2016年01月18日

前節、新米監督のジダン率いるレアル・マドリードは、嫌われ者ベニテスがいなくなったことにより気分よくプレーできて5-0の圧勝。今日のヒホン戦はどうなるかと思ってましたが、結果は5-1のまたしても圧勝でしたが、前半がジダン新監督のいい面、後半は悪い面が出てしまってました。

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12分までに自慢のBBCトリオが得点して3-0、さらに18分で4-0、前半だけで5-0。ここまではサイコーでした。
解説の北澤が言ってたように、サイドバックがトップの位置まで上がってほとんど5トップ。さらにベニテス時代はサイドに散らしてセンタリングという芸のない攻撃ばかりでしたが、前節から中央への鋭い縦パスが何本も入るようになりました。ボールをもってない選手が動いているからでしょうね。常にパス&ゴーでワンツーで抜けるシーンも多かったし、見ていてとても楽しかったです。前半は。(画像を見てもらえばわかるようにチーム一丸となってます)

しかし前半の終わりにベイルが負傷。ベンゼマも怪我で交代すると、途端に攻撃力が落ちちゃった。ベイルに代えてヘセ、イスコに代えてハメス、ベンゼマに代えてコバチッチというのはぜんぜん悪い選択とは思いませんが、もひとつ何をやりたいのか、何をやらせたいのかよくわからないサッカーになってしまってました。

それと、前半から思ってたことですが、ペペとバランの位置が高すぎるんじゃないですかね? たぶん、クロースの両脇が弱点といわれていたのを補うために、インサイドハーフに絞らせるだけじゃなくて、センターバックにもカバーさせるという狙いなんでしょうが、ちょっと前に出すぎで、ヒホンの鋭いカウンターでヒヤリとする場面が何度かありました。

だからクロース一人をアンカーにしないで、モドリッチとのダブルボランチにしてほしいのに。

とはいえ、今日はクロースとモドリッチ、そしてイスコの中盤が素晴らしかったですね。得点を決めた前線の3人ばかりがクローズアップされてますが、私は彼らハーフ3人のおかげで大量得点を取れたと思ってます。
私はイスコよりハメス派ですが、今日のハメスは気負ってばかりでよくなかった。代わりにイスコが攻守、特に守備での貢献が大きかったと思います。次節のスタメンもイスコでしょう。

しかし、ベイルの怪我は心配ですね。どうも筋肉系の負傷らしく、もしかすると長引くかも。このところ連続でゴールを決めて絶好調だっただけに残念。ベンゼマはたぶん軽傷で次節は大丈夫だと思うんですが、ベイルが使えないとなると、さて、ジダン新監督はどうするか。ヘセ? ルカス・バスケス? それともハメスを最初から使って4-4-2にするのか。

それと、FIFAだったかUEFAだったかからの処分で2回連続で補強禁止とかで、異議申し立てするらしいですが、認められなかったら現有戦力だけで来シーズンいっぱい戦わないといけないわけで、新監督ジダンにいきなりの試練が…。

何とか乗り越えて。頑張って、ジダン。応援してます。





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2016年01月16日

私は昔なら学校で、いまなら職場でいつも思うのは「何でみんな同じような価値観でしか物事を見ないんだろうか」ということなんですね。

例えば、ちょっと前のベッキー不倫問題とかでも、ある意見が出るとそれに追従する意見ばかりが出て、異論を唱える者がいない。まぁ女性ばかりの職場だからよけいにそういう現象が起こりやすいのかもしれませんが、私が異論を唱えるとしら~っとした空気が流れる。それだけならいいんです。厭なのは、私とある女性が二人だけになったときに「実はあたしもピッチコックさんと同じこと考えてたんです」と言われることなんですよ。

じゃあ、なぜあのとき言わなかったのか!
別に加勢してほしかったという意味じゃありません。そういう意見をもっているなら堂々と言えばいいじゃないですか。なぜ他の女性たちの耳がないところで言うのか。

どうも人間は、というか日本人は平均値の高さを気にするようなんですね。ずっと前から思っていることではあるんですが。

この場ではいまこういう考え方が大勢を占めている、それならいまはそれに乗っとこう、みたいな。とにかく平均値の高いものに合わせよう、逆に平均値の低いものを排除しようという。

