2016年01月09日



「~~だっていいじゃないか、人間だもの」などの独特の文字で書かれた詩で有名な相田みつを。

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私はかねてからこの相田みつをの詩が大嫌いでして。何だか思い出しただけ恥ずかしくなるのです。

なぜ嫌いかというと、前は、

「最後に『人間だもの』をつければすべて許されてると思っている」
「それを究極まで推し進めれば『人を殺したっていいじゃないか、人間だもの』みたいなことも言えてしまう」

とかって思ってたんです。

いや、いまも思ってるんですが、この度それとはぜんぜん違う、もっと本質的なことに思い当たりましてね。

ふと「俺って言葉を信じてないなぁ」と思ったんですよ。なぜか急にふっと。

ずっと前、「あなたは言葉を生業にしているんだから言葉の力を強く信じているはず」みたいなこと言われたことあるんですが、そのときの違和感の正体がわかりました。

私は言葉の力など信じておりません。

いくら千言万言尽くそうとも、本当に大事なことは言葉じゃ言えんのです。言葉に力があれば言えちゃうはずでしょう?

だから私は言葉の力など信じていないのです。だから平気で心にもないことを言うし、大言壮語して周囲を混乱させることなど日常茶飯事です。

でも、おそらく相田みつをという人は言葉の力を信じているのですね。でなければ「つまづいたっていいじゃないか、人間だもの」みたいな言葉を本気で唱えられないと思うんですよ。

でも、「つまづいたっていいじゃないか、人間だもの」はたぶんウソです。間違ってるとは言いません。正しいのでしょうが、おそらく相田みつをは心の底からそう信じて唱えていたとは思えない。

言葉の力を信じているにもかかわらずその言葉で無意識にウソをついている。これが一番の理由じゃないか。

どうせウソをつくなら意識的につこう、というのが私のスタンス。無自覚なウソとは無縁でありたいと常に思っています。

続き
新・相田みつをが嫌いな理由(あれは「似非作品」なり!)




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2016年01月06日

ついにレアル・マドリードのベニテス監督が解任され、ジダン新監督が誕生しました。

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会長が変わらないかぎりこのチームは変わらないという意見はその通りだと思うし、ジダンが切られる日が目に見えるようで辛かったりもしますが、ここではそういう背景を一切無視して、純粋にジダンが監督としていまのチームを生まれ変わらせられるかということに絞って考えたいと思います。

まずは、選手として偉大な人なので、スーパースターたちも聞く耳をちゃんともつでしょう。前々監督のアンチェロッティの右腕としてチームに帯同していたからよけいにね。それに下部組織の監督をやっていたわけだから、生え抜きの若手のこともよく知ってるのはいいですよね。

それと、フランス人ということでこのところ試合に出られてないバランを重用してくれるのではないかという期待もあります。もともとバランはジダンが連れてきた選手ですし。
ペペもセルヒオ・ラモスもいい選手ですが、やはり、高さ、速さ、強さ、どれをとってもバランが上ではないかと。ただラインを統率するリーダーシップではセルヒオ・ラモスのほうが一日の長があると思います。とか何とか言っても、バランが先発したクラシコは大敗したんですけどね。
それでもやっぱりセンターバックは、バランとセルヒオ・ラモスのコンビをファーストチョイスにしてほしいです。

いまのところジダンのチーム作りに関する発言は「BBCの3トップを起用する」というものだけですが、これは文字通り「3トップ」という意味なのか、それとも「BBCの3人を同時起用する」という意味なのかはわかりません。

私は前から言っているように、ワンボランチの4-3-3より、ダブルボランチ&5人の中盤でしっかり守って速攻するため4-2-3-1のほうが同じメンバーでもずっといいと思っているので、3トップという意味なら幻滅ですが、しかし、アンチェロッティの弟子であるジダンは4-3-3を継承するのか、それとも、「アンチェロッティが解任されたのは無冠に終わったから、なぜ無冠に終わったかといえば失点が多かったから、なぜ失点が多かったかといえば…」と考えてくれるでしょうか。
そこを考えれば4-3-3は危険なはずなんですが、どうなんでしょう?

