2020年01月16日

2020年1月期に見始めたドラマとアニメは全部で6本。

見始めた順に簡単な感想を。


『贋作 男はつらいよ』
これはきつかったですね。桂雀々はまだ芸達者なほうでいいんですが(でも渥美清のほうが百万倍は上)常盤貴子の芝居とか見てられない。どうしても倍賞千恵子と比較してしまう。他の面子も同様。
お話がどうとかいう以前に、というか、同じ話じゃないですか。同じ話だからこそ役者の芝居で魅せてくれないと見てられない。第1話でリタイア。


『映像研には手を出すな!』
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『四畳半神話大系』の湯浅政明監督が5年ぶりに手掛けるというテレビアニメ。
第1話では「メタ・アニメ」なのかな、と思ったら、第2話では特別そういうわけでもなく、アニメ好きが自分たちが作ろうとしているアニメの世界で楽しく遊んでいるだけというか。登場人物たちは楽しいんだろうけど、見ているこちらは少しも楽しくない。出演している芸人たちだけが楽しんでて少しも笑えないバラエティと同じようなものか。
次回以降の展開に期待します。


『pet』
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東京時代の恩師である村井さだゆきさんがシリーズ構成をなさっているということで見始めたんですが……うーん、これは面白いとか面白くないとかいう以前に私には合わないです。世界観なのか何なのかはわからないけど。恩師の作品ですが2話の途中でギブアップ。


『知らなくていいコト』
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吉高由里子の作品はすべて見るようにしています。女として魅力があるとは思わないけど、女優としては素敵すぎる。なぜなら「主役しか似合わない」から。あんなに個性豊かな役者が脇にいたら主役の邪魔になってしまう。だからこの子が脇役の作品って私はデビュー作の『紀子の食卓』しか知らない。あの映画でも異彩を放っていました。(もう14年前!)

それはともかく、この『知らなくていいコト』はなかなか大きなテーマを扱っていますね。

母親が死ぬ直前に「あなたはキアヌ・リーヴスの子だ」と言い、まさかとは思いつつも喜んでいたら、実は殺人犯の娘だった。第1話では「殺人犯の遺伝子」を理由に彼氏に振られ、第2話では「DNAマッチング婚活」なるものが取り上げられる。

市川由衣(何でこんな役で出てるんだろうと思ったら、そういうことかという展開でしたね)のセリフがすべてを象徴しています。

「洗脳じゃありません。科学です」

洗脳は宗教の分野だとでも言いたいのでしょうが、いかんせん、科学もまた宗教なんですよね。たいていの科学者(特に数学者や物理学者)は神の存在を信じているらしいですから。

DNAの魔力を信じて吉高を振った重岡大毅と、そんなものなどどこ吹く風と彼女が殺人犯の娘と知りながらプロポーズした元カレの柄本佑。一人の女をめぐる二人の男の対立がこの物語を貫くメインの葛藤ということになりましょう。

そこに「科学」と「宗教」がどう関わってくるのか。いや、科学など私にはどうでもいい。「宗教」の領域に踏み込んでくれなくては意味がない。

「好き」という気持ちだって「宗教」ですから。


『彼らを見ればわかること』
耐えきれず20分ももたずにリタイア。なぜ小説家に脚本を書かせたんでしょうか? 脚本家に小説は書けても小説家に脚本が書けるとはかぎらないのに。戯曲>シナリオ>小説の順に難しいのは常識です。


『コタキ兄弟と四苦八苦』
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前作『獣になれない私たち』は好きになれなかったけど、『逃げ恥』の野木亜紀子さんの新作ということで見始めました。開巻早々「監督:山下敦弘」と出たので不安になりましたが、テレビドラマは映画ほど監督の色が出ないのか、あまり間延びしてなくてホッと一安心。

