聳え立つ地平線

ありえないものを発見すること、それを写し撮ること、そしてきちんと見せること。

『多十郎殉愛記』(無思想の主人公で幕末を描けるか)

中島貞夫監督の20年ぶりの新作『多十郎殉愛記』を見てきました。


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伊藤大輔という名前
まず最初の「伊藤大輔監督の霊に捧ぐ」との言葉にグッときましたね。といっても私は語れるほどには伊藤監督の作品を見ていませんが。(一番好きなのは『下郎の首』かな)

「移動大好き」と名前をもじっていじられていたくらい移動撮影が好きだったというのは知っていますが、この『多十郎殉愛記』でも移動撮影がとても多かった。横移動もありましたが、見ていて一番グッときたのは、人物をフルショットくらいで捉えて、そこからジワリと前進移動で寄っていく画をカットバックした場面ですかね。何回かありました。主に長屋で。


東映京都スタッフの底力
伊藤大輔がどうのこうのよりも、東映京都スタッフの底力に戦慄しました。
長屋の奥まったところに多十郎が帰ってくる場面。明らかに白昼に撮っているのに夕景に見せる撮影・照明スタッフの力!
録音もよかった。私は松竹京都に属していた人間ですが、応援で東映の人が来てくれたりしまして噂は聞いていました。ご一緒したことはありませんが、「松竹の録音部はダメ。東映のほうが段違いにすごい」と先輩が言ってました。映画録音の要諦は「芝居を録ること」に尽きますが、何でもない足音や衣擦れの音にも情感がこもっています。音楽と画のリズムが合いまくりなのは逆に違和感がありましたけど。合わせすぎな感じがちょっと、ね。


中島貞夫の演技指導力
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高良健吾も多部未華子もキャリア最高の芝居を見せてくれます。特に多部未華子の凛とした佇まいと柔らかな物腰が印象的。中島貞夫監督の類まれな演技指導力の賜物でしょう。


肝腎の物語は……
しかしながら、肝腎の物語はどうしたことでしょう。少しも感動させてくれません。

何よりも「主人公・多十郎が何をしたいのか」がまったくわかりません。

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最初はこうやって刀の柄を盾にしてばかりなので、暴力に嫌気が差した設定なのかと思いました。でも非暴力の思想をもった主人公で暴力にまみれた幕末を描くことが可能なのか、いや、でももし描き切ったらすごいことになるのでは!? もしかすると「夏みかん」はその象徴なのか! などと期待したんですが、結局、多十郎はちょうど半ばあたりで刀を抜きます。

その前に、多部未華子が刀を抜いたら竹光で「侍の魂はとっくに売ってしまった」みたいなことを言って多部は号泣してしまうのですが、実は本身を隠し持っていて手入れを欠かさない。で、抜刀隊に周りを囲まれたときに刀を抜くんですが、本身と竹光をすり替えるトリックがいったい何のためなのかさっぱりわかりません。多部未華子を欺くんじゃなくて抜刀隊や新選組を欺かないといけないのでは?

そもそもの問題として、多十郎は長州を脱藩した素浪人で、天下国家を論じるよりも夏みかんの絵を書いているほうがいいという男。そりゃ幕末にだってそういう侍はいたでしょうが、結局彼は何のために戦っているのでしょうか?

最後に駆け込んだボロ屋に僧侶とその女がいて、「天下国家のためか? 金か? 女か?」と訊かれ、すぐに多部未華子を思い浮かべるのですが、別に彼女のために戦っていたわけではないですよね? 結局、寺島進との決闘にも敗れ、自分がお縄になることで多部未華子と目をつぶされた弟は生き延びられるわけですが、別に最初からそういう目的で戦っていたわけではない。長州を脱藩したというだけで付け狙われていただけ。つまり、主人公は常に受け身で、主人公から積極的に起こすアクションがない。

多十郎はすごい剣士なのになぜあんなふうに落ちぶれたのかも結局答えが示されないし、何だかよくわからないままに終わってしまいました。

中島貞夫監督といえば、『沖縄やくざ戦争』という煮えたぎるような思想の詰まった傑作がありますが、この『多十郎殉愛記』には何もなかった。

すべての映画に思想がないといけないとは思いません。中島監督の作品にも『狂った野獣』『脱獄広島殺人囚』という思想とは縁のない傑作がありますし。

しかしながら、幕末というイデオロギーと暴力が結託した時代を扱うにあたって、無思想の主人公を据えるというのはやはり無理があります。


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松本剛『ロッタレイン』全3巻(世間という名の権力に抗って)

