2020年07月02日

『逃げるは恥だが役に立つ ムズキュン特別編』ももう7話まで来ました。

前回の第6話で起こった新婚旅行での衝撃のアレがやはり胸キュンポイントでした。


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前回までの記事
逃げ恥の経済学①贈与と返礼(給料前払いとよけいな家事労働)
逃げ恥の経済学②炊き込みご飯とぶどう(藤井隆の役割)
逃げ恥の神話学①星野源を救い出すヒーロー・新垣結衣


5万ポイントとマムシドリンクという「供給」
叔母の石田ゆり子は貯めに貯めた5万ポイントで温泉旅行のチケットを二人にプレゼントします。

これはこれまでの文脈でいえば明らかな「供給(贈与)」ですね。この供給がなければ二人の恋の発展はありえなかった。


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そして忘れてはならないのが藤井隆によって「供給」されるマムシドリンク。新婚旅行(社員旅行?)に行ったとしても、星野源が思わずガッキーにキスしてしまうのを後押ししたのは間違いなくあのマムシドリンクでしょう。やはり藤井隆は供給役なんですね。

これまでのように、まず供給=贈与があって、それが需要を生んで返礼が行われる、というのとは違いますが、第三者からの二つの供給によって「星野源の新垣結衣への欲情」という需要が生まれました。

さて、その欲情がどうなるのか、というのが先日の第7話の肝だったわけですが……


貨幣という幻想を共有できない二人
ガッキーがキスのことをかなりあからさまに会話にもちだすのに星野源は逃げてばかり。

そんななか、大谷亮平がおしゃれな紅茶をガッキーにプレゼントしたという話を聞いて、誕生日が過ぎていたことを知る。で、いろいろ考えた末に贈ったプレゼントがこれです。

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何と現金。一応、二人は雇用主と従業員という関係なので「ボーナス」という形をとっています。

でも、最初の記事で星野源が先払いした給料とはもう現金のもつ意味が異なります。あのときは本当に現金でよかった。ガッキーは家事代行として働こうとしていただけだから。

現在の二人はもうキスをした関係です。そんな相手に現金⁉

岩井克人という経済学者による名著『貨幣論』によると、「貨幣は貨幣だから貨幣なのである」という循環論法によってしか説明できないそうです。

なぜなら、貨幣に価値があるのは「この貨幣には価値がある」という幻想を共有している場合だけだからです。

金本位制の時代は中央銀行に貨幣をもっていけば時価相当の金と交換することができた。1万円札には本当に1万円の価値があった。しかし、それでは世界の金の総量までしか経済発展できない、ということで各国が金本位制をやめた。では1万円に1万円の価値がある根拠は何か。それが「幻想」なんですね。

よく「国が発行しているから、国の信用によって貨幣に価値があるのだ」という人がいますが、あれは間違いです。もしそうなら、なぜ東南アジアで日本円が通用するのか説明がつきません。

1万円札には1万円の、千円札には1000円の価値があるという幻想を、売る側と買う側が共有しているから貨幣は価値をもつのです。

星野源は数万円の札束にそれ相応の価値があると信じてガッキーにボーナスという名の誕生日プレゼントを渡しました。星野源はプロの独身だからそういう幻想をもっている。でもガッキーはそんな幻想をもっていない。幻想を共有できていないから、第1話の先払い給料と違って、ガッキーは悲しくなるし、見ているこちらはヤキモキしてしまう。

『逃げ恥』で描かれる経済観念はとてもまともだし、理にかなっています。


返礼を怠るアンチヒーロー星野源
しかも、星野源はガッキーの「供給(贈与)」に対して、必ずせねばならない「返礼」を怠るという大失態を演じてしまいます。

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あろうことかこんなメールを送ってしまいそうになるくらいガッキーに対して及び腰な彼は、