常識的な兄と非常識な弟という鉄板設定。しかも未婚の兄に対して弟のほうが人情味があってモテそう(既婚)というこれまた鉄板設定。

この二人は『第三の男』のジョゼフ・コットンとオーソン・ウェルズですよね。人情よりも社会正義を重んじるジョゼフ・コットンが古館寛治で、不正を犯したオーソン・ウェルズが滝藤賢一。女=アリダ・ヴァリ=市川実日子は、違法だけどやさしさを見せる滝藤賢一を選び、社会正義を貫いた古館寛治は決して選ばれない。

それだけなら名作を焼き直しただけですが、滝藤賢一も妻から離婚を迫られているのにサインできない。「他人の離婚届なら簡単にサインできるのに」というセリフがこのキャラクターをより深いものにしていると感じました。

この作品も二人の男がメインの対立軸ですね。

『知らなくていいコト』と『コタキ兄弟と四苦八苦』、どちらに軍配が上がるか。

どっちも頑張れ!!!





2020年01月15日

最初の『機動戦士ガンダム』、いわゆる「ファーストガンダム」の終盤は「ニュータイプ」という言葉が最大のキーワードになりますが、初めてニュータイプとして実戦に起用されるのは、我らがアムロ・レイでもなければシャア・アズナブルの寵愛を一身に受けるララァ・スンでもありません。

この男、シャリア・ブルです。


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このシャリア・ブルが出てきた時点ではまだララァは実戦に出ていないし、アムロはさんざん実戦やってますが、「おそらくニュータイプだろう」と思われているだけで確証はなかった。「ニュータイプとして実戦に投入された」のは、だからこのシャリア・ブルが最初なわけです。

子どもの頃に見たときはまったく印象に残らず、第39話のタイトルが「ニュータイプ、シャリア・ブル」とあるのを見て「誰だっけ?」と思ったほど。

この男は木星帰りとかでギレン直属の部下なんですが、キシリアのもとへ行けと命じられます。キシリアとギレンが犬猿の仲であることはみなさん知ってますよね? 


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ギレンもシャリア・ブルがそのことを知っていると充分承知していて、

「私がキシリアのもとへ行けというのだから、その意味はわかっているだろうな」

みたいなことを言います。

結局シャリア・ブルは、ニュータイプとして覚醒し、ガンダムですらその能力についてこれなくなったアムロによって殺されます。あまりにあっけなく殺されるので印象に残っていなかったのでしょう。

でも大人になってから見ると、妙に印象に残るのです。

それは彼の死についてシャアが言うセリフがあるからです。

「彼はキシリア様とギレン様の間でうまく立ち回ることなどできなかっただろう」

そして、あっけなく殺されたほうが彼のためには幸せだった、と。

戦闘能力は高いが組織人としては不器用。シャリア・ブルとはそんな男。シャアにはそれがよくわかっていた。

しかし、「戦闘能力は高いが組織人としては不器用」……

これって、アムロにもララァにも言えることですよね。シャアはララァも同じ運命をたどるかもしれないと思ってあんなセリフを言ったのかも。

でも、最終的にニュータイプとして覚醒するシャアだけは組織人としても非常に器用というのが何とも皮肉というか。

私自身、組織の中でうまく立ち回るのがぜんぜんうまくないので、シャリア・ブルの悲哀が胸に突き刺さってくるのでありました。


関連記事
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ファーストガンダムの政治学②シャアを利用するキシリアの狙いとは
ファーストガンダムの政治学③「戦後」を見据えるシャアの深謀遠慮







2020年01月12日

敬愛してやまない業田良家先生の最新刊『機械仕掛けの愛』第6巻。

このシリーズは、1話完結形式で「人間の心とロボットの機能は同じではないのか」「人間の心よりもロボットのほうが機能に従順なぶん純粋ではないのか」というテーゼを打ち出していくのが素晴らしいところ。

人間の眼底ばかり覗いていた医療用ロボットが初めて外界に連れ出され、海を見、山を見、この世の美しさを初めて見ることで、なぜ患者たちが目が治るとあんなに喜んでいたかを知る「眼科医ルック先生」も素晴らしかったし、『マトリックス』のような世界を描いた「バーチャル・プリズン」も面白かった。「焚書工場」は『華氏451』の完全パクリじゃないかとは思ったけれど。