師匠アンチェロッティを盲信するとは信じたくありません。シャビ・アロンソやブスケツのような純正4番がいないと4-3-3は機能しないことは、ジダンならわかってるんじゃないかと期待します。いや、もう期待するしかありません。これはもう祈りです。

神様、仏様、ジダン様。

に、なれるかどうか、答えはもうすぐ5月には出ます。じっくり見守りたいと思います。





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2016年01月04日

『自虐の詩』で知られる業田良家さんの連作短編集『機械仕掛けの愛』(小学館)。いま出ている3巻まで読みました。



どれもこれも面白いんですが、厳選して3篇だけご紹介します。

①『罪と罰の匣』
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ドストエフスキーを「人間の愚かさを描いた笑える小説」と看破する警察ロボットが主人公なんですが、突然ある日彼が逮捕されてしまう。

容疑は偽札作り。貧しい人たちのために偽札を刷っていたのだと。「お金持ちは困るでしょう。でも貧しい人たちは救われます。法律を犯しましたが、間違ったことをしたとは思わない」と言い放つ彼は、虫ロボットにされてしまう。メモリーだけ腹に差して。彼の上司だった男がドストエフスキーの文庫本を差し入れてやって、「私には愛すべき部下がいた」と涙を流す場面で終わる。


②『ロボット心中』
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ある男が人間の女ではなく、女型ロボットと結婚すると言い出して周囲は猛反対。それを押し切って結婚するも、周りから奇異の目で見られて何もかも嫌になった男は「俺と心中しよう」と妻に言う。が、妻ロボットは「私に愛情はありません。ただ機能があるだけです」と心中を拒否。
絶望する男にニュースが届けられる。妻ロボットが別の男型ロボットと心中したと。やっぱりロボットはロボット同士がいいのかと思いきや、おそらく「偽装心中」だろうと結論される。男型ロボットの持ち主の女性も心中を迫っていたらしい。主人の命を守るため二体のロボットは示し合わせて偽装心中したと思われる。そんなプログラミングはしてないのに、主人の命を守るという機能をまっとうした結果、命懸けで主人を守るという行為に出たのだと。

「機能」だって何だっていい、これ以上の「愛情」が他にあるか。と男は声に出さずに言う。


③『丘の上の阿呆』
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極度の監視社会に生きる男の物語。

体制派と反体制派のどちらもが自分たちの仲間を監視し、裏切り、密告、処刑に明け暮れる毎日。
主人公は、阿呆を装って生きている。そのほうがどちらにつかずにいても笑われるだけですむと。そして、殺された人たちを葬り、花を添えることを自らの責務と考えている。「阿呆のほうが人としてやるべきことをやれる。狂った世の中さ」とネコ型監視ロボットに語る。

そんな彼が「ああいうどっちつかずが一番ムカつく」と突然殺される。ネコ型ロボットはすでにメモリーを書き換えられており、自分の使命が監視であることを知らない。殺された阿呆を見ながら「俺はいま何をしなければならないのか」と考えた末に、花を一輪ずつ摘んできて阿呆の死体を飾ってやるのだった。

「心」とは何ぞや? 人間とロボットの違いは何ぞや。

人間は心があるが、ロボットにはない。本当にそうだろうか?

ロボットの「機能」と人間の「心」ってひょっとして同じではないのか、人間も神が造ったロボットにすぎないのかも…というのがこの連作短編集に通底する思想・哲学ですね。

言葉では言えない何かがこの3冊のマンガには詰まっていますが、はたしてロボットは言葉では言えない何かを理解することはできるのでしょうか。

第3巻の最後『ロゴスの花』という作品では、ある言葉を繰り返し唱えるようプログラムされたロボットが、自分自身が唱える言葉によってプログラムにない行動に出る姿が描かれます。

言葉によって機能が変わる。言葉によって心が変わる。

ならば、言葉では言えない大切なことをロボットが理解できる日も…?

第4巻ではそのあたりを読みたいですが、どんな傑作が待ってるんでしょう。





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