「好きです。つきあってください!」

と言いさえすればいいものを、それができない。「なぜ私にキスしたんですか」という問いかけにすら答えられない。

二人はハグの日だけは守り、何とかかんとか二回目のキスに辿り着きますが、

「平匡さんとなら、そういうことしてもいいですよ」

というガッキーの一言に恐れをなした星野源は「そういうことをしたいんじゃないんです」と逃げてしまう。

ほんとは押し倒したいくせに。セックスしたいくせに。描かれないけどガッキーをおかずにオナニーしてるくせに。

ヒーローである新垣結衣は、アンチヒーローたる星野源に対して徹底して「供給」をします。何をか。自分の体を、です。

最初はハグという形で提供し、次は「平匡さんとなら……」という一言ですべてを彼の前に投げ出す。

星野源の中にはガッキーを抱きたいという「需要」が芽生えているはずなのに、彼女への返礼ができない。

ヒーローは必死でアンチヒーローを救い出そうと頑張った。でも応えてくれなかった。


星野源の気持ちもわかる気がする
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303号室を出るところで第7話は幕を閉じますが、それもむべなるかな。ガッキーの気持ちは痛いほどわかる。

でも彼女のセリフにありますよね。

「なぜいざ告白しようとすると言えなくなるんだろう」

みたいなセリフ。

あれもわかる。今日こそは言おう、明日こそは、とあれこれシミュレーションして、いつ頃どこで待ち伏せして、とか考えに考えまくるのに、いざ相手が来ると何も言えない。言おうとしていたことすら忘れていることもある。

あれはいったい何なのだろう。

だから、ガッキーが「私のすべてを好きにしていい」と言っているのに、ついにそのときが来てしまった星野源が逃げた気持ちもわかるような気がしてきました。

いずれにしても、神話のヒーローがアンチヒーローを救い出すべく自分の体を供給(贈与)したのに、アンチヒーローは自らの需要を封印してしまい、贈与に対する返礼を怠ってしまった。

これはもはや致命的。

この先もどう転回するのかまったく憶えてないので次回、日曜日の8話、9話が楽しみです。

(東京などいろんな地域では土曜日に8話、9話で日曜日に最終回までやるらしいですが、関西では再来週の日曜日にようやく最終回。ま、楽しみを先延ばしにできるのは幸せですかね)


続きの記事
逃げ恥の経済学④と神話学③(終)搾取、呪い、共同ヒーロー







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2020年06月27日

先日は親への恨み言のような日記を書いてしまいました。(⇒忘れていた心の傷が口を開けてしまった件

でも、いまの気持ちはもう違います。

父親からの暴言や理不尽な物言いは幼少の頃からですが、正直言っていまぐらい年齢を重ねると小学校くらいまでのことはあまり憶えていません。

でもはっきり憶えているのは中学3年のとき、次兄が、先輩からおまえの電話の出方がおかしい、おまえの弟はこんな口の利き方をしたと怒られた、と文句を言ってきて、まったく身におぼえがなかったから必死で否定しました。

しかし父親も母親も次兄の味方をして「なぜ嘘をつくのか」「何でそうやっていつもごまかすのか」と難詰されました。

私は何を言っても無駄だと「ごめんなさい」と謝りました。他にも同様な場面はもっとたくさんあったはず。でもまだ10代半ばにも関わらず私は両親からの誹謗中傷に耐えられず、嘘をついていたと認めてしまったのです。

そういうとき、もっとちゃんと反抗すべきだった。

反抗したら親父の怒りに油を注ぐ結果にはなっただろうけど(実際、小学校までの私は反抗してもっと怒られていたはず)それでもやっぱり反抗すべきだった。

高校に上がってからは別のことが原因で殴り合いの喧嘩を演じたこともあるけれど、なじられることに耐えられず、あきらめて抗弁しないという精神構造は中学時代にできあがってしまっていました。

反抗して逆上するような親なら、そんな家はとっくの昔に出るべきでした。それを親への反感は人一倍もっているはずなのに、経済的に甘えてばかりでほんの数年前まで実家にいたままだった。