しかし、平均値というものは「幻想」にすぎません。

かつてまだ日本の映画人口が1億人ちょっとだったとき、「日本人は1年に平均1回だけ映画館に行く」と言われました。それ自体は正しい。

しかし、「1年に1回だけ映画館に行く人に向けて映画を作れ」という言い方は完璧なる間違いです。

なぜなら、平均値とはあくまでも抽象的な数字だから。

映画館のロビーとかエレベーターで、よく「こないだ見に行った映画サイコーだった」とか「次はあれ見に行きたい」と会話している人たちが大勢います。年に何度も行く人がたくさんいるわけです。

おそらく日本人の映画館での映画鑑賞の実態は「ほとんどの人がまったく映画館に行かず、一部の人たちだけが数十回以上通っている」ということだと思います。

クラスの半数が100点、残りの半数が0点なら平均点は50点ですが、そのクラスで実際に50点取った人間は1人もいない。

同じように、映画館に1回しか通わない人はもしかするとただの1人もいないかもしれないわけです。

「アメリカ人は年に平均10回映画館に行く、だからアメリカ人は日本人の10倍映画館に行っている」という言説は正しい。抽象的な数字同士を比較しているわけだから。

でも、平均値という抽象的な数字から「1年に1回だけ映画館に行く人」という具体的な人間像を想定することは絶対におかしい。

だから平均値に近いように自分を見せるというのは何とも愚かしいことだと思うわけです。

幻想でしかない「平均的な人間」を演じようとみんな必死になっている。私の目には出来の悪い喜劇にしか見えません。

別にいいじゃないすか、あなたはこれが好き、私はこれが嫌いでも。いろんな価値観があるから世の中面白いのだから。





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2016年01月14日

今朝、ツイッターでやたら不愉快なツイートを見てしまいまして。あまりに厭で反射的にその人へのフォローを切ってしまったほど。ま、つい先日興味本位でフォローした人だから別にかまわない。

それよりも、なぜ反射的とはいえフォローを切ってしまったかを今日一日考えてました。

その人のツイートというのがどういうものだったかというと、

「男子が集まって女のカラダがどうだこうだと下ネタばかり話すのは、『この世にはヘテロセクシャル以外の男もいる』という想像力が欠如しているからだ」

というもので、これ自体まちがった言説だとは思いません。

そりゃ、ホモセクシャルの男からすると女のカラダの話など少しも楽しくないでしょう。それどころか、自分の性的嗜好を隠すために乗って楽しむふりをしなければならないはずで、苦痛以外の何物でもない。私自身はホモセクシャルではないので、そういう人の苦しみ、つらさは頭で理解できるだけです。それについては何も反論ありません。

しかしですね、世の中にはヘテロセクシャルの男以外もいる、と言うならば、世の中には性的嗜好以外で苦しい思い、悲しい思いを強いられている人もいるということになぜ気がつかないのか、と思うわけです。

私が反射的にフォローを切ったのは、そのツイート主が「無自覚の性的嗜好原理主義者」だからなんですね。「この世の人間は性的嗜好だけでできている」みたいな誤った人間観に基づいて発言していることに無自覚なのがものすごく厭だったわけです。そしておそらく無自覚ゆえにその人自身が「正義の味方」を自認している。

こういう手合いは本当に始末が悪い。

ホモセクシャルやバイセクシャル、レズビアンや性同一性障害の人たちだけが差別を受けてるわけでもなければ、苦しみを背負っているわけではありません。

両親がどこの誰かもわからないという人はたくさんいると聞きます。私自身はいまだに両親が健在なのでなかなか想像力をめぐらすことができませんが、自分の両親がどこの誰かもわからないというのは自分のルーツが何もわからないということであって、どっしり地に足をつけて生活できない気がします。でもそういう出自を声高に言う人ってほとんどいないでしょう。だから知らず知らずそういう人の前で両親の話をしてしまうこともあるはずなのです。

私はサッカーが好きですが、「サッカーのせいで大事な人を失った」とサッカーを恨んでいる人だって世の中にはいるでしょう。その人の前で知らず知らずサッカーの話をして傷つけてしまうことは充分ありえることです。

だからといって、それがすべてダメだ、それは差別だ、それは配慮が足りない、と言ってしまったら、もう何も会話なんてできません。

何も言えなくなってしまう覚悟があるなら咎めればよろしい。でも、あのツイート主にはそんな覚悟などあろうはずもなく、それどころか「自分にはまだまだ言い足りないことがある」と言わんばかりの勢いでした。だから切りました。

原理主義というのは恐ろしい。他の物事が見えなくなってしまうから。

「すべては相対的である」

数千年前にそう看破し、「私の言葉でさえ疑いなさい」と弟子たちに教え諭した釈迦は、やはり歴史上最大の偉人だと思います。





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