それはそれとして、私が一番胸を打たれたのは「宇宙の片すみ清掃社」ですね。


「宇宙の片すみ清掃社」
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掃除用ロボットのタスクが、いまは亡きご主人様の墓を丹念に掃除する場面から始まるこの物語の要諦は、タスクがご主人様から聞いた「掃除の心得」。それは……

家の前を掃除していたご主人様が、隣の家の前も掃除をしているのを見たタスクが、

「掃除は我が家の前だけでよろしいのでは?」

と問いかけたところ、

「いいの。宇宙をきれいにしてると思ってるから」

との返答。

「ここはこの町のほんの片すみ。そして日本の片すみ。そして地球の片すみ。広大な宇宙の片すみ。でも、どんなに片すみだろうとこの宇宙を掃除してきれいにしているのに変わりはない。私のひと掃きが宇宙をきれいにしている。そう考えたら楽しくなる。ねえ、この考え、ステキと思わない?」


「スケール」とは……
私は年明けから職場で配置換えがあって、それ自体はいいものの、元の部署といまの部署とを行ったり来たりで疲弊して倒れてしまいました。「なぜ俺だけがこんな苦労をしないといけないのか」と。

でも、そんな恨み言はもうやめようと思います。私の仕事は清掃ではないけれど、確かに社会に貢献する仕事ではある。ほんの少しだけど。

だからタスクのご主人様が言うように「自分のちょっとした仕事が地域社会に、ひいては宇宙に貢献している」という大きなスケールで物事を考えないといけないと思い知らされました。

歴史的名著『映像の発見』の松本俊夫監督は、

「スケールとは、予算の規模や物語の舞台の大きさのことを言うのではなく、時代や社会を見つめる『目』の問題である」

と言っていました。大事なことをすぐ忘れるのが私の悪い癖。隣の人より自分が不遇だとか、そんなことに拘泥せず、宇宙に貢献しているという大きなスケールで考えないといけない。それは、話は変わるけれど、食事するときに「地球の裏側では今日食べるものがなくて餓死する子どもがいる」ということを頭の片隅に入れておくということでもあります。


業田良家先生の転回
しかし、ちょっと待ってよ。この『機械仕掛けの愛』の面白さは人間とロボットの何が違うのか、人間よりロボットのほうがよっぽど人間的だというところが面白いんじゃなかったの?

という声が聞こえてきそうですが……はい、その通りです。

私はこの第6巻でそのような面白さには出逢うことができませんでした。むしろ、ただの機械でしかなかったロボットが、人間の真心に触れて変容する様が描かれています。業田良家先生はシフトチェンジを目論んでいるのでしょうか。


人間の目をロボットは獲得できるのか
ただ、この「宇宙の片すみ清掃社」で、次に印象に残っているのは、先述のご主人様の素敵な言葉を聞いたタスクが「はい、同意します」と言う場面。

ご主人様は「あら、タスク、あなた笑うのね」と言う。タスクは「いえ、笑う機能はついてないはずです」と返す。

でも、確かに「はい、同意します」と言ったときのタスクの目は輝いているように見える。

この目、描くの大変だったろうと思います。本当にキラキラ輝いているのではなく「何となく輝いているように見える」ように描かねばならない。業田良家先生はストーリーテラーとしてずば抜けているだけでなく、やはり絵もうまい。(当たり前ですけど)

ここで大きな問題は、人間の目には前後の文脈によって同じ目でも輝いているように見えたり、笑っているように見えたり、怒っているように見えたりする、ということです。

それは人間の「心」が生み出す技。心と機能に何の違いがあるのかと問いかけてきたこの『機械仕掛けの愛』シリーズですが、ロボットの目も人間のそれと同じように、同じものが違って見える瞬間があるのか、どうか。

第7巻以降はそこらへんの「哲学」を読ませてほしいと切に願います。


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『機械仕掛けの愛』(「心」と「機能」はどう違うのか)