『5時に夢中!』エンタメ番付1月場所で中瀬親方が大絶賛していた松本剛さんの『ロッタレイン』をやっと読むことができました。(以下、ネタバレあります)

だいぶ想像と違う内容でいい意味で裏切られました。

だって、大人の男が血のつながってない13歳の妹と出逢って……と聞くと、『ロリータ』みたいなのを思い浮かべるじゃないですか。

しかもその少女の外見はこんなんだし。↓



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しかも我らが主人公はこんなちょっと風采の上がらない男だし。↓


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だから、30歳の男が13歳の少女に恋してしまうも、少女の魔性に振り回されてひどい目に遭う物語なのかな、と思ってました。私の好きなフィルムノワールってそういうお話が多いし。

でも、この『ロッタレイン』は大人の男と年端のいかない女の子との「純愛」を描くんですね。これは相当にハードルが高い。


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最初はこんな感じの出逢い方で、だから主人公がひどい目に遭う話かと予想したんですが、彼女(初穂という名前)にとって主人公は本妻の息子で、お妾さんの娘である初穂にとっては「正しい側の人間」なんですね。学校では「二号の子ども」と後ろ指さされてひどいいじめを受けているし、主人公が自分たちを恨んでいるに違いない。だからつっけんどんな態度を取る。

でも二人はある事件をきっかけに急接近します。


あやうい女心
初穂のクラスメイトでモテ男の奥野にいきなりキスされるんですね。最初は受け入れているのかと思いきや、現場を目撃した主人公が怒り狂って殴り飛ばす。ここは嫉妬もあるんでしょうが、主人公は過去にとんでもないパワハラ上司と自分の恋人が浮気している現場を目撃しており、そのことが脳裏をかすめてあのような暴虐に及んだのでしょう。嫉妬だけならあそこまで突発的な暴力は振るわないと思う。

もともと初穂が奥野のことをどう思っていたのかわからない。その後、「好きじゃない」とはっきり言いますが、いきなりキスするという一件がなければどうだったかはよくわかりません。ともかくも、そのような破廉恥な行為に及んだ奥野を殴り飛ばした主人公と自分のことを初穂は「私たち」と表現するようになる。

しかし、ここですでに二人が相思相愛なのかどうかはよくわかりません。どうしても外見がよくて色気もある少女が、主人公の指先をなめて「もうあんなことしないで」なんて場面を見ると、主人公を幻惑しているだけではないのか、という疑惑が消えてくれません。

最終的に二人は怪文書のせいで東京まで逃げ、そこで二人だけの生活をしようと誓い合うも、初穂だけ父親のもとへ帰る。しかしそれは戦略で、父親が転勤でオーストラリアのパースに行くことになり、それについていくだけ。6年後には帰ってこられる。その6年後のためにいまは離れるのだと。6年たてば正式なカップルとして誰に恥じることもなく堂々と付き合える。

ということに表面上はなっていますが、何か安心できません。

そう言っているだけで、初穂は主人公を裏切るのではないか。意図的ではなくとも、魅力的な子だからパースで知り合った男の子といい仲になって主人公のことなど忘れてしまうんじゃないか。というサスペンスが残ったままです。いわば、宙吊りのままこの物語は幕を閉じます。


憲法と法律
初穂の本心がどこにあるのかは作者にすらわかってないのかもしれませんから、以後はわかることだけ話題にしましょう。

この『ロッタレイン』で思い出したのは「憲法と法律」の違いですね。

「自白は証拠にならない」というのは憲法に書かれているんですが、なぜ刑事訴訟法とかじゃなく憲法かというと、憲法は軸足を国民のほうに置いているから。国民の権利を最大限保障し、権力者の暴走を防ぐのが憲法。逆に、権力側が国民を縛るためにあるのが法律。こういう罪を犯したら何年刑務所に入らねばならないとか。だから「自白が証拠にならない]というは憲法に書かれていないとおかしいことになります。


