2015年12月05日

久しぶりに見ましたよ。長谷川和彦監督の伝説的傑作『太陽を盗んだ男』!!


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沢田研二を原爆製造犯、菅原文太を刑事に配したサスペンス・アクションの大傑作です。

『気狂いピエロ』で特別出演したサミュエル・フラーが、主役のジャン・ポール・ベルモンドに「映画って何なんだ」と問われて、「愛、憎しみ、アクション、暴力、死。つまり感動だ」と答える名シーンがありますが、この映画はまさにそれですね。原爆を作って脅迫するというサスペンスフルな物語なのに、やたら笑えるシーンがあったり、もうごった煮状態。

見ながら、遠き日にゴジ監督から直接聞いた話を思い出しました。

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左が長谷川和彦監督。通称ゴジさん。こんなことを言ってましたっけ。

「レナード・シュレーダーから『何でもない若者が原爆作ってプロ野球最後まで見せろって話』と提案されて、すぐ乗ったんだよ。なぜかって? だって実にバカバカいじゃないか」

「でもその若者が何をしている人間なのかがわからなかった。つまり職業。原爆作ったものの何を要求していいかわからない、そんな奴が生業にしているものって何だと」


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「原爆をどうやって作るか調べていくと、どうしても被爆の可能性があることがわかった。加害者も被害者。というか、こいつは東京中の人間が死んでもいいのかって脅すんだけど、実は自分が死にたいだけなんじゃないか。あ、そうか、こいつ死にたいんだ。そこでこの男がグッと自分のほうに引きつけられた気がしたね」

「だって生まれてくることは選べないけど死ぬことは選べるじゃないか。俺はずっとそう思って生きている」


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「高校の頃、生徒会長をやってたんだが、担任の教師から『おい長谷川、お前将来何やりたいんだ』と訊かれて『映画を作りたい』と答えたら『そうか。俺は人間作ってるんだ』と言いやがってよ。あんまり好きな先公じゃなかったけど、あ、そういうふうに考えて教師やってんだって何だか妙に記憶に残っててな。で、あの先公、もしかしてものすごく孤独だったんじゃないかとふと思ったんだよ。この主人公も孤独な奴だ。じゃあ教師にしようって。それまでに2年もかかったんだぜ」


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「黒沢清は刑事を主人公にしたがるが、それはできるだけしないほうがいいっていつも言ってるんだ。でもあいつほんとに刑事が好きなんだよ。刑事がダメな理由? 刑事は仕事として事件に関わるだけから。何かもっと個人的な感情で動かないとドラマが熱く煮えたぎらないと思うんだ。主人公を刑事にするのは話を作るには簡単だけど、簡単だけにつまらない。この映画だって、もし文太刑事を主人公にして原爆作った悪い奴をやっつける話だったらつまらなかったと思うよ」

ゴジ監督、最新作いつまでも待ってますよ!


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2015年12月04日

北野武監督最新作『龍三と七人の子分たち』がめったやたらに面白かったです。

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この映画はやはり「世代間抗争」ですよね。悪い奴らが悪い奴らを懲らしめるわけだから勧善懲悪ではないし、昔気質のヤクザがいま自分がヤクザだという自覚もなしに弱い者いじめしている新興ヤクザを懲らしめる。

昔はよかった、なんてよく言いますし私自身もそう思いますけど、北野監督はもっとそういう思いが強いんじゃないでしょうか。

この映画に出てくる悪役たち(主人公も悪人ですが、さて「悪」とは何でしょうか)の悪辣さは自分たちが悪人だと自覚してないところにあります。

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ま、龍三たちにも自覚がないと言えばないんですけどね。「俺は殺しが5つで傷害が2つで~」とか気楽に言い合う場面では、およそ自分たちが悪いことをしたという自覚などないように見えます。

しかしながら、彼らは同じヤクザを殺してたんですよね。堅気の人間を傷つけたわけではなかった。ところが、新興ヤクザどもは拳銃はもってるわ、平気で人殺すわ、弱い者たちから金巻き上げるわ、まさにやりたい放題。なのに、「俺たちはヤクザじゃない。ちゃんとした堅気の会社です」と堂々と言えてしまう面の皮の厚さがどこまでも憎々しい。

結局、この映画は、かつての東映任侠映画と同じ構図なんですね。「義理だの人情だのそんなものは過去の遺物だ」とばかりにやりたい放題する同業者を鶴田浩二や高倉健がぶった斬る!!! 愉快痛快。

だから、この映画は勧善懲悪ではないなんて言いましたけど、やっぱり勧善懲悪なんですね。その「善」なる者もまた悪人にすぎないというところが肝でして。クリント・イーストウッドの『許されざる者』も同じでしょう。己を許されざる者だと自覚しているイーストウッドと、自覚せずに正義の執行者と自認しているジーン・ハックマンの対決。悪が悪を成敗する。そこにはかつての東映任侠映画と同様、徒労と虚しさしか残りません。

しかし、この『龍三と七人の子分たち』は同じ図式で同じことを語りながら、それを喜劇として提示したところが素晴らしいと思います。

ラスト、新興ヤクザどもをやっつけた組長・藤竜也に若頭・近藤正臣が「次は俺が組長だな」と言うと、「バカ野郎、出てくるころにはみんな死んでるよ!」という愉快痛快なセリフが実に新しい。笑いですべてを締めくくりながら、映画館が明るくなり帰途につくころには、「嗚呼、あの素敵な人たちはもうすぐ死ぬんでしまうんだ。弱い者から金を巻き上げる悪人どもを懲らしめてくれる人たちがいなくなるんだ」という妙な哀しさに包まれる。

東映任侠映画では主人公が感じていた徒労と虚しさを、この映画では主人公たちが感じずに観客にだけ感じさせるんですね。そこが同じ悪が悪を成敗するヤクザ映画でありながら喜劇として提示した『龍三と七人の子分たち』の新しさだと思います。

昭和と平成の対決。
それは当初、龍三たちと新興ヤクザの対決であったかのように見えて、実は新興ヤクザもほとんどは昭和生まれ。

真の昭和と平成の対決は、60年代東映任侠映画と21世紀たけし映画とのガチバトルだったのだな、と気づいたところで、カット、カット!