それが何よりの間違い。

生きるということは後悔すること。

映画『レイジング・ブル』のテーマでもありますが、いまの私にはとても切実な言葉です。

考えてみれば、いま書いている小説はまさにそういうテーマなんですよね。そういうテーマで書こうとしたわけじゃない。三島由紀夫が言っているように、作家はテーマなど考えずに書きます。そして最後の句点を打った瞬間に、あぁ俺はこういうことが言いたかったのか、と初めてテーマを知る。

今回の小説は最後まで書いてないどころか、まだ半分にも到達していないはずですが、ラストまでの道筋はすでにあらかた固めています。

もし自分が一読者としてその物語を読んだら、「生きるということは後悔することだ」というテーマを感じ取るでしょう。

無意識に思っていることが、物語の形にすると出てしまうんですね。面白い。これだから創作はやめられない。

あまりいい子ちゃんを演じるのもどうか、もっと親を恨んでもいいんじゃないかとも思うけれど、やはり40代も後半になって親を恨むのはよろしくない。

山積した後悔を糧にして、また今日から一歩一歩生きていくしかありません。





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2020年06月23日

このところ体調不良で仕事を休んでいます。金曜日から今日まで、土日も入れたら5日も寝てばかり。

食欲もなく、食べなきゃと思っても冷蔵庫の食べ物に手が伸びない。

そうなったきっかけは、職場で疑われたことです。

私が言った言葉がある人にまったく信用されなかった。しかし、そんなことは日常茶飯事であって、いまさらその程度のことで心煩わせるほどナイーブではないつもり。でも許せなかった。どうしても許せなかった。

最初はなぜあの程度のことが許せないのか少しもわかりませんでした。帰ってすぐ寝たけれど、もともと梅雨のせいで体調が悪かったので、翌日起きたら蒲団に体がへばりついている。

だけでなく、職場で疑われたことが気になっていたはずなのに、起きると「なぜ自分はこの世に生まれてしまったんだろう」ということを考えている。え、なぜ?

そりゃ、なぜ生まれてきたのか、どうも自分はこの世に合っていない、そういう懐疑的な気持ちでこれまで生きてきたのは事実。でも最近そういうことを言葉にして考えたことはなかったのに、なぜ急に……?

金曜日はとりあえず休み、土曜日、日曜日と寝続けました。こんなに疲れていたのかと驚くくらい寝た。

そして日曜の夜中に目が覚めると、睡眠導入剤を飲んでも眠れなくなり、そのときにハッと気がつきました。

なぜ信用されなかったことをあれほどまでに許せないと思ったのか。

私は幼少の頃から両親から常に疑われていました。

兄二人の言うことはすぐ鵜呑みにするくせに、私の言うことはまったく信用しなかった。

「おまえはなぜ嘘ばかり言うのか」「何でそうやっていつもごまかすのか」

私が体のいい嘘が言えず、馬鹿正直にほんとのことしか言えないのは、おそらく「嘘を言ってはいけない」という強迫観念に駆られているからでしょう。

ずっと忘れていた心の傷がぱっかり口を開けてしまい、涙が溢れました。しかも、その父親が元気に退院するという。

許せない。ちょっと前に死にかけたときは心配もしたけれど、心配した自分が許せない。

何であんな奴の心配をせにゃならんのか。アホらしい。

昨日は病院で上記のことを言って涙が止まらず、今日も何度も涙が止まらなかった。いつもは厳しい主治医も「とにかくゆっくり休むように」とやさしい言葉をかけてくれた。

親父さんよ、あんたのせいだとはもう言うまい。

しかし、実家を出て6年。両親を恨むことはほとんどなくなったのに、ほんの些細なことで心の傷が開いて流血が止まらない。

あんたのせいだとは言わない。言わないから、せめて早く死んでほしい。それが嘘偽りのない正直な気持ちです。


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