姿が描かれていましたが、この映画化第1作で早くもトム・クルーズたち製作陣にテレビ版への敬意など皆無であることが露呈してしまっていると思いました。

しかも、実はフェルプス君は実は生きていて、彼こそが裏切り者だったという、テレビ版のファンが激怒する結末を迎えるというのがおおよそのあらまし。

フェルプス君の言い分としては「冷戦は終わった。もう俺たちスパイの時代じゃない」とのことですが、スパイとして自分の半生を犠牲にしてきたイーサンにはそれが許せない。

どこまでもこの映画は「私情」で動いているのです。

では、第2作はどのような物語なのでしょうか。


第2作 2000年『M:I-2』
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物語は、キメラと呼ばれる細菌兵器を悪人どもから奪回せよ、との指令を受けたイーサン・ハントたちが見事にミッション・コンプリート! そうです。2作目で初めてまともなミッションが下り、それを遂行するプロフェッショナルの姿が描かれます。

しかしながら、タンディ・ニュートン演じる女泥棒と恋に落ちたイーサンは、彼女がキメラを奪われないために自分に注射したため、彼女を救うためにミッションを成就させるのです。そうです。またしても「私情」で物語が動いているのです。これでは真のプロフェッショナルではありません。

さて、では、第3作では真のプロフェッショナルが描かれたのでしょうか?


第3作 2006年『M:I-Ⅲ』
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イーサン・ハントがフィリップ・シーモア・ホフマン扮する悪役デイヴィアンに、おまえの頭に爆弾を埋めた、〝ラビット・フット″を返せ、でないとこの女を殺す、と脅迫されるところから始まって、フラッシュバック形式でその女性と婚約している平和な毎日が描写されます。
でも、このフラッシュバック形式が妥当なものだったのかどうか。最初に張り手をくらわす手法は珍しくありませんが、普通に穏やかな日常を送っているイーサンのもとにかつての上司がやってくる、という出だしでよかったのでは?

フィアンセを殺されそうになったイーサン、というところ場面から始まるこの第3作は、ファーストシーンからまたも「私情」で物語が動くことを示唆しています。決してテレビ版のような冷徹なプロフェッショナルではなく、人間的感情にあふれたスパイを描くのだとトム・クルーズは強く考えているようです。

イーサンはかつての教え子リンジーがデイヴィアンに捕らえられている、奪還せよとの指令を受けてベルリンへ飛びます。で、奪還失敗。リンジーは頭に埋め込まれた爆弾のために命を落とし、イーサンは上層部から叱責されます。

イーサンは、リンジーへの思いを胸に、上司マスグレイブの計らいでデイヴィアンがもつラビット・フットというお宝を奪い返すミッションを遂行します。ミッションは下りますが、それは形だけのもので、ほとんどリンジーを殺されたことへの復讐です。デイヴィアンをもう少しでヘリから突き落としてしまいそうになるほどイーサンは我を忘れてしまっていました。このシリーズ中、主人公イーサンが最も強く私情を見せたのが本作です。

バチカンに乗りこんだイーサンは、デイヴィアンを誘拐、ラビット・フットを奪うことに成功するも逆にすべてを奪い返され、ジュリアを人質に捕られます。

ここで何と、上司マスグレイブがデイヴィアンと手を組んでいた裏切り者だったことが判明。第1作と同じです。同じだからダメなのではなく、私怨に油を注げば注ぐほど本家『スパイ大作戦』から乖離していってしまい、なぜトムはあのテレビシリーズを映画化しようと思ったのかますますわからなくなるのです。

確かに、J・J・エイブラムスによるこの3作目はめっぽう面白い。終盤のトム・クルーズの全力疾走の場面など「映画を見る快感」が画面から迸っています。

しかし、エモーショナルな傑作であればあるほど、なぜトム・クルーズは『スパイ大作戦』を映画化しようとしたのかがわからない。テレビシリーズと同じにしろとは言いません。でも、エモーショナルなスパイ・アクション映画を作りたいのなら『スパイ大作戦』のリメイクではなくオリジナルで作ればいいじゃないですか。主役だってフェルプス君を最初に死なせて新しい主役イーサンを作ってるわけだし。

トムはひょっとしてラロ・シフリンのあのテーマ曲がほしかっただけなのではないか…? との疑念が渦巻くしかないのです。

長くなりました。続く『ゴースト・プロトコル』と最新作にして最高傑作『ローグ・ネイション』で明らかになる「トム・クルーズの真の狙い」についてはまた明日にでも。

続き
②ポーラ・ワグナーとの訣別
③最新作『ローグ・ネイション』でわかったトム・クルーズ真の狙い
『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』







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先週の開幕戦はスコアレスドローで、得点力不足を世界中から批判されたレアル・マドリード。
今日はその憂さを晴らしてくれました。

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ハメスがスタメンに戻ってきました。やはりこの男がいるのといないのとではぜんぜん違う。