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2015-10-09





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2015年12月01日

是枝裕和監督の最新作にして、綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すずが姉妹を演じる話題作『海街diary』を見てきました。

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いい映画でした。正直申しまして、是枝監督の映画って苦手なので寝ちゃうんじゃないかと思いましたが、素晴らしかったですね。

女にだらしない父親をもった四姉妹が、父親が「ダメだけどやさしい人」だったのか、それとも「やさしいけどダメな人」だったのか、どちらだったのか考え、結論に至る物語なんですが、女優がみな素晴らしい。もともといい女優さんたちなんですけど、是枝監督の演技指導がいいのか、それぞれこれまでのキャリア最高といえる芝居を見せてくれます。

しかし、そういうことは私にとってはどうでもいいことです。この映画の素晴らしさについて語るくらいなら、四の五の言わずにもう一度見ればよろしい。私がこだわりたいのはもっと別の細部なのです。

後半の中盤くらいでしょうか、綾瀬はるかが母親役の風吹ジュンと家の近くの墓地まで一緒に歩いていく場面があります。雨が降っていて傘を差していくのですが、ここで綾瀬はるかはビニール傘を差すんですね。このビニール傘に私は徹底的にこだわりたい。

「雨が降るから傘を差すのではない。傘を撮りたいから雨を降らせるのだ」

とは蓮實重彦の名言ですが、この場面での雨は見事です。というか、人工的に降らせてるというより実際に降ってるときに撮ったんじゃないでしょうか。いい感じに降ってるけれど、あそこまで小さな雨粒は人工的に作ることは不可能ではないかと。
だから、是枝監督が「傘を撮りたいから雨を降らせた」のではないとは思います。

しかし、ここでなぜ主役の綾瀬はるかは安物のビニール傘を差すのでしょうか。
(↓こういうコンビニなんかで売ってるやつです)
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風吹ジュンはきれいな水色の折り畳み傘を差します。彼女は母親とはいえ同居しているわけではないので、雨模様だからと鞄に入れておいた傘なのでしょう。よそ行きのきれいな傘です。対して綾瀬はるかはその家の住人だから、しかも一緒に行く相手が母親という身近な人だから、さらに目的地がすぐ近くだから安物のビニール傘を選んだ、という物語的必然としては理解できるのですが、作り手である是枝監督がなぜあの場面で綾瀬はるかにビニール傘をもたせたのか、私は理解できかねるのです。

蓮實の傘についての至言は、ヒッチコックの名作『海外特派員』を指して言われたものでした。


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『海外特派員』の有名な傘の場面。
ここで、ヒッチコックはまさに傘を撮るために雨を降らせているのですが、見事なまでにすべて真っ黒な傘です。モノクロだから全部黒に見えるだけかもしれませんが、現場でどういう色かは問題ではなかったはずです。観客の目に「すべて真っ黒な傘」に見える必要があった。白い傘や柄物や薄い黒は一切なく、すべて等しく真っ黒に映る傘である必要があった。

物語的には、この場面では老若男女いろんな人がいるはずだから白い傘や柄物などいろんな傘があっていいはずです。しかし究極の審美主義者ヒッチコックはそれを許さなかった。リアリズムなどくそくらえ! すべて真っ黒な傘が蠢くほうがよっぽど美しいではないか、と。

『海街diary』では、そういう審美性がないのですね。ないからダメだと言っているのではないのです。いまという時代は、ヒッチコック全盛の時代なら嗤われたであろう「くそリアリズム」の時代なのだと痛感するだけなのです。

ヒッチコック全盛期とは映画全盛期のことです。あの頃なら、主役の役者に安物のビニール傘などもたせなかったでしょう。あそこで高価な傘をもっていくのもちょっと不自然ですが、ただ、周りの景色や綾瀬はるかの美しさとビニール傘はどうしても釣り合わないのです。だからごく普通の美の基準から考えてかつての映画界なら主役にあんな傘はもたせなかったでしょう。

でも、是枝監督はもたせたのですね。それは、上述したように、綾瀬はるかが演じる女性の「内面」を考えた場合、あの傘が「自然」であろうという考え方だったのでしょう。

昔なら、外面からくる「不自然だけど美しい」を選んだはずが、いまは、内面からくる「美しくないけど自然」を選ぶ時代なのだなと、クラシック映画が大好きな私はため息をつかざるをえないというだけの話。

それは裏返せば、「美しいけど不自然」を嫌う風潮でもあるのかなとも思います。

「不自然だけど美しい」か「美しいけど不自然」かの間で揺れるこの映画が、「やさしいけどダメな父親」か「ダメだけどやさしい父親」かをめぐる物語を語っていることを考えると、複雑だけれど何だか楽しくなってくるのも、また事実なのでした。


海街diary
綾瀬はるか
2015-12-16





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