世間という名の権力
主人公が再就職する運送会社の社長さんはこう言います。

「人を好きになるのは理屈じゃないもんな! 世間とか周りの声とかそういうのはいーの!」

でも、この社長さんは、怪文書が回ってくると態度を変えます。従業員も「こんなの信じてないよ」などと言いながらもはや完全な敵です。

それもこれも、初穂が13歳だからです。主人公がやっていることは「淫行」であり、それは違法であると。

ピエール瀧の事件でも「違法な行為だから」処罰されて当然だという意見が多々見られますが、先述したように、法律というのは権力側に軸足を置いています。世間が権力と一体化して「人を好きになるのは理屈じゃない」という当たり前のことを許さない。世間という名の権力が主人公と初穂を追い詰め、そしてあのラスト。というのがこの『ロッタレイン』のあらましなのですが……


もう一度、初穂の気持ち
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この出逢いのとき、「初穂にとって主人公は正しい側の人間」と言いました。だから「来ないで」と言い、つっけんどんな態度を取る。

ということは、やはり初穂は主人公との6年後の再会を希求しているんじゃないか。

主人公は「間違った側の人間」ですもんね。自分と関係をもてば淫行罪に問われる。それでも彼は初穂と一緒に暮らそうという。そんな主人公に初穂は「自分の側の人間」という気持ちを抱いているはずです。だから「私たち」なのでしょう。

愛人を作り、本妻や主人公を苦しめてきたくせに正義の側の人間然としている父親についてパースに行くというのは、だから絶対ウソとか演技ではない。

と私は思うのですが、ここまで考えても、それでもやっぱり宙吊り感から解放されません。彼らの6年後を実際に見るまでは。

ということは永遠にわからないということ。これから読み返すたびに悶絶してしまいそうな稀有なマンガ体験でした。





寺尾聰『渚のカンパリ・ソーダ』

寺尾聰が『ザ・ベストテン』に最初に登場したときのことはよく憶えています。
曲はたぶん『ルビーの指環』だったはずですが(違ったか)久米宏と黒柳徹子に「ファンに一言」と催促されて照れくさそうに言った言葉は、

「いつもは俳優ですが、今日は歌手です」

言葉よりもあの照れくさそうな表情がとても印象的でした。

『ルビーの指環』『出航 SASURAI』『シャドーシティ』の3曲が同時にベストテン入りするという快挙もありました。

もちろん『ルビーの指環』は大好きですし、昭和歌謡を語るうえで絶対はずせない名曲であることは論を俟ちませんが、私はあえて『渚のカンパリ・ソーダ』という名の知られていない曲を称揚したい。

これは『ルビーの指環』と共通点があるんですよ。寺尾聰の歌はほとんどすべて彼自身が作曲してるんですが、作詞は有川正沙子という人がやってる場合がほとんど。でも『ルビーの指環』と『渚のカンパリ・ソーダ』』はあの松本隆が作詞しています。

私がもっているベストアルバムは15曲収録されていますが、松本隆&寺尾聰のコンビはこの2曲だけです。

だからかもしれません。これは哀しい歌なのです。



少しは愛してくれ
夏の風も照れちまうほどに
八月は出逢う人を
恋人に変えちまうよ

ジリジリ焦げた肌に
ひとしずくの水を投げてくれ
渚から光る君は
サングラスも眩みそう

心を軽く乱され
いつもの俺じゃないのさ
カンパリのグラスあけてしまおう
君に酔ってしまう前に

若さを弾くように
笑いかける小麦色の夢
もてあます無邪気さなら
瞳閉じてしまおうか

ラジオは浮かれる音
あれは古いツイストのリズム
こみ上げる懐かしさに
時はいつも移り気さ

真夏のシャワー浴びると
景色も揺れてくるのさ
カンパリのグラス空けてしまおう
君に酔ってしまう前に

少しは愛してくれ
夏の風も照れちまうほどに
八月は出逢う人を
恋人に変えちまうよ


『ルビーの指環』の哀しさには遠く及ばない気もしますが、でもこれはこれでやはり哀しい。

ところで、京都の撮影所で働いていた頃、会社近くの王将で寺尾聰本人をお見かけしました。

持ち帰りの餃子を待って椅子に腰かけてました。店員からサインをねだられて快く応じていましたが、そのへんにいるしょぼくれたオジサンと何も変わらなくて唖然となりました。ベストテンに初登場したときの初々しさもなければ、含羞に満ちた表情があるわけでもなく、生活という桎梏のなかで疲弊した男の横顔だけがありました。『ルビーの指環』や『渚のカンパリ・ソーダ』の哀しさはそういうものとは違うもっとロマンティックなものだっただけにショックでした。

来月から「令和」とか。昭和はさらに遠くなりにけり。


REFLECTIONS
寺尾聰
ユニバーサル ミュージック
2018-09-19


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