素晴らしいクロスでベイルの1点目をアシストすると、次は右サイドのあまり角度のないところからのフリーキックをものすごい弾丸ライナーで入れてしまう。ウルトラゴラッソ。

さらには後半、クロースのシュートがたまたま自分の足に当たって跳ねたところをオーバーヘッド! またまたゴラッソ。

2ゴール、1アシストの大活躍。ベイルも今日は2点取ったし、しかもその2点目がこれまたゴールまでかなり長いところからの弾丸ゴラッソ。しばらくイスコは控えかなぁ。淋しいけど。

ベンゼマの復帰は大きいですね。ヘセと違ってポストプレーがうまいから前線でボールが収まるし、攻撃の幅がぐんと広がってました。ヘセはやはりウイングで使ったほうがいいかと。それかベンゼマとの2トップでやや低い位置からのセカンドストライカーとか。

気がかりなのはクリスティアーノ・ロナウド。いつもならズドンとシュートを打つところで打たなかったり、簡単にクロスを上げたり、ビッグチャンスは再三あったけれど決めきれず。でも、調子が悪くてよかった。だって、調子が良くて入らないと苛立ってファウル、退場とか充分ありえたので。自分の調子の悪さがわかってるから相手のファウルを取ってもらえなくてもあまり怒らなかったんでしょう。代表選ですっきりして帰ってきてほしいですね。

そういえば、解説の城が、「ロナウドを交代させるべき。例外を作らないことがチームにとって大事」と言ってましたが、そういう正論はよけいチームを悪くしますよ。

ロナウドをちょっと調子が悪い程度で途中交代なんかさせたら内紛が起こるのは誰の目にも明らか。ロナウド派と反ロナウド派に分裂してチームが空中分解してしまいます。

有名な文言をちょっと変えて言えば、

「地獄への道は正論によって舗装されている」となりましょうか?

アラ・マドリー!!!!

そうそう、ケイロル・ナバスもよかった。PKストップに、ルベン・カストロからボールをかすめ取った場面も見事でした。ま、半分は相手が下手だったからですけどね。





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2015年08月25日

先日、感想を書いた『悪意の手記』の姉妹編ともいえるらしい『最後の命』を読みました。




うーん、これにも大いに疑問を感じざるをえませんでした。

主人公は、ある精神薄弱の女性を悪辣なホームレスたちにレイプするよう強制された暗い過去をもっています。そして、それが原因で女性と普通の関係をもつことができない。あれが原因だと思えば思うほどどんどんアブノーマルになってしまう。

さらに、そのときのホームレスが死にかけていたところを見殺しにするという過去ももっているんですね。ここまでダークにする必要があるのかというほどの暗さなんですが、あざといとかそういうことじゃなくて、テーマの掘り下げ方が、というか、話の語り方を間違えてる気がしてしょうがないんです。

『悪意の手記』が「人を殺したらどうなるか」という『罪と罰』のモチーフを良くも悪くも中村文則らしい語り方で語っていました。私はまったく乗れませんでしたが、好きな人もたくさんいるのだと思います。

今回の『最後の命』でも、主人公の本棚にドストエフスキーがあるなど、かなり『罪と罰』を意識しているなと思えるところがあります。冴木という男のメールのところなどは『悪霊』のスタヴローギンの手記を意識してるのかな、とか。

それはともかく、この小説では、まず主人公の部屋で女が殺されていて、部屋から出た指紋が主人公と暗い過去を共有する親友のものだった。はたしてその親友は真犯人なのか!? というミステリ仕立てなんですね。私はこの構成に納得がいきませんでした。

最後まで読んでも真相がはっきりしないのは別にいいんです。そういうのたくさんあるし。でも、過去に人を傷つけ、見殺しにしたこともある人間の懊悩を描くのが主眼なのに、殺人事件が起こって、指紋が出ました、あなたの親友のものです、彼は連続婦女暴行犯として指名手配されてます、というサスペンス風の語り口がどうして必要だったのか、少しも理解できないんです。

『悪意の手記』でも、後半、突然登場した女性が物語を解決に向かわせるストーリーの作り方に納得いかないと書きましたけど、この『最後の命』でも、主人公やその親友の内面描写よりもストーリー展開のほうが重視されすぎてはいないか、と思うのです。

何というか、古典的ハリウッド映画のような筋立てを借りないと主人公の懊悩を描けないような、苦肉の策のような気がするのです。それか、ミステリ仕立てにしないといまの読者は読んでくれないから、という「計算」が透けて見えるというか。

このあとの『掏摸』にはそんなの少しも感じなかったんですけどね。この前に書かれた『銃』にも感じませんでした。拳銃を拾う、というのがもうかなりサスペンス仕立てなんですが、そこから結末に至るまでの主人公の内面描写には少しもストーリー展開に力を借りたものではなく、純粋にその内面を掘り下げていく描写の連続で、小説を読む醍醐味とはまさにこれよ、とゾクゾク震えたのをはっきり憶えています。

この次の『悪と仮面のルール』と合わせて三部作と言われているらしいですが、すでに購入してあるので読んでみます。





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